−Lupe/04−



　暗い空に開く花。
　初めて見るそれにルークが大きな目を見開いてぼうっと見惚れていた。
　人が集まっている方向からおお、という歓声が上がっている。らしくないことを口にして自己嫌悪に陥ったジェイドは気を取り直すように眼鏡を指で押し上げた。
「始まってしまったようですから、行きましょうか」
　ちょうど花火がやんだところで話しかけると、ようやく我に返ったルークが弾かれたように振り向いた。しかし先ほどまでの会話を思い出したのだろう、すぐに気まずそうに言葉を濁す。
「あ、悪い！　えと……」
　何故あんなことを言ってしまったのだろう。
　本気で怒って、そして口から零れ出てしまった。
　怒ったことなど今までそう何度もないのに。こんな簡単に揺らぐ感情など自分にあったのか。どこか壊れているとならよく言われてきたが。
「用意してくれた特別席が無駄になります。それに大使のあなたの役目もあるでしょう」
　役目といっても、そこにいるだけでいいのだけれど。
　親善大使など象徴のようなもので、ただの飾りだ。でも飾りなら飾りとしての役目があるだけのこと。ルークはまだ何か引っかかっているようだが、ジェイドが先に背中を向けたことでおとなしくついてくる気になったらしい。
「ああ、そうだな」
　ジェイドは音素の爆発音に耳を傾けながら、ルークは西の空に浮かぶ花火を見ながら歩き出す。
　足元を見ていないと危ないだろうとは思ったが、興味津々な彼に何を言ったところで注意力散漫なことに変わりはないだろう。
　自分の余計な発言のせいで、少し興がそがれてしまったかもしれない。
　けれど、今でもルークの態度には納得できないところがある。
　かつては何度も死の選択を迫ったのに、身勝手だとは思う。でもあれは必要があったからで、他に選択肢がなかったからだ。さっきのは決してそうではない。
　だから愚かな判断に対して怒りを感じている。
　それだけのこと、だろう。

「ジェイド」
「はい」
　花火に見惚れているかと思ったら、突然声がかかってきた。
　背中を向けてジェイドは足を止めなかったが、背後の気配からしてルークは立ち止まったようで、仕方なくジェイドも足を止めて少し離れたところで振り返る。
　かがみこんだルークの手には落し物。
　細い棒の先に巻かれているわた飴。
「これ……」
　地面に落ちていたとすると、花火を見ながら歩いていた彼よりも、考え事をしていた自分のほうが注意力散漫だったようだ。
「落ちていたものを口にしてはいけませんよ」
「俺はガキか！」
「失礼。もの欲しそうに見ているので、つい」
「お前な……そーじゃなくて、これお前が落としたんじゃないのか」
　確かにその通りだが、わた飴に名前が書いてあるわけでもない。
　これを買いに行ったせいで彼が襲われることとなってしまったわけで、今となっては不用意な行動であったということを思い出させる品でしかない。
「ええ。ゴミ箱にでも捨ててください」
　不愉快な表情を隠すように眼鏡を直す仕草をすると、ルークはわたがしの砂のついた部分を適当に手でちぎって捨てた。結局かなり小さくなってしまったが、残りをぱくりと口に含む。
　生まれたときから大きな邸に住んでいて、わがまま放題だった彼。
　落ちていたものを拾って口にするなど、自分でさえしない行為なのに。
「あめーな、これ」
「砂糖菓子ですから。にしても、地に落ちていたものを拾って食べるのはおやめなさい。キムラスカの親善大使が拾い食いなど、誰かに見られでもしたら権威も地に落ちます。もし食べたいのでしたら、閲覧席についてから誰かに買いにいかせてもいいですし」
「砂糖だってその辺に落ちてるものじゃなくて、誰かが作ったものだろ。この菓子だってそうだ。それに俺はこれが食べたいんだからいーんだよ」
　少しだけ顔を赤くしたルークがわたあめをまた口に寄せて、今度はジェイドを追い越して歩き出す。わずかに遅れてその後を歩き出したが、何と声をかけたらいいものか分からない。
　食べ物を大切にすることはいいことだ。
　誰に恥じ入ることもなくそういうことが出来る人間が大使にふさわしいとジェイドは考えている。
　彼は出会ったときとは見比べものにならないほど変わった。
　変われるだけの強さ。
　それが彼にはあって、自分にはないもの。
　モンスターに対して残虐な行為を行ってきた少年時代。
　力を求め、破壊しか知らなかった。
　フォミクリーを発案したからこそ、それが生み出す方向へも向かっただけのこと。
　師を殺し、その死を穢して。
　両手じゃ数え切れないくらい殺してきて。
　死を悼むことすらできない自分。
「うわ、手がベタベタする」

