夢幻花影3
そのまま残業帰りのふりをして門をくぐり、少年を後に従えて青年は歩を進めた。２歩あとを懸命についてくる少年の姿が何だか可愛らしくて思わず頬が緩む。
「少し早かったかな」
「いっいえ、だ、いじょうぶ、で、す」
健気なのか負けん気が強いのか、少年は弱音を吐こうともせず息も絶え絶えに顔だけは笑顔を見せた。そんなところも可愛らしく見える。
おそらくはまだ出仕し始めて間もないのだろう。まだ世慣れてないふうであったし、顔立ちも元服したにしては幼い。
まだ男性的というには遠い顔立ち。白い肌、長い睫毛に縁取られた黒く大きな瞳、すっと通った眉と鼻、小さな赤い唇、それに息が少し上がったために、桃色に染まる頬。たしかに中性的な魅力がそこにはあった。女性よりも男性が惹かれるだろう事も予想はつく。
そこで青年は眉をしかめる。
だからといって、このような子供にあのような無体。おそらくはあのときが初めてということもあるまい。
青年の勤め先と治部省は離れていたから噂は聞こえてこなかったが。
「ここまで来たら急ぐこともない。月でも眺めながらゆっくり行こう」
いつもながらの調子で少年に笑いかけてやると、ぎこちない笑みが返ってくる。……ああ、この子は私と同じように闇の中にいるのかと思っていたが。
「名前、聞いてもいいかな？」
「………藤原、鷹通と申します」
少年の歩調に合わせ青年はゆっくりと歩きながら問う。鷹通と名乗った少年は瞳をやや伏せ、沈黙の後に小声で答えた。
『藤原』、か…。
だが、少輔などに好き勝手にされるならおそらくは官位はそこまで高くない。藤原の中でも下の方の家柄であろう。
「あの…貴方のお名前は？」
歩調が落ちたおかげでようやく息も整い、鷹通は上目で青年のほうを見上げてくる。
笑顔のまま青年は何も言わずにただ少年の目を見た。「………あの…」
沈黙に耐え切れずに先に口を開いたのは鷹通のほうであった。
「……知らないほうが君のためだよ」
「ですが……！」
鷹通が自分に興味を抱いていることは知っていた。ただどのような感情であるかは気付いていないようだが。
あのときに殺すべきだった。
自分の仕事のことは誰にも知られてはいけない。
表沙汰になればあの方もただではすまない。あの方の権威も失墜するであろう。そうなれば、今の貴族の勢力図が大きく変わることになり、更に乱れる。
元々が乱れが起こる前に見せしめのために人を殺しているのだから、殺人者である自分の正体は誰にも悟られてはならなかった。
そのために幼き頃から人を殺す術を学び、感情を抑え、誰にも興味を抱かないように育てられた。そしてそのように生きてきた。
自分が異質であることは知っていた。誰を相手にしても、誰を組み敷いても何の感情も抱かない。
快楽もそれなりにあった。こんなものだろう、といつも冷めた目で見て。「鷹通。私は君を殺さなくてはならない」
そう言うと、少年は大きな瞳を丸くさせて青年を見上げる。だが、彼は決して目をそらそうとはしなかった。
「…………はい」
この小さくて細い体に、何があったというのだろう。
死というものを理解していないようには見えない。
ただ、何もかもあきらめているのか。「……橘、友雅」
隣を歩く青年の口から紡がれた言葉に、少年は驚く。
青年もまた、自分の行動が理解できずにいた。
「え……？」
「それが私の名前だよ」
驚いた後に、鷹通の顔が照れくさそうにゆがめられるのを見て、青年は何故だか自分も嬉しくなった。……これは何なのだろう。