SHORT <Daily Life:Night-first part-/JADE>
| 「幸鷹、調べ物はそれくらいにしてご飯にしないか？」 「………」 声をかけても幸鷹からの返事はない。まだ怒っているのか、それとも調べ物に熱中しているのか、もしくはその両方なのか。 眼鏡の奥の大きな両の目を古い本に落としてパラパラと斜め読みしている。そして一通り目を通し終わるとパタンと本を閉じて元にあった場所に戻す。 「幸鷹」 それを見計らって声をかけると、今度は返事が聞けた。 「なんだ？」 「夕食を用意したから、一緒に食べようじゃないか」 「一人で食べたらどうだ。私はさっさとすませて帰りたいんだ」 つれない返事。 だが、一朝一夕で終わるような蔵書の量ではない。このままこの書斎にこもっているというのも不健康だし、何より食を抜いては力も出ないだろう。 次に幸鷹が本棚から引き抜こうとした本を手でおさえて止めると、当然のように大きな目が怪盗ジェイドをにらみつけてきた。 「食べないと言うのなら、実力行使に出るよ？」 顔は笑っているが、声は笑っていない。 脅しても幸鷹には反感を買うだけだろうと思ったが、予想に反して幸鷹は怒りもせずただ肩から力を抜いて盛大なため息をこぼしたのだった。 「……いいだろう。お前にも聞きたいことがあるしな」 晩餐用の無駄に長いテーブルの片側に二人は向かい合って座った。用意したのは和食。この洋館になんとも不似合いな感じであるが、幸鷹の好みを知っていたからわざわざ和食にしたのだ。 その料理を前にして、幸鷹は妙な顔をする。 「君の口に合うかはわからないがね」 「……これは、お前が作ったのか？」 「他に誰が作ると言うんだい」 そんなことが気になっていたらしい。 怪盗ジェイドにはたいした問題ではないと思うのだが、幸鷹には大問題だったらしい。 まさか騙され、拉致され、軟禁され、手作りの夕食をふるまわれるとは思ってもみなかったのだろう。 「……その格好で？」 幸鷹の言葉に自分の姿を見下ろすと、いつもの白いタキシードが目に入る。 「まさか。ちゃんと料理をする前は手袋をとって手を洗ったさ」 そう言うと、今度は奇妙な沈黙。 幸鷹が何を気にしているのかが分からない。 「食べないのかい？ 毒なんて入れてないよ」 協力を仰いだ人間に毒を盛る事を心配しているのだろうと思ったのだが、幸鷹は軽く頭を抑えてまたため息をついた。 「……もういい。いただきます」 親の教育の賜物だろうか、こんな状況でもいただきます、と手を合わせる幸鷹はとても可愛らしいと思う。だが、そんなことを考えていると顔に出した時点でまた幸鷹が怒り出すだけだろう。 せめて食事中だけは大人しくしておくか。 時間はたっぷりあることだしね…… 「……何をニヤニヤしているんだ」 いけない。 よからぬ妄想をしていることが表に出てしまったようだ。 これ以上詮索されぬようにと、怪盗ジェイドはにっこりと微笑んで見せる。 「いや、食事は口に合ったかな？」 その質問に幸鷹は眉を寄せてもごもごと口ごもった。 「……ま…ずくはない」 おいしいとは口が裂けても言わないのが幸鷹らしくて微笑ましい。やっとのことで幸鷹はそれだけ言い、でもまだ顔を赤くして目を自分のほうへ向けようとはしなかった。 そんな顔をされてしまうと、ねぇ…… これからのことに責任は取れなくなってしまうじゃないか…… ■■■ 夕食も一通り食べ終え、椅子に座ったまま一服しようとしたときのことだった。そろそろ頃合かと、幸鷹が質問をしてくる。 そういえば何か話があると言っていたな。 はっきり言ってこの邸の遺産のことなど、怪盗ジェイドはどうでもよくなっていた。 