■音叉…四■
| 「まぁ、若様すごいお顔ですわ！」 言われなくとも自覚症状はあった。 泣きつかれて眠ってしまったせいで、おそらく顔は赤く見事なまでに腫れ上がっていることだろう。目の周りがひりひりと痛む。 それでも、昨日よりは幾分か気分はすっきりとしていた。 しかし、この顔では今日はどこへも行けないだろう。 出仕をしていらぬ詮索をされるのもごめんだし、神子のところへ行っても心配をかけるだけだ。今日は物忌みとでも称して邸でゆっくり休むことにしよう。 「今日は邸で休みます。そのように取り計らってもらえますか」 鷹通の顔を見て驚いている女房は、声をかけられてようやく我に返って苦笑する。 「はい。それでは何かお顔を冷やすものでも持ってまいりましょう。せっかくの若様の綺麗なお顔が台無しですわ」 綺麗な顔……同じ事をあの方も言った。 大の男がそんな事を言われても嬉しくもないのだが、あの方はこの顔を気に入っているとも言っていた。だから、それはそれでいい気がしていた。 さすがにこんな顔ではあの方も興醒めだろう。でも、もうそんな事を気にする必要もないんだ。 鷹通は部屋の柱に背を持たれかけさせ、適度に手入れされた庭をぼんやりと眺める。 今日は日は出ておらず、あいにくの雨だった。 ……あの方はどうしているだろうか…… あの方のことだ、私のことなど気にもかけずにいつもどおり飄々としているに違いない。 いつか彼は記憶を取り戻すだろうか。 そのとき私の気持ちはどうなっているのだろう。 いつまでも変わらない想いがないことは、今回の一件で分かった。 それでも何も言わずに逃げるよりはずっと良かったと思う。きっとこれで後悔することもないだろうし、そのうちに未練もさっぱりなくなるだろう。 この痛みも消えていくことだろう…… 「ねぇ、君。その水桶はどこへ持っていくんだい？」 鷹通の顔を冷やすために用意した水桶と手ぬぐいを運んでいる途中で、庭から声をかけられ女は声のした方を向く。 「まあ…！」 そこに立っていた人物に思わず感嘆の声をあげ、頬を染める。 「それは彼のところへ持っていくのだろう。私が持っていっては駄目かな？」 「ですが、あなた様にそんなことはさせられません」 しかし、現れた男は邸に上がりこむと強引に水桶を受け取って微笑む。この男に微笑まれたらもう逆らうことはできない。 「これは私が持っていく。今日は彼の部屋には誰も近づけないでもらえるかい？ 帝から大事な勅命があってね」 「は、はい」 極上の笑顔にぽーっと見惚れて立ち尽くす女房をそのままにして、男は目的の部屋へと向かう。 サー… 雨音に紛れ、誰かの足音が聴こえる。 顔を冷やすものを持ってくるはずの女房だろう。 ごと…。水の十分に入った水桶が横に置かれても、鷹通はまだぼんやりと庭を眺めたままだった。 まるで自分の心の中のように、空は曇り、雨はとめどなく降り続ける。 この雨が上がったら、自分の気持ちも晴れるだろうか。 「はい」 水を含ませ絞られた手ぬぐいが、鷹通の目の前に差し出される。 「ありがとう」 顔も見ずに鷹通はそれを受け取って顔に押し当てる。 ……気持ちいい。 ひんやりとした感触に目を閉じて浸っていた鷹通は、次の言葉で顔に当てていた手ぬぐいを取り落とす。 「すまなかったね、鷹通」 ぼと。 な…… ななな…… 腫れている瞼をお構いなしに目を見開いて、隣にいる人物を凝視する。 「……ど…うしてここに…」 驚くどころではない。 昨日あんな別れ方をして、そのせいで顔が腫れるほど泣くことになった原因ともいえる人物がそこにいたのだ。 「謝りに来たんだよ」 眉を寄せて笑う友雅の目は優しくて。 でもそれは…… 顔をうつむかせ、鷹通は身を硬くする。 「何を謝るのですか。私が勝手に告白して泣いているだけです」 ……同情なんていらない。 それとも神子に言われてきたのだろうか。 どちらにしろ、今一番会いたくない人物だった。 「鷹通」 「帰ってください。今あなたのことをふっきろうとしているのです」 聞きたくない。 見たくない。 両手で頭を抱えるようにして鷹通は耳を抑え、ひざに顔をうずめる。 まるで駄々っ子だ。 都合の悪いことから耳を塞いで。 それでも……もうこれ以上は嫌だった。 みじめな思いをするのも…。 ……昨日の今日で立ち直れるほど、神経が丈夫にできないないのだ。 