−Lupe/03−
自分の在るべき場所を探して、みんな生きているのだと思う。 それを奪われたアッシュが自分を恨むのは当然のことだし、ならばすべてが片付いた今彼にその場所を明け渡すのは当然のことだった。 ここじゃない、自分の在るべき場所は。 ナタリアが約束をしたのはアッシュだったし、いくら口先だけで同じ言葉を紡いでみても、そんなものは無効に決まっている。少なくともルークには何の意味ももたない。 ここはアッシュの居場所。 ナタリアがいて、ガイがいる。 きっと元の形に戻るのが一番いいのだ。 残りの問題も３人そろっていれば、なんでも解決できるだろう。 アニスは金のない自分に興味はない。 それに教団の建て直しとフローリアンの世話に大忙しで、誰かにかまっている暇などないだろう。 ティアはヴァンの分まで教団に尽くすと決めて、アニスとともに動き回っている。彼女に必要なものを与えられない自分は離れることを選んだ。 居場所を求めてここまで来た。 一番自分を必要としてくれるのは、誰か。 一番自分に必要なのは、誰か。 考えたら、彼しかいなかっただけだ。 ■ ■ ■ 屋敷で７年も過ごして、そのあと世界の一大事に関わったルークは、祭りの騒ぎに驚いているようだった。エンゲーブはもともとのどかな村であったが、祭りともなれば右も左も人だらけ。しかもみんながみんな楽しそうに笑っている。 これが彼の救った世界。 「あれはなんだ？」 子供が口にしている白い砂糖菓子を指をさす。 キムラスカ大使のお目付け役兼護衛であるジェイドは面倒くさがらずに一つ一つ丁寧に解説をしてやっていた。昔なら便利な解説役がいたのだが、もう今はその人も遠いところ。 本当であれば、あの使用人兼養育係がやることだったのだろう。 「わたあめです。ある種類の砂糖を溶かして作ります」 「へぇ……あれは何をしてるんだ？」 「金魚すくいですね。あの道具を使って水槽の中の金魚をすくうゲームです。紙の部分が破れたら終わりとなります」 何にでも興味を持つ子供みたいだが、実際そのとおりだ。 子供のお守りはもう御免だと思っていたけれど、ルークの面倒を見るのは自分の義務でもある。記憶・知識を持たないまま１０歳の姿で生まれてきたのは自分の研究がもととなっているのだから。 「ふーん。いろいろあるんだな」 「せっかくですから何か食べますか？ 花火大会の特等席にはいろいろ用意されているとは思いますが、祭りでしか食べられないものを食べるのもいいでしょう」 「え、いいよ。ガキじゃあるまいし」 たしかに食べているのは小さな子供か十代の女の子ばかりだ。 しかしだからといって別にそういう決まりがあるわけでもないし、そういう断り方をするときは興味が在るのだろうと思う。 「少し待っていてください」 「おい、ジェイド……」 そばを離れるなど護衛の役割としてはもってのほかだが、一般人やその辺の賊などではルークに傷一つつけることは出来ない。 人ごみを掻き分けるようにして並んでいる屋台の前に行くと、わたがしを一つ頼む。店主は手馴れたものでくるくると糸を絡めとって綺麗な丸い形に作ってくれた。それを受け取り、代金を支払ってもといた場所に戻ると、赤毛の青年の姿はそこになかった。 「やれやれ」 相変わらず目を離すとすぐちょろちょろと動き出す。 落ち着きがないというか、珍しいものを見かけたりすると猪突猛進してしまうあの性格。素直すぎる性格は出逢ったころから変わっていない。 ここから、始まったのだったか。 買い物の仕方を知らず、りんご泥棒として捕まったルークと。 さすがに今ではそんなことはしないはずだが、見たこともない祭りではしゃがない保証もない。何も知らない子供の手を離してしまったことを、ジェイドはそこで後悔する。 この人ごみの中、人一人探すのは容易でないだろう。 まさか大使が行方不明になったと騒ぎ立てるわけにもいかない。連れてきた部下たちも今は自由行動をさせているから、収集をかけるのも時間がかかる。 どうしたものかと、道からそれることで人の流れからはみ出てみると、わたあめを持ったままジェイドは赤毛の青年の姿を探す。赤い髪は多くないし、何よりも親善大使として正装をしているから、この上なく浮いているはずだ。 問題は目の前を通るかどうかだけで。 しばらく人波を眺めてみたが、それらしい人物は見当たらない。 ここから離れてしまったのか。 それとも―――消えたのか。 「っ……馬鹿なことを……」 あの時のことを今でも思い返す。 つないだ手を離したところで夢から目が覚める。 ２年の空白。 彼がいない間のことを、正直なところ今は思い出すことが出来ない。ほんの１ヶ月前のことなのに、そこだけぽかりと穴が開いたように記憶の欠落がある。 執務室に戻れば片付けてきた書類の山や、再び始めた研究を書き記した紙があるはずだが、それでもその過程を思い出すことが出来なくなっていた。 彼がいないのならまたその忘れた日々に帰るだけ。 