−Lupe/01−
「ただいま」 約２年ぶりに顔を見せた彼は、変わらぬ無垢な笑顔でそう告げた。 ずっと逢いたかった笑顔。 泣くことをしないティアが頬を濡らして駆けていく。後を追うようにしてアニスが、そしてナタリアが。ガイも嬉しそうに微笑みながらゆっくりと歩み寄っていった。 そして自分は、今どんな顔をしているのだろう。 「遅くなってごめん」 ルークの服にしがみついて泣いているティアの背中を彼の手が優しく撫でる。それと同時に飛びついてきたアニスの頭の上にもう片方の手を乗せた。 少し身長が伸びたか。 髪の毛は出逢ったころに長くなっているが、顔は比べ物にならないくらいおとなびた。 「ルーク、待ってたぜ」 「元気そうだな、ガイ」 ガイは抱きつくようなことはしなかった。近くで、昔と変わらずにルークに微笑みかける。ナタリアは両手を胸の前で組んで眼を閉じていた。 「……私信じていましたわ」 「ナタリア、それを言うにはまだ早いかもしれないぜ。シェリダンへ行ってみろよ。約束破る奴じゃねーだろ、あいつは」 組まれていた手が今度は驚きに開かれた口元を覆う。 まさか、とナタリアはぱっと身を翻して草原を駆け出した。どうやらアルビオールは彼女が乗っていってしまうようだから、帰途の方法を考えるとしよう。今晩はエンゲーブの宿に泊まることになるからまずはその手配からだろうか。 「待てよナタリア！ 護衛つれてけ！」 慌てて後を追うガイはいまだに使用人時代のくせが抜けていないと見える。 感動の再会は他の仲間に任せて、ジェイドが制服の襟を翻したときだ。 「ジェイド」 約束はできなかった。 信じることもできなかった。 理論上、彼の身体が残る可能性はなかったから。 感情では彼の生還を望んでいても、理性がそれを邪魔していた。だから彼がいなくなった後も、分かっていた結果だと割り切っていたのに。 今でも理性は彼は彼であるはずがないと告げている。 音素乖離して無事でいられる人間などいないのだから。 「……おかえりなさい、と言うべきでしょうか」 背を向けたまま、普段と変わりない声で問いかける。ルークは伸びた髪をわしゃわしゃとかきあげて、相変わらずだなと照れくさそうに笑った。 「俺は俺だ。一度は死んだんだけどな」 「アッシュは、どうしたんですか？」 完全同位体であるアッシュは、肉体の死によって近くにいたルークに引き寄せられて同化した。同位体であれば引かれあう性質があるから当然の結果だ。 「……あのときアッシュの身体が落ちてきたんだ。思わず抱えたんだけど、そのあとの記憶はないんだよな。ただあいつの記憶が俺と混ざってさ。でも俺は俺で、あいつはあいつ―――そう思ったからかな、気がついたら分かれてた。あいつの怪我も治ってたし、一緒にみんなのところ行こうって誘ったんだけど、ここは俺の思い出の場所だから行かないって仏頂面で断られた」 同化しながらも、感情が二人を分けた、ということか。 同じ場所で同じように、同じ時間を過ごしたとしても、抱く感情は別のもの。 二人の身体は乖離現象を起こしたとき、プラネットストームへ還ることなくローレライ解放の流れに溶け込んだはずだ。その中で何があったのかは分からない。でも推測するに第二超振動を発動させたのだろう。あれは第七音素さえ例外なく無効化させる。 そして二人の記憶にあった生前の状態に、音素が再構成されたたというところだろうか。 可能性的にはありえないほど低い数字だが、他には考えられない。 「また難しいこと考えてるんだろ。変わってねーな」 「あなたこそ、また身体ばかり大きくなっちゃって。この２年間、また記憶がないんじゃないですか？」 「眼が覚めたのはついこの間なんだから仕方ねーだろ」 口をとがらせるくせは変わらない。 何も変わっていない。 急に懐かしさがこみ上げてきて、それを隠そうとジェイドは指で眼鏡を押し上げる。 「……ま、この先は長いですからね」 ここから再び始まる彼の旅。 きっとまたその先は共にあるのだろう――― ■ ■ ■ グランコクマ謁見室。ルークは会うなり抱きついてきたピオニーの行動に硬直していた。まさか自分がここまで歓迎されるとは思っていなかったから。 いくら休戦協定が整ったとはいえ、隣国の子爵に対する態度ではない。 「じぇ、ジェイド助けろよっ」 乱暴に振り払うわけにもいかず困っているルークに抱きついたピオニーはといえば実に嬉しそうで、どれだけルークのことを気に入っていたのかが分かる。私室で飼っているブウサギに名づけるあたりで露見はしていたが。 「陛下、セクハラはそれくらいにしておいてください」 「ちぇ。まぁ、続きは後でな」 「続き？ 後？」 首をかしげているルークはピオニーにからかわれていることにも気づいていない。これだから放っておけないのだとジェイドは眼を伏せる。 