SHORT <Daily Life:After noon/Yukitaka>
| 「ふぅ……」 手に持っていた掃除機のスイッチを切ると、幸鷹は背筋を伸ばして深呼吸をする。 大きな窓からは春のうららかな陽気が入り、部屋の中を明るく照らし出す。こういう日はいいことがあるといいな、と幸鷹は瞳を細めて窓の外を見た。 １０階建てのさして大きくないビルの９階に幸鷹の探偵事務所はあった。 ちなみにこの建物は幸鷹が警官を辞める際に母親からもらったもので、どうやら餞別の意味もあったらしく、幸鷹はありがたく受け取ることにした。探偵など儲かりもしないのに、この一等地のビルに事務所を構えられる理由はそこにある。階下のテナントからの建物の使用料で事務所は成り立っていた。 怪盗ジェイドが予告を出したと聞いては、事務所を投げ出して駆けつける幸鷹だったが、他に探偵として活躍してないわけではない。警官だった頃の知人や、副総監の兄などから相談事を持ちかけられることもあれば、ささやかだがこの事務所に依頼に来る人間もいる。 昨晩は怪盗ジェイドを捕まえるために現場へ行っていて、明け方までかかりきりだったので、こうして事務所を開くのが午後になってしまった。 まあ、この事務所は毎日人が尋ねてくるわけでもないのでかまわなかったが。 リン…… 入り口のドアが開いた音がする。依頼人だろうか？ 幸鷹は掃除機を部屋の片隅に置くと、入り口のほうへと向かった。 「何かお困りでしょうか？」 「ええ。でなければこんなところへは来ませんわ」 やや高飛車な感じのしゃべり方だが、掠れたハスキーな声。 黒いベールのついた帽子に、ロングタイトスカートの上品な黒のスーツを着こなし、手には黒い手袋をしている。身内に不幸があったのだろうか。全身黒ずくめの喪に服するいでたちであった。 だが幸鷹が何より驚いたのは、その身長。幸鷹も低いほうではないが、ヒールを抜いても成人男子の平均身長をさらに上回る女性というのは珍しいだろう。 身なりもきちんとしているし、身のこなしも優雅。 もしかしたらモデルか女優なのかもしれない。 「では、中へどうぞ。お話を伺わせていただきます」 幸鷹がドアを開いてみせると、当然のように女性は幸鷹の開けてくれているドアをくぐる。女性に続き幸鷹も部屋へ入ると、応接セットのソファを手で指し示す。 「どうぞ、お座りになってください」 言われるまでもなく女性はソファに腰を下ろし、その長い足を組むと必要以上に入ったスリットからストッキングに包まれた足が覗く。 だがそういう情緒に乏しい幸鷹は気にするでもなく、コーヒーメーカーからコーヒーをカップに注ぎ、自分も向かいのソファに座って話を聞く体勢に入る。 「では、お話を伺わせていただけますか？」 すると女性はベールの奥で唇の端を上げて微笑む。 「ええ。先日私の祖父が亡くなりました。いえ、お悔やみは結構。財閥の総帥という職業柄、人から恨まれはしても誰もあの人の死を悲しむ者などおりません。家族でさえもですわ」 とりあえず調書やメモを取るのが普通なのだろうが、その点幸鷹は一度聞いた事は忘れない。幼い頃から神童と言われ、その力を遺憾なく発揮し、さらには警察機構に入りその才の限りを尽くすだろうと本人も周りも思っていた。 ……怪盗ジェイドに出会うまでは。 「それで、私への依頼とは？」 無駄な話は好まない。 まずは依頼人に話させて必要な情報を選別するのだが、この依頼人は探偵事務所という場に飲まれることもなく堂々としている。 ならば依頼を先に聞き、必要な情報をもらったほうが早そうだ、と幸鷹は踏んだ。 女性もそれを察してか、単刀直入に物を言うことにしたらしい。 「祖父の邸に隠された遺産の在り処が書かれた手紙を探してほしいのです」 ■■■ 道中、彼女が言うことには彼女の祖父は、遺産の在り処は邸のどこかにそれを記した、と遺言状に遺し死んだそうだ。もちろんそれだけでは手紙かどうかも分からない。 邸中を人海戦術で持ってくまなく探すということも考えたのだが、それでは見も知らぬ第三者の目で見つかる可能性もある。 かの財閥の総帥であれば遺産は天文学的な数字になるはずだった。 しかし遺言状にはもう一つ問題があったのだ。 その遺産を見つけた者にすべてを譲る、と。 もちろんそんなことは法で認められていないが、それでも発見者にはわずかながらの相続が認められるだろう。その莫大な遺産の一端であれ、普通の人間には一生かかっても使いきれない額になることは間違いない。 それで、探偵である幸鷹に依頼をしにきたらしい。 幸鷹の家は裕福であったし、幸鷹自身も必要以上の身銭には魅力も感じない人間だった。その点では彼女の人選は正しかったと言えるだろう。 そして、彼女の車でその祖父の邸とやらに向かうことになったのだった。 「こちらですわ」 案内された先はたしかに邸と呼ぶにふさわしい建物だった。 都会の喧騒から少し離れた山のふもと、その広大な敷地の中に邸は建っていた。車で通り過ぎた門は遙か遠くに見える。 たしかに、人海戦術を使うにしても労が折れることだろう。 この邸を一人で闇雲に探すのは１年やそこらでは無理だ。 中に入れば何かしらヒントがあるはず。 「どうぞ」 車を運転していた執事らしき初老の男性が、重そうな扉を開いて女性と幸鷹を招き入れる。 やはりというか、お約束的に玄関から広がるフロアには赤いカーペットが敷いてあった。中には人の気配はしない。 どうやら、仕えていた者たちも人払いをしたらしい。 