夢幻花影5
「まだ咲かぬ花を手折るとは無粋な輩だ」
現れた青年に男たちは一瞬気をとられつつも、すぐに態勢を整える。
「少将殿、先程使いを送ったばかりだというのに、ずいぶんと早いお着きではないか」
「使いの者にはここへ向かう途中会いましたからね。丁度ここへ来るところだったのですよ」
場にそぐわない悠然とした青年は笑みをまじえて答える。それにくらべ男たちは突発的な事態に余裕を失いつつあった。
「少輔殿を殺めたのは少将殿だな？」
「ええ」
「他にも数人、我らが同志を殺めたのもそなただな？」
「ええ」
「誰の命令だ？」
ただ飄々と答えていた友雅もこの質問にはさらりと答えるわけにもいかない。だが笑みを崩すこともなくまだ余裕のありそうな顔つきである。そして一歩踏み出す。
「さて……説明の必要もありますまい」「おっと！ 動かないで頂きましょう」
！
鷹通の首筋に冷たい金属がピタリと当てられていた。
「貴方が動けばこの者の細い首を切り落とします」仰向けに寝かされて額を抑えられた鷹通は起き上がることも出来ない。その上刃物を首に当てられていては身じろぎ一つもままならない。
だが、こんなつまらぬ事で青年の仕事の邪魔をする気は鷹通にはない。
自由な腕で刃物を持つ男の手をつかむ。
「！ この…！」
鷹通は刃物を自分の首へと下ろそうとするが、男は人質に死んでもらっては困るわけだから刃物を引こうとする。
「鷹通、やめなさい」
もみ合う二人に友雅の静止の言葉が飛ぶが、鷹通はやめようとはしない。
争ったため鷹通の首は薄く切れ、鮮血が伝う。
「く……っ！」
力をこめようにも体勢が悪い。男は一気に刀を引く。
「うわ！」
勢い余って後ろにひっくり返った男に何かがぶつかる。なんだろうと思い、目線を下に向ける。
「ひ……！」
息を呑む男が見た者は、変わり果てた仲間の姿。気が付いてみれば、すでにこの場で立っている者は最後に現れた青年だけであった。
青年は静かにゆっくりと男に近づいてくる。
「ひ…ひぃ」
腰を抜かして尻餅をついたままあとずさる男は、段々と近づいてくる青年の笑みに更なる恐怖を覚える。
「た…助けてくれ！」
「君は鷹通を人質にとったからね」
「あ、あれは頼まれたのだ…！」
「まぁ、でも結果的に鷹通の自害を止めてくれたわけだし、その点では礼を言わせてもらおうかな」
にっこりと一段と微笑んで友雅は言った。男はわずかにもしかしたら見逃してくれるかも、と期待を持つ。
だが、その笑顔を見せたまま友雅は男の眉間に向かって手のひらに収まるほどの特殊な小刀を投げた。それは狙いをはずすことなく男の眉間を貫いた。そして、そこには少し前まで生きていた物と、友雅、鷹通が残された。
「…………」
「…………………あの…」
沈黙に耐え切れずに上体を起こした鷹通がおずおずと友雅に声をかける。鷹通の位置からでは友雅の横顔しか見えず、薄暗がりの中では表情すら見えなかった。
少なくともさっきまでの笑みは消えているだろうが。
「すみませんでした…」
「………何に対して謝っているのかな」
とりあえず謝っておこうとした鷹通に、冷ややかな友雅の声が飛ぶ。
「え…私がつかまったばかりにご迷惑をおかけしたことを……」
「………」
何も言わない友雅に、鷹通はいたたまれなくなって今すぐこの場から逃げ出したい気分になる。だがそういうわけにもいかず、今は耐えるしかないと思った。
冷たい目も、冷たい言葉も友雅の当然の権利だ。
「……鷹通」
「は、はい！」
「服を着なさい。そのままでは風邪を引く」
言われるままに鷹通は男たちの手ではだけられた着物を着込む。このあとの友雅の行動を考えながら。
着物を整え、乱れた髪も結いなおすと、ようやく鷹通の気分も落ち着いてきた。
「……では、行こう。話したいこともあるしね」
「はい…」邸を出てからというもの、終止友雅は無言であった。
その後をついて歩く鷹通も、気の利いた言葉も浮かぶわけはなく、ただ黙って付いていくしかなかった。
「………鷹通、ここだよ」
着いた先は鷹通の父のものとと大差ない邸。どうやらここが彼の邸らしい。
勝手知ったる我が屋とばかりに友雅が門をくぐり、慌てて鷹通は後を追った。
質素ながらも庭木は丁寧に整えられ、衛兵などもきちんとしつけられているらしい。
「おいで。傷の手当てをしよう」
庭を巡り、渡殿を通ることなく直接主の寝室に招かれる。家の者を起こすまいとした気遣いからであろう。
友雅が燈台を灯して、鷹通にどこか腰をおろすように言って部屋から出て行く。
「はあ……」
腰をおろすとようやく緊張を解く。
夕方からずっと神経を張り巡らせていたので、鷹通はかなり消耗していた。……傷の手当て、か。
自分自身すっかり忘れていた首の傷。
皮一枚程度なのでたいしたことはないのだが、自分では見えないが友雅は気になるのだろう。
それにしても殺す相手を気遣ってどうしようというのか。
私は殺されなくてはならないのに。
なのに……あの人は助けにきてくれた……。ぽたっ。
正座をした足のひざの上で強く結ばれた拳の甲に、一滴、また一滴と涙が落ちる。嬉しかった……。
「鷹通？」
足音もなく部屋に戻り近づいた友雅は、鷹通が泣いてる事に気付き眉を寄せる。
「すみません……すみません……」
ただ泣きながら謝り続ける鷹通に友雅はさらにいぶかしげな顔をした。持って来た水を汲んだ桶と、清潔な手ぬぐいを横において、鷹通の前に腰を下ろす。「鷹通、どうしたんだい？」
「……すみません…」
「仕方ないねぇ…」
泣く子には勝てぬと、笑みをこぼすと共に友雅は鷹通の細い体を腕に抱きこんだ。まだ成長しきっていない鷹通の体は、妙に友雅の腕になじむ。
胸の中で泣きじゃくる鷹通をなだめるように友雅は背中をゆっくりと優しく撫でる。
何か新しい感情が、友雅の中に広がっていった。
今まで知らなかった暖かで優しい穏やかな気持ち。
「鷹通、傷の手当てだけして少し眠ったほうがいい。」
「……っ…っく」
手桶を引き寄せて手ぬぐいを絞る。鷹通に顔を上げさせて、すでに乾ききった血をふき取っていく。せっかく塞がった傷ではあるが消毒だけはしておかなくてはいけない。
消毒の後、これくらいの傷なら乾かしておくべきだとそのままにしておくことにし、鷹通の体を敷いてあった布団の上におろす。
腕の中の鷹通は泣きつかれたのか、すでに寝かかっていた。ただ友雅に身をゆだね、その大きな瞳を閉じて穏やかな顔をしている。
起こさないようにゆっくりと着ている物を脱がせていく。小袖姿にしたところでようやく鷹通の体に上の布団をかけた。
鷹通は起きる気配もなく、ぐっすりと眠っていた。
あれだけのことがあった後だ、疲れていて当然か。「おやすみ、鷹通……」
起こさないように静かに友雅は囁くと、鷹通は起きないまでも表情を変えて目じりを下げて安心しきった笑顔を見せる。
額に乗った鷹通のくせのない前髪をさらりとかきあげると、友雅は部屋を後にした。