朽ちるまで変わることのない毎日が繰り返されるだけ。 消えてしまうのか。 このままではまた目の前から。 近づいてきた彼を拒んだのは自分だ。 きっと次は耐えられない。 その可能性を考えただけでこの自分がこんなにも動揺している。 すぅ、と息を大きく吸い込む。 ―――まだだ。 始まりはここから。 動き出すのはここから。 何も出来ないで離したあの手を、今ならつかむことが出来るのだ。 たとえここへ来た理由がいくつもある選択肢から消去法で選ばれたのだとしても、ここにいることだけは変わらないではないか。 珍しくピオニーから取り得として認められている頭を使うのが一番いいだろうと、ジェイドは目を細めて人の流れを見つめる。 先ほどの屋台に興味を持ったふうではあったが、特にこれといって強い興味を示したものはなかったはずだ。先に花火の特等席に向かったとは考えにくい。大勢の人間に囲まれることに慣れていない彼は多少疲れが出ているようでもあったから、自分と同じようにそこから離れたはずだ。 それから？ ここがエンゲーブなら、彼の気になる場所はひとつだけだろう。 村の北に位置する森。 ローレライ教団の聖獣が住まう森。 彼をご主人様と慕っていたチーグルがいる森だ。 北へ身体を向けると人の流れを避けるように細い道へ入る。まさか考えなしに夜の危険な森へ入ったりしていないとは思うが、可能性としてないことはない。少なくとも他に可能性もない。 やっと北門へ出ようとするとき、前に一人の男が背を向けて立っていた。 花火のおかげでみんな西へ殺到しているから、この辺に他に人影はない。 祭りの灯篭に照らされて、男が頭上に掲げた何かが一瞬だけ光る。 硬質で鋭利な刃物。 「おおおおおぉぉ！！！」 叫び声を上げながら突進していく男。 反射的に追いかけるように駆け出し、刃物が振り下ろされる前に体内から槍を発現させ、距離の縮まった男の足をそれで薙ぎ払う。 「ぐわ…っ！」 勢いづいていたために軽く吹っ飛んだ男の背中を踏みつけ、首筋に槍の先を突きつけた。兵や賊であればそこで降参の証として武器を捨てるところだが、どうやら民間人らしく包丁を握ったまま震え上がっているのが足を通じて分かる。 「―――ジェイド！！」 名前を呼んだのは男が狙っていた人物。そして自分が探していた人物でもある。 やはり北へきていたのか。 しかし今はそんなことよりも自分の足元だ。 「どうして彼を狙ったんです？」 「ひっ……」 「答えなさい。彼が何者か知って狙ったのですか？」 「お、おいジェイド。怯えてるじゃねーか、おっさん」 見かねたルークが横から口を挟んでくるが、ジェイドは微塵にも表情を動かさない。軍人としての鉄面皮に包まれた表情は普段穏やかにしている彼からかけ離れている。 敵には容赦しない、そのことを嫌というほど知っているルークはジェイドの腕をつかんだ。 「それじゃ話できねーって」 「私がしているのは尋問です。あなたは黙っていてください」 「こいつが狙ったのは俺だろ。俺が話するよ」 「必要ありません。マルクトの国民であればこちらの問題となります。親善大使を狙ったのならば国交問題に発展することもありえますから」 「親善大使じゃなくて、俺を狙っただけだ。…そうだろ？」 ■ ■ ■ なかなか戻ってこないジェイドをしばらく待っていたルークだが、人ごみにそろそろ嫌気が差して大通りから抜け出ることにした。あまり遠くにいってはジェイドが戻ってきたときに困るだろうとは思っていたのだが、足が自然と北へ向いていた。 村からはさすがに出れないけれど、はずれから北にある大きな森を見つめる。 そこに自分の大切な友人がいるはずであった。 ２年も経ってしまったけれど、今はどうしているのだろうか。 自分に与えられた役目がなければ飛んでいったのだけれど、まだここでやらなければならないことがあるから行けない。 帰るときに寄り道してもいいか訊いてみようか。しかしモンスターの生息する森に親善大使を行かせるなど、ジェイドの立場を悪くしないかも分からない。 それでも一目くらいは会いたいなとか考えていると、背後から突然叫び声が聞こえてルークはばっと振り返る。 掲げられた刃物。 血走った目。 そこには自分に対する憎しみしか見て取れない。 死にたいわけではなかった。でも殺されても文句は言えないということも分かっている。だから駆けつけてきたジェイドが冷たい目をしたまま尋問をしようとしたときも止めたのだ。 「親善大使じゃなくて、俺を狙っただけだ。…そうだろ？」 地面にうつぶせている男はうぅ、と唸りがならこちらをにらみつけてくる。 たくさん殺してきた中に、この人の大切な誰かがいたのか。 「ジェイド、放してやってくれ」 「できません」 淡々と述べるジェイドの顔はあまり好きじゃない。 感情を殺した軍人の顔よりも、いつもの嫌味な笑いのほうがいい。 「もう一度チャンスをやりたいだけだ。今度は不意打ちじゃなくて正面からさ」 殺されるつもりはない。 