　―――でもあのときは？

　逝って欲しくないと、帰ってきて欲しいと願う心。
　出逢った時は過去の自分を髣髴とさせて疎ましく思ったりもした。変わっていく彼が信じられなくて、ひどく傷つけたりもした。最期には死ねと言って。
　そして本当に彼が消えたとき、分かっていた結果だと割り切ることも出来なくて。
　未練がましく他の仲間に誘われてタタル渓谷へも同行することにした。
「貸しなさい」
　つかつかと大股でルークに追いつくと手からわた菓子を食べ終わった棒を奪い取り、手のひらの上で燃やす。ポケットからハンカチを取り出すとそれを濡らしてルークの手を取り拭き始めた。
「譜術って便利だなー。超振動はもう使えねーけど、譜術なら覚えられっかな」
「セブンスフォニム以外ならまだ扱うことは可能でしょう」
「アッシュは使えるんだし、やればできるか」
　もともと第七音素はその他の音素が混ざり合っているわけだから、理屈からいえば不可能ではない。ただやれるかどうかはそれこそ資質次第というところであろうか。完全同位体であるアッシュが扱えるならルークにもその素養は十分にある。
　循環しなくなっている今、星の音素は限りあるものにはなっているが、譜術の威力はまださほど衰えていない。音素枯渇問題に発展するのはそれこそ気の遠くなるほど未来の話。
「自分がレプリカだからできない、とはもう言わなくなりましたね」
　そう言われてルークは懐かしそうに目を細める。
　レプリカである事実は分かっていて、それでも自分を認めた彼。
　今では周りも皆彼を認めている。
「誰だってできることとできないことがあるだろ。それにやろうともしないで、レプリカだからできないってのは言い訳でしかねーよな」
　そんな彼がここへ来た。
　どうしてここへ来たのか訊いたときは、他のみんなのところへは行けないからといっていたが、それは本当のことだったのだろうか。消去法でここを選んだのだと思っていたが、今の彼がそんなことをするだろうか。
　自分の手で未来をつかむだけの力があるのに。
　望めば王にだってなれた。
　アッシュの居場所だって奪えた。
　地位も権力も金も手に入れられる彼が。


『そんだけここへ来たかったってことだろ。ここにはお前がいるからな』


　馬鹿なことを、と笑ったけれど。
　昔は顔を見れば丸分かりだったルークの考えていることが、今は分からない。
　さっきのあの行動だって理解できない。
「あなたは、何をしにここへ来たんですか」
　先日も似たような問いをした。
　でも今度の質問はルークの目的を訊くものである。今の彼が逃げてここへ来たとはどうしても考えにくかったから。
　あのとき言わなかったのだから、言いたくないことかもしれない。
　ルークはおとなしくジェイドに手を差し出しながら優しく笑う。
「とりあえずはジェイドと花火を見よっかなーってトコ」
　だいそれた目的でもなんでもなかった。
　望んだのはささやかなこと。
　帰ってきて欲しいと思ったあの時、願ったのは今の彼と同じだった。




