SHAPES OF LOVE3
| どういうことだ？ 恭平は顔をしかめる。目の前の幸鷹は目は開けていても上の空で恭平の顔など見ていないだろう。彼に飲ませた薬の効果ははっきりと出ている。 幻覚剤の一種で、幸鷹には今正常な思考回路は残っていない。 その上、催眠をかけて今はトランス状態に入っている。目だけは恭平を捉えているが知覚はしていないはずだし、口元もゆるみ、手も丸くして完全なトランス状態を示している。 だから、今聞いた話が作り物であるはずはないのだ。 翡翠との関係を最初から聞き出そうとしたところ、どうも分からない名詞ばかりが出てきたのだ。アメリカ育ちの恭平には『伊予』だとか『国司』、『別当』だの分からない単語だらけだった。いや、日本で育っても聞きなれない言葉なのだが、恭平にはそれすら分からない。 かろうじて分かったところを拾い集めると、幸鷹は行方不明の間記憶を封じられていて、その時に翡翠とは敵として出会った。その後、仲間として一緒に行動するようになり、今も共にいるということか。 信じられない話だが、幸鷹が失踪した先は現代とは異なる場所だったようだ。 「翡翠が海賊……」 それだけはいかにもと納得してしまう内容であったが。 あの男の過去が一般市民だというほうが不思議だろう。 だとしても、幸鷹の言葉を信じるなら翡翠は現代では罪を犯していないわけだから、何が出来るわけでもないわけだが。 まぁ、いい。 これで幸鷹の消えていた間の出来事は大体のところ分かった。 多少、理解できない部分もあるがそれくらいはどうにでもなる。 恭平の口元は自然とほころんでいく。 「幸鷹、君は翡翠を愛しているの？」 「愛して……ない」 シャロンの面影が脳裏に浮かんだ。 あれだけの激しい感情は私にはない。 そんな私に、彼を愛していると言う資格などない。 「愛してない……」 「苦しいの？」 ……苦しい。 ずっと苦しかった。 出会ったときから憎み合うことが義務づけられていて、ここへくればそんな過去のしがらみを越えていけると思ったのに、不器用な私はそれすら出来なくて…… 何も伝えられなくて…… 自分が楽になることだけを考えて…… あの男の幸せに目を向けることもできなくて…… ……甘えていた。 「もう、終わりにしよう」 終わりに？ あの男との関係を終わりに？ ……それはできない…… 「い……や…だ」 「忘れたら楽になれるから。君も、翡翠も｣ 楽になれる……？ 私も、あの男も…… 「翡翠は自由になれる」 自由に…… 出会った頃のように、何にも縛られずに…… あの男を縛り付けているのが私なら…… 「翡翠は自由に……」 「君はその姿に憧れていたんだろう？ なら彼を解放してあげなきゃ｣ 「でも……私には何も残らない……」 何もない…… あの男がいなくなったら、私にはもう何も残されていない。 「僕がいるから」 あなたが……？ 「忘れなさい、幸鷹」 忘れる……？ 「そう。忘れなさい、何もかも」 何もかも……？ 「君は日本で生まれてアメリカに留学して、ずっと僕と生きてきた」 日本で生まれて。 アメリカに留学して。 ずっと恭平兄さんと生きてきた。 「僕がいたから、寂しいことも、苦しいこともなかった」 この人がいたから、寂しくも苦しくもなかった…… そう、忘れれば今の苦しみも忘れられる…… 楽になれる…… 「そして幸鷹、僕が３まで数えたら君は『京にいた頃から今までのこと』はすべて忘れる」 忘れる…… 忘れる……… 忘れる………… 「１、２、３」 「そして次に３数えたら君はそのまま気持ちよく目覚める」 「１、２、３」 ■■■ 「翡翠、恭平の居場所が分かったそうです」 透夜は慌てることなく自分の雇い主へと電話の内容を報告する。 待ちに待ったその電話は、幸鷹失踪後３日経ってからのことだった。 すぐさま住所のメモを取った透夜はそれを翡翠に手渡す。その内容を見ると翡翠はジャケットを手に取り羽織りながら玄関へと向かう。 「透夜も来てくれ｣ 「はい」 特に表情を動かすことはなく、必要最低限の返事をして透夜も支度をする。マンションの地下に停めてあった透夜の車に乗り込むとすぐにエンジンをかけた。 「行き先は分かってるな？」 「はい」 ハンドルを握りながら、透夜は助手席に座る雇い主の顔をちらりと盗み見る。いつもの笑みはない。だからといって怒りを顔に出すわけでもなく、黙って窓に肘をついて前を見ている。 ……かなり怒っているな。 透夜は冷静に分析する。 まず間違いなく血を見ることになりそうだ。 