幸鷹とこうしてくつろげることだけで十分元は取ったと思ったし。 あとは今晩…… 「……聞いているのか！？」 「え？ ああ、ここの老人から何かそれらしいヒントはなかったかということかい？」 「そうだ。ところでその人はお前の正体を知っていたのか？」 それについては自分から言ったこともないが、隠そうとしたこともない。 もしかしたら気づいていたかもしれないが、本人に直接会ったことはないので今となっては知りようもないだろう。 気づいたなら気づいたでどうせ自分の住所はただの隠れ家の一つであったし、かまうことはなかった。 「どうだろうね。教えもしなかったが、隠しもしなかったよ」 その言葉を聞くと、幸鷹は人差し指を唇にあてて考え込む。 いつもこうやって自分の事を考えてくれているのか… 「……気づいていただろうな」 「その根拠は？」 「でなければ最後にお前に挑戦していくはずがないだろう」 ふむ。たしかに。 そうとわかればもう用はないというように、幸鷹は勢いよく立ち上がりまた書斎のほうへと引き返していく。もう少しこうしていたかったのだが、何か謎があれば曖昧なままにしておけず、解決を試みてしまうのが幸鷹だ。 うーん……もう自分のことなど目にも入っていない。 感嘆するほどの集中力だが、周りが見えなくなるほどの集中力というのはどうにも危なっかしい。 ……特に自分の前では、ね。 ■■■ 食器やらの後片付けを済ませて、書斎へと向かうと部屋は真っ暗だった。書斎の電灯のスイッチの在り処を探すよりも、備え付けの懐中電灯を使ったほうが早いと判断したらしい幸鷹の居場所は、大体高さにして２階と３階の間くらい。梯子に座って手元の本に集中しているようだった。 危なっかしいといったらない。 とりあえず入り口の近くにあるスイッチを押すと、書斎の天井にあるシャンデリアがオレンジ色に光る。とりあえず足場確認くらいはできるだろう。 「ジェイド……宝石……違うな…」 幸鷹がぶつぶつと独り言を言いながら、本をケースに入れ棚に戻してその隣の本に手を掛ける。 やれやれ。 どうやら自分がこの部屋に入ってきたことにも気づいてないようだ。 仕方ないので幸鷹が上にいる梯子を怪盗ジェイドはするすると難なく上っていく。そして幸鷹のところまでたどり着くと幸鷹の手元にある本を覗き込む。 どうやら宝石の本らしい。 だが目的の本ではなかったらしく、すぐにパタンと閉じるとケースに入れ棚に戻す。 「……あ、これか！」 幸鷹が棚に目を向けると声をあげ、瞳を輝かせ見つけた本を抜き取る。そして中を確認するでもなく、もう一冊手に持っていた開かれていない本を、今抜き取った本のケースに入れ棚に入れた。 「あとは……」 「幸鷹！」 いくら土台がしっかりしていても、ここが梯子の上であることに変わりはない。急に立ったりしたら当然バランスを崩して…… ぐっ！ 片手でしっかりと梯子をつかんで、もう片方の手でぐらっと揺れた幸鷹の体を抱える。 「わっ！」 それでも目的の本を手放さないというのは、仕事熱心というか不注意極まりないというか… まったく。冷や汗をかいたじゃないか。 「ちゃんと足元を見なさい」 「す、すまない。それより早く手を放してくれ。下に降りたいんだ」 一応は謝っているが、きっと自分の言葉など頭の中に入っていないだろう。 「その本は私が持って降りよう。寄こしなさい」 今度はしっかりと梯子をつかんでいる幸鷹のもう片方の手にある本に手を伸ばすと、渋々と幸鷹はその本を手渡した。 「落としたりしないでください………って、怪盗ジェイド！！」 幸鷹のそんな心配をよそに、怪盗ジェイドは本を片手にひらりと身を宙に躍らせる。 ストン、と綺麗に着地を決めてまだ梯子の上で硬直している幸鷹にひらひらと手を振って笑顔を向けた。 