　―――ココニイテ。





■　　■　　■


　本当に死ぬつもりはなかった。
　あのとき動きを止めていたとしても、最後には絶対抵抗をしていたはずで。ジェイドが思うように死にたいとは決して思っていない。ただ迷ったのだと思う、再び人を手にかけることを。
　花火が上がり始めて聞き返すことは出来なかったけれど、それはそれでいいかとも思う。
　二度も口にさせたい言葉じゃない。
　死ね、といわれたあの時だって酷いとは思わなかったし、彼を責めようとも思えなかった。一番悔いているのが彼だと分かっていたから。
　一番責められるべきは自分で、死ぬべきなのも自分。
　許されたいといっていたけれど、ジェイドは許されると決して思ってない。
　自分は憎まれ役だと信じて、割り切ってる振りをして。
　だったらキスなどしなければいのに。
「……俺さ、いっぱいわがまま言ってきたんだ」
　ここへ来ることだって、反対も心配もされた。
　それでも押し通してきたのは自分のため以外の何ものでもない。割り切れないと分かっているから我慢をすることもしなかった。ここで我慢しても誰のためにもならないとなんとなく分かったから。
「後悔してるんですか？」
　指の一本まで丁寧に拭っているジェイド。
　なんだかんだ面倒をみるのが好きで、甘やかすのも好きで。本人は絶対口にはしないだろうけれど、自分を好いていてくれているか嫌っているかくらいルークにだってわかる。
「してねーよ。あとさ、これからもいっぱいわがまま言うと思うし。ピオニー陛下にも、お前にもな」
「なかなかすごい予告ですね」
　褒められているわけではないけれど、ジェイドお得意の皮肉でもない。ただ楽しそうに目を細めながらルークの手を拭いている。
　そして馬鹿なことを言わない限りは全て許すだろう。

「だからさ、ジェイドもわがまま言っていいぞ」

　ぴたっとジェイドの手の動きが止まる。
　音機関を用いて作られている眼鏡のレンズ越しの赤い目がルークを見ていたが、ここでたじろぐわけにはいかない。真っ直ぐに見返してにっと笑ってみせた。
「俺じゃ頼りにならないかもしれないけど、ちゃんとわがまま聞くからさ」
「わがまま、ですか」
「うん、あんだけ一緒に旅しておきながら、お前わがままって全然言わなかったよな。振り回してくれたときも全部軍人としての仕事だったし」
　皮肉屋だけど物分りのいい大人。
　本心を見せることを嫌っていて、全部笑顔の下に隠してしまった人。
　乖離現象を起こしたときに隠そうとしたことを彼は見破った。それでも自分の嘘に付き合うといってくれた彼は笑ってくれて。
「まぁ、ジェイドなら大体のこと一人でできちゃうんだろうけどさ。いざというときは言ってくれってこと。あ、ちょっとしたことでも手伝えるなら手伝うから。ピンチになったら何があっても飛んでくし。……ジェイドのピンチっていまいち想像できねーけど……」
　いつだって助けてもらってばかりだった気がする。
　でも今度はそれを返してやりたいとも思う。
　する方ばっかりで、彼に何かをされるというのはそうないだろうから。何でもお見通しで、何でも出来ちゃうような器用な人間の落とし穴。
　そしてそれだけならまだいいが、彼はそれを罪悪感で行っているから。
　何年経っても変わってなくて。だから…






「―――俺が幸せにしてやる」






　ジェイドがルークを見つめたまま今度こそ絶句した。
　もしかして言葉を間違えてしまったか。
　いや、無謀なことを言ってしまったのかもしれない。
「……………………………」
　他の誰でもない、彼の罪で出来上がった自分だからこそ出来ること。
　自分以外の誰かには出来ないことで。
　決意表明のつもりだったんだけれど、石のように固まるジェイドを見ているとやはり言い過ぎたかもしれないと顔を赤くする。
　これ以上突っ込まれても、まだ自分には何も出来ないし早まったかもしれない。
「そろそろ花火見に行こうぜ」
　誤魔化すように手をさっと振り払うが、ジェイドに腕をつかまれて引き戻される。
　ぺろっと頬を舐められてルークはぎょっと目を剥く。
「ほっぺたにもついてました」
　ジェイドはもう顔に笑みを戻してしれっとそんな台詞を吐いている。
　自分の言葉をどう受け取ったのかは分からない。相変わらずの笑顔だけれど、その目が穏やかな色をしているから悪いほうへは取ってないのだろう。
　こんなことをするくらいだし。
　ルークが舐められたほっぺたをおさえていると、もう片方の手をとってジェイドは歩き出す。
「今度は迷子にならないでくださいね」
「だっから、子供扱いすんなっつーの！」