玉座に戻ったピオニーは隣の兵士に持たせていた書状をひろげて、すごい速さでその内容を把握して顔を上げた。 「…信頼の証としてこちらに身を預けることとする、ね。要するに人質ってことだろ」 見も蓋もない言い方だが、それは間違っていない。 本当ならばナタリアがこちらに来るところだが、彼女は唯一の王位継承者。だからそれに近いルークがその役目を替わりに受けただけのこと。 「もしくはスパイか」 「そんなこと俺はしません！ 俺は俺のやりたいことをしているだけで」 「ルークはな。でもそういう裏があるってことだ。……神託の盾騎士団の残党が最近動いているせいか」 ピオニーは先ほどまでとは打って変わって真摯な眼でどこかを見据えた。これが皇帝のときの顔なのだと、ルークはその差にいつも驚く。 「レプリカたちの集団失踪もありますね。これもつながっている可能性が高い」 報告書を片手にジェイドは淡々と分析する。 この２年、表面上は戦争とヴァンの騒動に対する復興で国は対応におわれていた。失われた土地や、壊れた街の整備。それに増えすぎたレプリカであるが、一時的に保護はしたものの、彼らに対する偏見は消えていないし、この先の問題が山積みである。 「なんかお前が帰ってくるのにあわせて、きな臭くなってきたって感じだなぁ、ルーク」 「…………」 「おい、ジェイドの嫌味に比べたらたいしたことねーだろ。笑い飛ばせって」 「私はそんな質の悪い冗談はいいませんよ」 二人の漫才はまだ健在だった。 ルークはとりあえず今の状況を把握しようと、知っている情報を並べ始めた。 キムラスカ・マルクト両国は国の建て直し、レプリカの保護に専念している。他へ回す余力などないのだからそこに疑う余地はない。 ダアトを中心とするローレライ教団はテオドーロを代表とし、預言の撤廃に伴う人々の不安を取り除く救済の道を示すべく活動を再開し始めた。アニス・ティアもそれに加わっているらしい。 問題となっているのはヴァンの部下だったもの、元神託の盾騎士団の人間たち。 主力は２年前の戦いでほとんど失われたはずだ。中心にいたヴァンもモースももういない。六神将も不在の騎士団たちが、最近各地で不穏な動きを見せているらしかった。食料を盗んだり、工場を襲ってみたり、研究員がさらわれてみたり。 さらにレプリカたちといえば保護されてはいるものの、小さな部屋に大勢押し込められていたり、再教育に時間がかかることもあって、いまだに人間らしい扱いを受けるところまで進んでいない。その間に何故か集団脱走が各地で起こっているそうだ。 ジェイドはこの二つがつながっているという。 時期が同じとはいえ、何か彼なりの根拠があるのだろうが、まだそれは憶測の域を出ないと見える。 「ま、とにかくルークの身柄はこちらで預かろう。こちらからはガイをお姫様の護衛として向こうへ送ってあるから、ついでにあっちに残らせるか」 「キムラスカは協定を破棄したりしない！」 自分の身代わりにガイが向こうに残される。そう知ってルークは慌てて反対をした。しかしピオニーもジェイドも顔色一つ変えずに肩をすくめる。 「俺だってそう信じてるけど、他の奴らにはこういうことで分からせてやらないと駄目なんだよ。それに向こうにはお姫様もアッシュもいるんだろ。知らない奴を送るよりは気心知れてていいと思うがな」 ガイが行かなければ、他の人間が行かされるだけだ。それならばピオニーの判断がどれだけ理にかなっているか考えるまでもない。 黙りこんだルークに待つ余裕も与えずにピオニーは次の言葉を発する。 「さて、ルークの行動に特に制限はつけない、ただしお目付け役としてしばらくジェイドをつける」 「よろしくお願いしますよ、ルーク。いえ親善大使かな」 その呼び名は二度目。 一度目の記憶は赤く染まっている。 二度目の今は、きっと…… 「はい、力の及ぶ限り」 間違えないように。 期待を裏切らないように。 ■ ■ ■ 滞在先、といってもいつ育った屋敷に戻れるかなど分からないのだが、とりあえずマルクトに大使館などというものはないから、城の要人用の部屋を使うように言われた。しかし長期滞在するのに城では何かと面倒だろうということで、ジェイドの屋敷に居候することになった。 はっきりいえば自分がそう仕向けたのだが。 ルークは城にいるよりは気楽だろうと、二つ返事でそれを受け入れてくれた。 帝都といえば相応の大きさがあるので歩けば結構な時間がかかるのだが、旅に慣れてしまった世にも珍しい子爵は歩くことを厭わず、貴族の屋敷が連なる路地に一緒に向かう。 歩調を以前のように遅めにすると、彼は自分を追い越していきそうになる。 勢いがあるからでも足が速いからでもなく、単純に身長差が縮んだからコンパスの差が短くなったというだけのこと。 