「鷹通、聞いてくれないか」 「……お願いですから、帰ってください」 もう……これ以上傷を広げるのは嫌だった。 「……鷹通」 ！ 耳を塞いでいる手首をつかまれ力ずくで引き剥がされてしまう。それでも友雅の顔を見ずに頑なに眼を伏せたままの鷹通に、友雅は顔を寄せる。 「頼むから聞いてくれ」 耳元で囁かれる声は、いつもの余裕がなく鷹通に負けじと悲痛なものを感じさせた。だから、もう何も言えなくなった。 大人しくなってしまった鷹通に、友雅はようやく手首を握る力を緩める。 「たくさん君に謝らなくてはいけないね」 「………」 謝罪される覚えなど、鷹通にはない。 聞きたくないのに、それでもこの声だけは無視できない。 耳が、頭が、体が反応してしまう。 「ひどく泣かせてしまった」 友雅の暖かくて柔らかな唇が鷹通の腫れた瞼に頬に降りそそぐ。 ……え？ 顔を上げると、友雅は困ったように笑っていた。 「ひどく傷つけてしまった」 手首をつかんでいた手を離すと、その両腕で鷹通の体はすっぽりと包み込まれた。 戸惑う鷹通を抱き寄せて、その長く艶やかな髪に友雅は顔をうずめる。 思ってもいなかった事態と、友雅のぬくもりと優しい香のかおりに鷹通は混乱する一方だった。 「友雅……殿……？」 「君のことを忘れてしまって、すまなかったね」 ………では…… まさか…… 「私のことを思い……出したのですか？」 至近距離で見る友雅の端正な顔が優しく笑んだままうなずく。 「神子殿が龍神の力を借りて、記憶を戻してくれたんだ」 最初からそうしなかったのは、そんな力がある事をあかね本人も知らなかったからだった。龍神の声が聞こえて、慌てて友雅の邸に駆けつけたときにはもう鷹通の帰ったあとだったのだ。 「友雅殿……」 「…鷹通」 良かった…… 記憶が戻ってよかった…… また大きな瞳に涙がにじんできたので、それが零れ落ちないように鷹通は目を閉じる。 それが自然と友雅の口付けを受け入れる形になってしまった。 「……鷹通、愛しているよ」 ■■■ 夕方ごろになって、鷹通は茜色の空がまぶしくて目を覚ます。 けだるい体を起こすと、部屋の中を見回してみる。 鷹通の近くには湿った手ぬぐいが落ちていた。どうやら寝ている間にはずれてしまったようだ。 「……起きたかい？」 その声の主の姿を探すと、茜日の射す西の廊下の手すりに寄りかかっているようだった。部屋のかなの鷹通からはまぶしくてその表情はつかめない。 雨はやんだようだ。 「はい……っ痛…っ！」 動こうとした瞬間、下半身に鈍痛が走り鷹通は顔をしかめる。 「大丈夫かい？」 「……はい」 その痛みは半分鷹通の望んだもの。 だから妙に気恥ずかしくて、返事も小声になってしまった。 この痛みなら我慢できる。 友雅に拒否されたときの痛みとは比べ物にならないくらい優しくて甘い痛み。 動けない鷹通に代わって友雅のほうが立ち上がり近づくと、鷹通の横に腰を下ろす。そしてその両腕に鷹通の体を再び抱く。 「……ねぇ鷹通」 「はい？」 「…………」 一体どうしたのだろう。 友雅が言いよどむなど珍しいこともあるものだ。 首をかしげる鷹通に、友雅が真面目な顔をして口を開く。 「……君の返事を、私は聞いていないのだが」 ……… …………は？ そういえば記憶のない友雅に告白はしたが、戻ってからは何一つ言っていなかった。 もしかして……記憶をなくしていた間の記憶がない……？ 「友雅殿は…ここ数日の間の記憶がないのですか？」 「いや、君以外のことはきちんと覚えているんだが。仕事とか八葉の役目とかはね。けれど、どうも君の事になると記憶が曖昧でね」 …………。 それは……。 黙りこんでしまった腕の中の鷹通の顔を友雅は覗き込む。 「鷹通？」 「……私はちゃんと言いましたからね」 にっこりと…この上なくにっこりと鷹通は微笑んだ。 これくらい意地悪してもいいだろう。散々振り回されたんだし。 しかし、その仕返しは相手が悪かった。 「ふむ……。それじゃもう一度君の体に答えを聞くとしようか」 |
11111HIT戒さまのリクエストで友×鷹
甘くてせつない系……？？？
いや、もう何が何やらといった感じがしますが。
甘さがどうも足りない気がします。はわ〜。
すみません。修行不足でございますね…。ガクリ。
一応コピー本の「花嵐」の続編としても読めます。