本気を出した翡翠の姿を見たことはないが、少なくとも自分では止めることは出来ないだろう。 そもそも止める気もないのだが。 翡翠に手を出した男が愚かなだけだ。しかも二度目。一度見逃しただけでも翡翠にしては珍しいというのに、懲りずに二度も逆鱗に触れるとは殺してくれと言っているようなものだ。 バン。 車のドアを閉めると、二人はホテルの前に立つ。３０階建ての観光客用のホテルだった。 狙いはおそらく日本人の客が多いから、木は森の中に隠すという発想だろう。実際、その作戦は成功に近かった。どうせ本名を使ってないだろうと写真を巻いたのだが、アメリカ人の目からは日本人の顔の判別はつきにくいのだ。おかげで発見が遅れ、３日もかかってしまった。 「ヒスイ！」 出迎えたのは先に情報を得たジョンだった。 「ほら、これがカードキー」 翡翠はそれ黙って受け取り、ジョンに視線を合わせることなくホテルの中へと入っていく。軽くため息をつくジョンに透夜は軽く会釈をすると翡翠の後を追った。 まだ自分の役目は終わっていない。 エレベーターに乗ると、翡翠は壁にもたれかかり腕を組む。 「……透夜、君は幸鷹を頼む」 「何の道具も持っていませんが」 「必要ない。あの男は幸鷹を傷つけることはない」 そう言いながらも翡翠の顔は無表情に近い。体からも殺気を感じさせない。 むしろ何の感情も感じさせない翡翠の態度こそが怒りの現れと言えるだろう。 自分に幸鷹を頼むということは、彼が恭平の相手をするということだ。幸鷹の保護が自分の役割らしかった。保護、かもしくは自分に目隠し代わりになれと言っているのか。 少なくとも翡翠は幸鷹を取り返しただけで、穏便に済ませる気は欠片もないことだけは分かる。 エレベーターの扉が開くと、翡翠に続いて透夜は通路を歩く。あたりに人の気配はないことから、ジョンが手を回して人払いを済ませていたようだ。これなら多少暴れても騒がれる心配はない。 「……行くよ」 透夜は懐に手を伸ばす。 コンコン。 ドアをノックすると、少しして部屋の鍵が開く音がする。チェーンの音もするのでチェーンキーもかかっているようだ。 「はい」 その声と同時に翡翠がドアを蹴り飛ばす。 ガン！ チェーンキーは強引にちぎれ、中にいた人物にドアが思い切りぶつかる。 「ぐ…！」 そのまま中に入り込んだ翡翠はドアがぶつかり一瞬ひるんだ隙を見逃さず、中にいた人物が銃を構える暇もないうちに髪をつかみ、その首筋に強引に手刀をおとす。 ずると崩れる男の体ごと翡翠はよけると、視線で透夜に中に行けと言う。二人の横を通り、部屋の中に足を踏み入れると、窓際の椅子から立ち上がり大きな目をさらに見開いている青年がいた。 彼が幸鷹か。 「……あなたは誰です！？ 今の音は……！？」 「幸鷹さんですね？」 「え…」 返事を言い切る前に、透夜は懐に忍ばせていた手の平ほどの長い針を、幸鷹の背に手を回し首筋に打ち込む。確かな手ごたえは、彼の体の自由を奪うことに成功した証だ。 この針が刺さっている限り彼は目を開くことすらかなわない。 五感すべてが閉じられた状態、翡翠はこれを望んでいるのだろう。 透夜は倒れる体を受け止めて、ベッドへと運んだ。 「翡翠、完了しました｣ 場にそぐわないほどの淡々とした口調で役目を終えたことを告げると、翡翠は入口で気を失わせた男の体を片手で引きずって現れた。 「さすがに早いね。しかしこんな簡単に事がすむなら人払いは必要なかったかな？｣ これまた透夜とは別の意味で場にそぐわない明るい声がする。これは後から物見遊山とばかりに現れたジョンの声だった。 「……ジョン。ついでにもう一つ頼んでもいいかい？」 「ここまで来たら、どこまでだって手を貸すよ｣ 「大きな声を出しても人に聴かれる心配がなくて、多少汚れてもかまわない場所を提供してもらえるかな？｣ やはり、翡翠はどうあっても穏便に済ますつもりはないらしい。 薄笑いを浮かべる翡翠の顔はどこまでも綺麗だが、物騒で仕方ない。 「ああ、それならいいところがあるよ」 ジョンも共犯者のようににやりと片眉をあげて笑む。 「では透夜、私はそちらに移動する。シャロンに電話をして幸鷹のことを任せたら君も休むといい｣ それだけ言うと、翡翠は男の体を肩に担ぎ上げてジョンと共に部屋から去る。 翡翠の言ったとおりにシャロンに電話をして、あとはすることもないので幸鷹の様子を診ることにした。 一見して外傷はない。顔色もそう悪くはない。 気になることが一つあった。 部屋に入ってきた透夜を見て明らかに幸鷹は闖入者と判断した。