夢幻花影7
……そして四回季節は巡った。変わらず、鷹通は日も沈むまで治部省で仕事に没頭している。
同僚や上司からは堅物と思われている彼は、今日の花見の宴もいつもどおり断っていた。「ふぅ……何とか一段落着きましたね」
誰もいない部屋の中、鷹通は姿勢を崩して肩を鳴らす。ずっと同じ体勢でいたものだから固まってしまっていた。
薄闇の外を見ると、どこからか桜の花弁が舞い落ちていた。
そういえば、そろそろ桜の季節も終わりか。
宴に行かなかったことは後悔はしていない。どちらかというと、鷹通は静かに花を見るほうが好きであったから。桜……。
まただ。
何かを思い出せそうで思い出せない。
もどかしさを感じながら、鷹通は眉をひそめた。
何か大切なことを忘れている気がする。
いつからだろう。桜が散るのを見るたびにそんな気分になる。
そしていたたまれなくなる。
理由もない不可解な思いに鷹通は悩まされていた。早く帰って休もう、と席を立とうとしたその時。
「鷹通殿」！
背後から忍び寄っていた何者かに鷹通は床に押さえ込まれた。
不意を突かれたとはいえ、細身でありながらも小柄ではない鷹通の体を押さえつけるとなると、相手もかなりの丈夫だ。
「何をなさるのですか大丞殿！」
襲ってきた相手は鷹通の上司であった。とはいえ５年も少丞をやっている鷹通とは違い、彼は鷹通よりも２つ若いのに位は上。このあとも順調に出世していくであろう藤原の家柄の青年であった。
ただどう見ても、文官よりは武官のほうが似合いそうな体格を持っていて、鷹通は苦戦を強いられている。
吐く息は荒く、目は血走り、どう考えても普通じゃない。
おまけにかなりの酒の匂いがする。
宴に行ったはずだが、なぜここにいるのか。
と、考えるよりも早く青年が抵抗を止めない鷹通にじれて手を振り上げた。
「っ!!」
右頬に衝撃が走る。かけていた眼鏡も弾き飛ばされた。
「大人しくしろ！ 悪いようにはしないから」
もうすでに鷹通にとっては悪いことになっているのだが理性のない相手に言うだけ無駄であろう。
「大丞殿、お気を確かに！」
「確かだよ！ ずっとこうしてやりたかったんだ！ 落ちぶれた藤原のもらい子のくせして、私に何かというと文句のあるような目で見やがって！」
それはあまりの仕事の出来なさに鷹通は見ていただけなのだが。ついでにそのあとの彼の仕事の訂正をしたりと苦労させられているのは鷹通のほうであった。
「聞いたぜ。昔はこうしてよく男をくわえ込んでたって言うじゃねえか。男色なんて馬鹿にしていたけど、あんたならいい気もしてくるな」
鷹通はよくない。はっきり言って悪い。
そのがさつな性格に似合ったその顔を張り飛ばしてやりたいが、そういうわけにもいかない。この騒ぎの中、誰も駆けつけてこないところを見ると、皆宴のほうへ出払っているようだ。
「おやめください！」
「うるせえ！」
再び頬を殴られ、鷹通は目を瞑り痛みをこらえる。
泣きもしない、媚もしないその態度がいっそう青年をあおるのだが、鷹通が気付くはずもない。
首筋をざらりとした身の毛もよだつ感覚が走る。
青年に舌で舐められ、鷹通は不快さに眉を寄せる。
気持ち悪い……！
昔はたいした抵抗もなく受け入れていたというのが不思議なくらいだ。胃の中の物を全部吐き出したくなるが、食事もしていない鷹通には吐く物すらない。
「そうだ…そうやって大人しくしてれば痛い目を見ずにすんだのによ」「君も大人しくやめてれば痛い目を見ずにすんだのだよ」
え？
気がつくと鷹通の体にのしかかっていた重さは消え、青年は少し離れたところに吹き飛ばされてうめいていた。
「う……！」
何が起こったのか、鷹通は起き上がって吹き飛ばされた青年とは逆の方向を見る。
いつの間にか陽は沈み、代わりに月明かりを背に、そこにはすらりとした長身の貴族の青年が立っていた。
鷹通のほうからは顔すら見えないが、身なりからしてそれなりの身分であろう。
「……どなたかは存じませんが、助けていただいてありがとうございます」
「…………」
黙ったままその貴族が横を向き、その顔が鷹通の目にはっきり映った。ぶわっ！
勢いよく南風が入り込んできた。
思わず目を細める鷹通に、飛び込んできたのは白。
白の花弁。風に乗ってどこからか桜の花弁が飛んできたのだ。
「あ……？ え…？」！！
鷹通の頭の中を、記憶が一気に駆け巡る。
白。
白の中の白。
そして赤。「………」
何も言わずに去ろうとする貴族を鷹通は凝視する。
間違いない。
間違うはずもない。
夢でも、幻でもない。
去っていく背中に鷹通の声がかかった。「……友雅殿…！」
ゆっくりと、動きを止めた。
振り返ったその姿は四年前と変わりなく………。「鷹通」
名を呼ぶ声も、変わらず優しく響いて鷹通に届いた。
そして走り出し、二人の時が始まる。「遅くなってすみませんでした」
「本当にね。待ちきれずに来てしまったよ」
「……嬉しかったです。昔も、今も」
「そう」
「やっと会えましたね」
「………私はずっと見ていたのだけれどね」
「ずっと……ですか？」
「そう。これからもね」
戻る / 1 / 2 / 3 / ４ / 5 / 6 / 7
後書き…
やっと終わりました〜。長かった……。鷹通苛めもすごいところまで来てますが、
最後はまあ私らしくハッピーエンドなので許してやってください。（え？ ダメ？）
ちなみにこの小説のタイトルと同じタイトルの同人誌が私と相方の初の遙かの
オフ本です。内容は全然違いますが〜。タイトル気に入っていたので、そのまま
流用。というかタイトルにあわせてイメージ作ってみました。