勝算があるからという理由ではなく、ただ純粋に死ぬつもりがないだけだ。この人が誰かを失って悲しんでいるように、自分が殺されれば自分の大切な誰かがこの人を憎まずにはいられない。 こんなことを繰り返していかなくてはならなくなる。 どこかで止めなければならないのだ。 この悲しいつながりを。 そのためにここにいる。 「俺を殺したら、それで救われるのか？ 気は済むかもしれないけど、今度はアンタが誰かに殺されても文句が言えなくなる。次はアンタのことを大事に思ってる人がそいつを殺す。その覚悟があるなら勝負しようぜ」 まだ首筋には槍が突きつけられている。少しでも動けば掻き切られるだろうということは、いくら一般人でもジェイドの放つ殺気でわかるはずだ。 一歩間違えば死。 その状態でまだ自分の命を天秤にかけられるほど、男には度胸も覚悟もなかった。 「…っ……も、もう…しねえ……！」 「ジェイド」 ルークがもういいだろと名前を呼んでもやはりジェイドは動かない。 まだ殺気が消えないのはどうしてだろう。男からもう闘争心が消えているということはルークでさえ分かるのに。 「た、助けてくれ……！」 「ジェイド、いい加減にしろッ！」 「―――殺人未遂で逮捕する。もしももう一度このようなことがあれば、次は何も訊かずに私が殺す」 つかんだ腕を強引に引っ張ってジェイドをその場から離れさせた。 男は腰を抜かしかけていたが、情けない声を上げながら村のほうへと逃げていく。逮捕するといった割に追おうとはしなかったから、ルークは少しだけ安堵する。 どうも様子がおかしい。 これくらいのことで取り乱す彼じゃないのに。 「ジェイド、大丈夫か？」 「……こちらの台詞でしょう。怪我はありませんか」 口調だけは戻ったものの、まだ表情が硬い。 せめても、とルークは笑顔をジェイドへ向ける。 「ねーよ。お前が止めてくれたし」 「あなたの護衛失格ですね。すみません」 「ちゃんと守ってくれたじゃねーか。それにあんな奴に俺がやられると思うか？」 「……………」 また黙り込んでしまったジェイドに調子が狂わされる。嫌味の一つでもいう元気もないのか。戻ってきてからずっとこんな調子で、どうも自分が原因のような気がしている。 邪魔になっているのか、やはり。 もう戻ってはこないと思っていた人間がいてはいけないのか。 「…ルーク、どうしてあの時動かなかったんです？」 ジェイドの問いにルークは静止した。 何を言っているのか分からなかったから。 「あなたはあの男に気づいたとき目を閉じた」 「……突然だったから驚いただけだよ」 「一般人相手に反応できないほど鈍いとは思えませんが？」 そんなこといわれても、こっちにそのつもりはないのだから困る。ルークは丁寧に整えられた髪を無造作にぼりぼりと掻いた。 死にたいわけじゃない。 でも、どこかに諦めがなかったか。 「殺されてやるつもりでしたか？」 「んなことねーよ！」 むきになって返すルークだが、ジェイドの赤い目はその色と裏腹に冷たくこちらを見ている。さっきまでの動揺は収まったようだが、その分逃げ道も見つからない。 槍を体内に戻したジェイドが獲物を追いつめるかのような視線を向けてくる。 不穏なものを感じて本能的に逃げたくなるが、彼から逃げることなどできるとは思えなかった。 「死ぬつもりでしたか？」 「だっから、ちげーって！」 できることといったら、はったりでも強気でふんぞりかえることだけ。 ジェイドが腕を伸ばしてきたとき、まさか殴られるのかと思って目を閉じたが、顎を強引につかまれて無理矢理上を向かされると、次にはキスをされていた。 嫌ではない。 でも、分からない。 「……誰かに見られたらどーすんだよ」 他人に知られることを望まない性格であるのは分かっている。ルークも情事を誰かに見られることは気恥ずかしくて御免だったから、こんな外でキスをすることなどそうなかった。 ルークでもこの辺に他の生物の気配がないと分かるくらいだから、彼にはとっくの昔に分かっていてやっているのだろうが。 「あなたが殺されたら、私がその人間を殺します」 大きく目を見開くと、飛び込んできたのは深紅。 彼の美貌も人目を引くことに違いはないが、譜眼にしたために人工的に変化したその色こそがまさに異質。彼を見たらまず目を奪われるのはそこだろう。 「ジェイド……らしくねーな」 「そうですね、私らしくないことを言いました」 いつものように目を細めるジェイドだが、表情筋だけで笑っているだけで、瞳の光はどこかまだ真剣だった。 譜眼というより魔眼ではないのかというように、ルークは目をそらすことが出来ない。 そんな自分に、でもそれくらいならとジェイドが弧を描く唇からこぼした言葉は…… 「―――私があなたを殺します」 聞き間違えかと思った。 だからジェイドにもう一度聞こうとしたその時だ。 一瞬の光。 それから空に浮かぶ赤や緑の花。 遅れてドォン、と重い音があたり中に響き渡った。 |
わたあめってあの世界にあるのかな？（ないだろ）