そう、幸鷹は強引に連れ去られた身でありながら闖入者を敵として見ていたのだ。 それがどういうことなのか。 まず幸鷹は強引に連れ去られたのではなく、合意の上で恭平とここへ来た。 もしくは強引に連れてこられながらも、恭平とここにいることを望んでいたのか。 今のところ考えられるのはこの二つだ。 シャロンが来ればはっきりするだろう。 どちらにせよ、翡翠にはあまり良くない気がするが。 ■■■ 暗い暗い部屋。 窓一つない部屋。 コンクリートの壁に覆われた部屋に恭平の体は投げ出された。 一つしかない電球がついたことで、わずかながら灯かりがある程度だ。 「さあ、起きるんだ｣ 翡翠は柔らかく声をかける。 手に持っていたナイフで恭平の手の平を貫いた。 「うああぁ！！」 その痛みに恭平は目を覚ますどころか絶叫する。 翡翠は笑みを浮かべたまま眉一つ動かさない。 部屋の片隅ではジョンが腕を組んでその様子を見ていた。 「う……ひ、翡翠か……！！」 血が流れ落ちる左手の手首を右手でつかんで体を起こした恭平が翡翠の顔を見上げてにらみつける。その姿は元の端正な落ち着いた容貌の影すらなく、ただ憎しみのあまりすごい形相になっていた。 「ずいぶんと手間をかけさせてくれたじゃないか｣ 気に入らなかった。 幸鷹を連れ去ったことも、貸しを作りたくない相手に貸しを作ったことも。 「これがお前の本性か、翡翠……！」 「さぁ、どうだろうね」 「お前は海賊だったそうじゃないか」 その言葉にようやく翡翠が眉を動かす。 ……どういうことだ？ 幸鷹が話したのか。だが話したところで信じてもらえるような内容ではないだろう。 恭平が御伽噺が大好きで信じやすいかわいらしい性格ならともかくとして。 「……大勢の人間を殺してきたんだろう！？｣ 「否定はしない。だが、これ以上は勝手に口を開くんじゃない」 今度は恭平の足首にナイフを下ろす。 わずかな手応えにさらに力を入れる。 「ぐああああ！！」 腱を切ってやったから、彼はもう立つことさえ出来ないだろう。 もう立つことすらないだろうから、かまわないだろう。 ついでだからそのうるさい口も封じようか。 「うう……翡翠…っくっく……」 叫び声の後は低く動物の様に呻いていた恭平が突然乾いた声で笑い出す。 肩が揺れて、翡翠を見上げる目は血走っている。 気が触れたか。 もう少し後悔させてやろうと思ったのだが、つまらない。 「っくっく……幸鷹は…お前には渡さない……｣ トゥルルル… 突然、携帯電話の着信音が鳴る。 「もしもし」 ジョンの懐からの音だったらしく、彼が応対しているのを横目で見る。 「え…？」 なんだ？ 珍しくジョンが驚いた表情を隠そうともしない。 電話相手が誰だか分からない以上、恭平に手出しして声を上げさせるわけにはいかず、翡翠は靴で恭平の体を蹴り倒して喉元を靴で踏み潰していた。 「…ヒスイ、その男殺すのを少し待て」 その声に翡翠は憮然とした面持ちでジョンを見ると、彼はやはり真面目な表情だ。ただ黙って自分の携帯電話を翡翠に差し出している。 「シャロンからだ」 ？ 幸鷹に何かあったのか。 一見したところ怪我はなさそうだったのだが。 「シャロン？」 受話器越しにも、彼女が動揺しきっているのが伝わってくる。 『ヒスイ……！ 変なのよ……！！』 こんなに取り乱す彼女というのも初めてだった。自分がどんなにひどいことをしても、いつも気丈で自分の弱いところを押し隠して、自分の一番の姿を翡翠に見せようとするような女性だった。 なのに今はどうしたらいいかわからないという様子を隠すこともない。 「何があったんだい？」 靴の底の感覚で、恭平の体が笑いのため痙攣しているのが分かる。非常に不愉快極まりない。 『ユキタカが…目を覚ましたの』 「ひ…ひひ……っ」 恭平が引きつるような笑い声を上げる。 足に入れる力を強くしようと思ったとき、ジョンが翡翠の足を両手で持ち上げ恭平の喉からはずさせる。 「それで？」 ジョンの行動を不可解に感じながらも、意味のない行動をするような男ではないので翡翠は大人しく足を下ろした。 すると、今度は体を解放された恭平はかすれながらも笑いが止まらないといった様子で笑い続けている。それは非常に不愉快なのだが、翡翠はシャロンに話の続きを促すことにした。 「…お前なんかに…幸鷹を渡すものか……」 その恭平の勝ち誇った声と耳元から聴こえてくるシャロンの声は同時であった。 『ユキタカ…何も覚えてないの。私のことも……あなたもことも！』 |