「君も飛び下りるかい？ ちゃんと私が受け止めてあげるよ」 「ばっ！ そんな危険なことできるはずがないだろう！」 自ら自分の腕に飛び込んできてくれることを期待したのだが、どうやらそれは叶わぬようだ。別に素直に飛び込んでくるとも思っていなかったからいいけれど。 幸鷹はようやく頭が冷えたのか、一歩ずつしっかりと確認しながら梯子を降りてきた。 そして下で待っていた怪盗ジェイドの手から先程手渡した本を奪い取ると、幸鷹は迷わず視線を北向きの本棚の一角に向ける。 一体何を見つけたのだろうねぇ…。 とりあえず自分は幸鷹の行動を見守るしかないだろう。 「ここだ……」 幸鷹はどうやら隙間の空いているらしい本棚に持っていた本をケースに入れて差し込む。 「！」 ピッという電子音がかすかに耳をかすめた。 第六感が危険を知らせ、怪盗ジェイドの体を支配する。 考えるよりも先に体が動き出し本棚の前の幸鷹の体を抱え込んだ瞬間、足場がなくなったのを感じた。怪盗ジェイドは右手で幸鷹の体を抱えたまま、左手でマントの飾り紐をボタンごとはずす。真上のシャンデリアにその手を向けてスイッチになっているボタン部分を押すと、そこからワイヤーが飛び出しシャンデリアにからみつく。 「くっ！」 一人分ならともかく、二人分の体重を支えるには手に負担がかかるな。 歯を噛みしめてその手にかかった重力をこらえる。 「か、怪盗ジェイド……」 シャンデリアから宙に吊り下がった状態になった状況に、さすがの幸鷹も腕の中から心配そうに声をかける。何か仕掛けがあるとは思っていたのだが、まさか部屋の床が真ん中から開閉するとは思っていなかったのだろう。 「懐中電灯を持っていただろう。それで下を照らしてみてくれないか？」 特に何の負担もないといった声を装って、怪盗ジェイドは幸鷹に指示をする。だが、幸鷹の両腕はしっかりと怪盗ジェイドの背中に回されていて、怪盗ジェイドの指示にさらにぎゅっと強くタキシードを握った。 たしかに急に足場がなくなっては不安なのもわかるが、いつまでもこの状態でいるわけにはいかない。ワイヤーを収納させることもできるが、これは一人用に作られているので二人を引き上げるのは無理だろう。 シャンデリアの薄明かりでは、この部屋の落とし穴の底には光は届かない。両手をふさがれている以上、ここは幸鷹に動いてもらうしかなかった。 幸鷹の耳元に唇を寄せて囁くようにして挑発をする。 「怖いの？」 「だ、誰が……っ！」 「私がしっかり支えていてあげるから、ね？」 おそらく幸鷹の顔は真っ赤になっていることだろう。 だが、左手は背中をしっかりとつかんだままだったが、右手を放してごそごそとジャケットのポケットを探り始めた。 カチ。 スイッチの音がしたので、怪盗ジェイドは幸鷹の体の脇から下を覗き込む。かすかにだが、光が反射しているのが見えた。 ここからだと８メートルくらいか。 飛び下りられない高さではないが、幸鷹を無事におろすのが最優先だろう。さっきまでいた部屋の１回の高さからは大体１２メートル。穴の深さは約２０メートルという計算になる。 ワイヤーをぎりぎりまで伸ばしたとしても２０メートルが限界だから、シャンデリアまでの高さを差し引いて残りは５メートル。 腕を伸ばしても残りは４メートル強。 「４メートルの高さから飛び下りることはできるかい？」 「……するしかないんだろう？」 覚悟はできているようだった。 その潔さに、怪盗ジェイドは笑みを浮かべる。 「ワイヤーをもう少し伸ばすから、また揺れるよ」 「わかった」 |
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