出逢った時は何も知らぬ子供だったのに。 別れる時にはすべてを知ったような顔をしていた。 全ての原因となった自分を恨むでもなく、ありがとうと彼は何故か言った。その意味はいまだ分からない。でもいまさらそんなことも訊けない。 手のひらを空へ向けて鍵を発現させると、ジェイドはそれを使って屋敷のドアを開ける。それから身体をどけてどうぞ、とルークを中へ誘う。 屋敷の中へ入ったルークはきょろきょろとあたりを見渡して、それから迷うことなく居間へと歩き出した。 「屋敷の中はご存知ですよね」 「うん、でも本当に変わってねーな。相変わらず誰もいねーし、何にもねーし」 「ふむ、寝室に私の肖像画でも飾りましょうか」 「……やめてくれ」 以前の彼の部屋には確かヴァンの肖像画があったはずだが、それがよくて自分のものが駄目なのか。少しだけ腑に落ちないが、用意するのにも時間がかかるからよしとしておく。 居間に入るとソファに座ってルークは靴をぽいぽいと脱ぎ散らかした。 「がさつなところは変わってませんね。ああ、２年間も寝てたんでしたっけ。早起きが苦手でぐうたらなところも直ってないらしい」 ソファの上であぐらをかいたルークはぷぅ、と頬を膨らませる。 「ジェイドもだろ。嫌味なところ直ってねーじゃん」 「私に直すべきところがあるとは思いませんが？」 にこっと笑っていうと彼が白い眼でこちらを見てくるその反応が楽しい。 変わらない。 変わりたくないと思っていたから。 あのとき自分の中の時間が止まってしまったから。 「…ま、らしいけどな。はー、アルビオールなしの旅ってこんなにキツかったっけ。それとも誰かさんみたいに歳とったせいかなぁ」 「お疲れでしたら特製のハーブティーでも淹れましょうか？」 ルークが慌てて頭を横にぶんぶんと振り回す。 どうやらハーブティーの効果はきちんと記憶しているらしい。陽も沈まぬうちから呑むものでもないし、それはまた後でのお楽しみにしておくことにしよう。 厨房まで行って手ずから普通の紅茶を淹れて居間に戻ると、長く伸びた紅い髪が床に広がっている。テーブルにお盆を置いてソファを覗き込むと、旅の疲れが出たのかルークは気持ちよさそうに転寝をしていた。 寝室に行って毛布を持って戻り、それを眠っている彼の身体にかけてやる。 それから床に無造作に落ちている髪を丁寧にすくいとって、身体の上にでも置こうと思ったのだが、何となく触れたその髪に指をからめてみた。 くせっ毛なので柔らかくはないけれど、しなやかで梳いてみても引っかからない。 どこまでも真っ直ぐなのは性格と同じ。 薄く唇を開いて定期的な呼吸を繰り返しているルークの顔を見つめる。２年前はまだまだ幼さが目立ったその顔も、今ではその面影を残すのみになっていた。 変わらないのは自分だけなのかもしれない。 でも、動き出す――― 「………っ……ん……」 すやすやと寝ている唇に自分の唇を押し当てると、突然のことに息苦しくなったルークが飛び起きようとする。しかしジェイドは両手でルークの肩をおさえつけてたやすく抵抗を封じた。 すると当然今度はジェイドの顔から逃げようとしたけれど、途中でやっとおとなしく口づけを受け入れ始める。 「……ぅ……」 唇を割って舌を侵入させるとルークは眉をひそめはしたものの、鼻にかかった甘い鳴き声を漏らす。ジェイドはそれを好機として彼の口内を翻弄し始める。舌で歯列をなぞり、ルークの舌に自分の舌をからめ、その裏側をくすぐるようにして。 「…く……ん……」 どちらのものか分からなくなった唾液を喉を鳴らして嚥下するのをたしかめて、ジェイドはゆっくりと顔を遠ざけていく。 名残惜しむかのように唾液が糸となって互いの口をつないだが、やがてそれも切れて口の端を伝った。ジェイドは手袋をした親指でそれをぬぐうと、まだ焦点がぼけている翡翠色の瞳を見て微笑む。 「……ここでやんのか？」 次に出た言葉がそれとは、少しばかり悪い遊びを教えすぎたかもしれない。 それともこうなる予感があったのか。 分かっていてここへ来たのは確実だろう。 ―――でも、どうしてここにいるのだ、彼は。 わざわざ子爵がここへ来ることなどないはずなのに。しかも一応王女の婚約者である彼がだ。アッシュに譲って出てきたのかもしれない、でも他にも引き止めるものはたくさんあるはずだ。母とか、ナタリアとか、それとも彼に恋愛感情を抱いているティアとか。 他の誰よりも自分を選んだ、などと自惚れるつもりはない。 「どうしてここにいるんです、ルーク？」 帰る場所はここではなかったはずなのに。 どこで歯車を違えたのか――― |
やっちゃった……
今回もやっちゃった……ＥＤ後の話捏造。
交互視点になってます……。
誰かついてこれるのかな。
「約束の鍵」とリンクしてます。