　何かが変わったような、変わってないような。
　それでも今はこれでいいだろう。
　先へと進む道は出来た。
　まだ始まったばかりなのだから。



■　　■　　■




「おう、おっかえりー」
　皇帝とは思えない挨拶でピオニーは二人を労う。それも今となってはこの方らしい挨拶としてみんな捉えがちだが、一応マルクト軍の将官であり幼馴染の自分がいさめるべきだとジェイドは思っていた。
「もう少し他の言い方は出来ないのですか」
「いいじゃん、お前らしかいないんだし。で、仲直りできたのか？」
　ブウサギの餌を自ら与えながらピオニーはにやにや笑っている。
　どうせ目的はそんなところだろうと思っていたが、今回ばかりは何も言わないでおくことにする。余計なことをいって冗長させることもあるまい。が、隣のルークはそうはいかないようで照れたようにそっぽを向いた。
「そっか、よかったな」
　と、ピオニーがにかっと笑いながらブウサギの餌をルークの目の前に差し出す。
「俺はブウサギじゃねえ！」
「馬鹿やってないで、私は帰らせていただきますよ。報告書は明日提出します」
　置いていかれるルークが一瞬だけ眉を寄せたが、ジェイドは気づかなかった。ピオニーが餌を手のひらの上で弄びながら、思い出したかのように口を開く。
「あ、そうだ。お前の邸没収させてもらったぜ」
　昨日の夕ご飯のメニューのような口ぶりである。
　ああそうですか、と言い掛けたジェイドだが眼鏡の奥で何、と目を細める。ルークは今へんなことを聞いたようなと首をかしげていた。
「邸を没収？」
「ああ、ほらタルタロスひとつ駄目にした罰ってことで」
「いつの話ですか」
「３年位前？　あのときは罰どころじゃなかったしな」
　それにしても降格とか謹慎処分とか他にいくらでも罰はあるだろう。というか、それが普通で私財を取り上げるなど、国の金を横領だの賄賂を受け取っただの不正でもしていない限りしないものである。
　無茶をするからには相応の理由があるはずだ。
「で、私の邸はどうしたんですか。まさか壊したわけでもないでしょう」
「大使の逗留館にした。議会の承認は通したぞ」
　ジェイドはため息をついて額をおさえる。
　本当にこの人は放っておくと何をしでかすか分からない。ルークといい勝負だが、違うところはお節介でしかそんなことはしないというところで、自分の不利にならないように計算して動いているというところだ。
　その分たちが悪い。
「私を路頭に迷わせるおつもりですか」
「金ならいくらでもあるくせによくゆーぜ。軍の宿舎だってあるだろ」
「え、ジェイドの家なくなったのか？　逗留って俺のせいだよな？」
「大丈夫だぞ、ルーク。護衛兼世話係にさせたから」
　人の邸を取り上げた挙句、そういうことまでするのか。
　自分とは別の意味で昔から加減を知らない男だ。今回のことも諦めるしかないのも分かっている、皇帝陛下の勅命と議会の承認にかなうものはない。議会参加者の中で将軍たちは面白がってそうしたのだろうし、他の大貴族たちは興味がなかったのだろう。
「駄目だって！　ジェイドだってやることたくさんあるんだし」
「それはもちろんやってもらうさ。日中ルークはこの城で勉強してるから四六時中一緒である必要はないしな。ただ邸に帰った後のことを考えると、それが一番利便性と経済的にも良かっただけだ」
「う……」
　簡単に丸め込まれている。
　エンゲーブにてルークの身辺で起こった際の報告だけは先にしてあるから、用心に越したことはないだろうことも分かってはいた。
　大人しく従うのが癪に障るだけで。
「人件費を考えるところまで国庫がまずいことになってるのでしたら、ブウサギの餌代からカットしましょうか」
「なんだと！！！！」
「次の議会で議題にしましょう。じゃあ、行きましょうかルーク」
　助けるんじゃなかったぜ、と悔しがっているピオニーを放っておいてジェイドは笑って隣に立つルークを見下ろした。
　まだ渋っているかと思ったけれど、何だか嬉しそうに笑っていたから少しだけ親友に感謝してもいい気がする。ブウサギの餌代も少しは考慮してやろう。
　ピオニーの私室を出て、二人で向かう先は新しい場所。


　―――彼がくれる自分の居場所だろう。

さて、これで準備完了！