せめてその祖父の世話をしていた者には話を聞いておきたかったのだが。 「こちらへどうぞ。祖父の書斎と寝室があります」 まずはそこから始めるのが賢明だろう。 そしてまずは寝室。大きな部屋の真ん中には天蓋つきの大きなベッド。日中であれば南に面している大きな窓から明かりが入りまぶしいくらいではないだろうか。今は車で走っているうちに日が暮れてしまってただ淋しい印象しか受けない。 とりあえず動けなくなってから老人が邸をうろついては目立ってしまうだろうし、人を使ったのならもう発見されていてもおかしくない。だとすれば老人は倒れる前、自由に動けるうちにこの邸に何かを記したと考えるほうが妥当だろう。 「書斎はこちらですわ」 その寝室と隣り合わせの部屋に老人の書斎はあった。 そのへやは３階まで吹き抜けとなっており、その壁中に本棚があり、さらにその本棚には本が隙間なく埋め尽くされている。これを全部調べるとなると眩暈がしそうな量だ。 まずは机周りから調べるのが一番いいか。おそらく彼女が調べてしまっているだろうが、それでも自分の目で確認する必要がある。 「それでは私は着替えをしてまいります。どうぞ御自由にお探しになってください」 それだけ言い残すと彼女は部屋からいなくなる。 幸鷹は注意深く立派なアンティークの机を調べ始めた。日記の類はまったく残っていない。手紙も特に問題はなさそうだが、一応何かヒントはないかと幸鷹は一通ずつ読み始める。 これは全部同じ人物からのものだ。 誰からも死を悲しまれないと彼女は言っていたが、そんなことはないだろう。 実際、老人にも唯一無二の親友がいたようではないか。この人物との文通の始まりは１３年前。そして死の間際まで文通は続けられていた。 ……仕事の相談ばかりだな。 手紙の内容から想像するに、どうやらこの人物は老人の相談役のようなものだったようだ。つまりは財閥を影で支援していたということになる。 「……？」 変だ。 そんな人物がいるのなら、遺産はその人物に遺すのではないか？ 家族とは疎遠だったようだし、老人の手紙にも家族のことは何も触れられていない。 遺言も親族宛に遺されたものではないようだし、この手紙の差出人には他に何か遺言のようなものがあったかもしれない。 とりあえず、そっちに当たってみたほうがよさそうだな。 懐から携帯電話を取り出すが、どうやら圏外らしくつながらない。となれば邸の電話を借りなければならない。老人の机の上にも一台あるが、勝手に使うのはまずいだろう。 着替えに行った彼女を待って、それからかけてみよう。 手紙の差出人の名前は……「Ｊ」？ ……フルネームが分からないと、調べにくいな。 封筒を裏返してリターンアドレスを見るが、そこにも「Ｊ」としか書かれていない。 「…『Ｊ』か……」 彼女に聞けば何か分かるだろうか。 だがそれよりも、幸鷹に何か漠然とした不安がよぎる。 ……「Ｊ」……それにこの字には見覚えがある…… どこで？ そんなことは考えるまでもない。 「何かわかったかな？」 あの女性ではない。 いや、あの女性と同一人物だが、その仮面を取り払って戻ってきた。 書斎の入り口に立っているその人物こそが、この手紙の差出人。 怒るでもなく幸鷹は入り口へと向き直り、その人物を確認する。そして静かに口を開く。 「……お前が『Ｊ』か、怪盗ジェイド」 ふふ、と青年はその口元に笑みをこぼす。 「そう。その老人は最後にこう言い遺したんだ。『君に私からの最後の挑戦だ』とね」 「だったら自力で解かなければお前の負けじゃないのか？」 その幸鷹の言葉は図星だったらしく、怪盗ジェイドは白いタキシードの肩を大きくすくめて苦笑した。 「いいじゃないか。彼の相談役は私、私の相談役は君」 「ふざけるなっ！！」 そこでようやく幸鷹が感情をあらわに激昂する。 怪盗ジェイドはいつもどおり微笑んで、書斎の中にいる幸鷹の方へと近づいてきた。すかさず身構える幸鷹だったが、怪盗ジェイドはその横を通り抜けて手紙の入った引き出しをしめて、革張りのチェアーに深く腰を下ろす。 「幸鷹にもわかりそうにないかい？」 「情報が少なすぎる」 「ま、この邸は貸しきってあるから、好きなだけ調べるといい」 「勝手な事を言うな！ 私はお前に手を貸すつもりはない！！」 何を言っているのだ、この男は。 自分をだまして連れてきておいて、それを反省するでもなく協力するのは当然だと言わんばかりではないか。 考えれば考えるほど腹の立つ！！ そんな幸鷹をよそに、怪盗ジェイドはその目に物騒な光を宿して瞳を細めた。 「……でも君はここから逃げられないよ」 「え？」 「もちろん電話は通じない。この屋敷の敷地は高い塀で囲まれているし、門には私の持っている鍵が必要だ。それによしんばここから脱出できたところで、山のふもとの民家も何もない僻地から方向音痴の君が歩いて帰れるとは到底思えないね」 何をぬけぬけと……！！！ 手が怒りのあまりぶるぶると震えている。 顔は恐ろしくゆがんでいることだろうが、そんな事を気にする余裕は今の幸鷹にはない。 ……つまり、自分はこの男に拉致監禁されたということだ。 そんな怒りで声も出せない幸鷹に、怪盗ジェイドは顔を寄せて笑みをこぼす。 「ふふ。この邸には君と私だけだ。仲良くしようじゃないか」 ぶちっ。 何かが切れる音がした。 「ふざけるなぁ！！！！」 そんな幸鷹の叫びも、広い邸に虚しくこだまするだけであった。 |
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