−嫉妬01−
慎の部屋の中を拓朗が興味深そうに見て回っている。 パソコンにブルーレイディスク、手作りの模型、スケッチブック、漫画本。そんなに面白いものでもないと思うが、初めて来たときのお約束というものである。 「拓朗、コーヒーでよかった？」 「ああ、サンキュ」 マグカップを二つと、ミルクと砂糖の瓶がそれぞれのった盆を机の上に置く。まだ漫画本を手にとってぱらぱらと中を見ている拓朗を差し置いて、先にミルクと砂糖を遠慮することなく投入する。 部屋に椅子は一つしかないので、そちらを客に譲ることにして、慎はベッドに腰を下ろしてマグカップを傾けた。 「引っ越してくる前に結構処分したから、あんま面白いものねーよ？」 「まあまあ、寮生活の俺ントコよりはな」 先に空になったマグカップを椅子に座った拓朗に手渡し、テーブルの上に戻してもらう。人の家へ遊びに行ったときは見るものもたくさんあるが、招いたときには部屋の主は退屈なものである。 ベッドに両手をついて、拓朗の様子を眺めるくらいしかすることがないのだ。 「で、相談ってなんだよ」 単行本を１冊めくり終わった拓朗がようやくこちらを見る。 そうだ、すっかり忘れていたが、相談があると言って彼をここへ呼びつけたのだった。学校では茅野や森本を始め、誰に聞かれてもおかしくなかったから。できる限り他人には聞かれたくないと、学生寮でもなくここへ呼んだ。 だがまさか、わざわざ呼んだのに忘れていたとも言いづらい。 けれど慎がどもったのは誤魔化すためではなく、少しばかり口にするのに抵抗があるからだった。 「あの、さ……訊きたいことあんだけど……」 「おお。なんだよ、改まって」 「拓朗って、き…キスしたこととか、ある？」 うつむけていた視線をちろりと上げてみれば、拓朗がきょとんとした顔でこちらを見ていた。そして一拍の間の後に、困った顔をしながら背をのけぞらせる。 「いや、悪い慎……俺、お前とはいい友達で……」 「へ？」 すまなさそうにしている拓朗がどんな誤解をしたのか気づくと、慎は珍しくまゆを吊り上げて憤った。 「ちげーよ！ なんで拓朗とキスしなきゃならねーんだ！」 「そうだよな〜びっくりさせんなよ！」 こっちの台詞だ。 どこをどう間違ったらそんなふうになるのか。 真面目に相談した慎は話の腰を折られたようで、急にがっくりする。これはもしかして人選を誤っただろうか。しかし森本や茅野に聞くのも変だし、映子にも聞けない。 「キスねえ…ないとは言わねえけど、俺は今あいつ一筋だからな」 妙にかっこつけて言っているのだが、慎はそんなもの気にも留めなかった。ただ経験はあるということなので次の相談にうつる。 「でもキスって海外だと挨拶でもするだろ？ あとそれ以外にも相手に触りたいとか、他の誰かに触られるのは嫌とか……そういうのって、なんだと思う？」 この感情はなんだろうか。 幼いころには、まだ気づいてなかった感情。 答えは知っている気もしたけれど、初めてのことなので念のために他人に相談してみたかったのだ。相手については言えないとしても。 二人だけの秘密、というのが約束だったから。 「ああ？ 何言ってんだ、そんなの好きだってことだろ」 やっぱり。 そうなのか。 これが、恋愛感情なのか。 拓朗に出してもらった答えが、自分の中にすとんと納まった。 「そっか……好きなんだな、俺」 考えてはいても、認めるまでには至らなかったこと。 兄弟だからとか、男同士だからとか、十年ぶりとか、出て行けとか冷たいことばかり言われていることとか、ごちゃごちゃ考えてしまって、思考が前にどうしても進まなかったのだ。 わかったところで、どうしようもないことなのかもしれないけど。 苦しいのには変わりないのかもしれないけど。 「まさか、めぐみじゃねーだろーな？」 「は？ 茅野？ 違うよ？」 一体どこから出てきたのか。 慎が即座に否定すると、拓朗はあからさまにほっとした顔を見せる。 でもきっと、転入早々親切にしてくれた茅野みたいな女の子を好きになったほうが幸せだとは思う。 思うけど、どうにもならないこともあるのだ。 茅野にキスしたいとは思えないし、特別触れたいとも思えない。 そんなの、一人だけで。 「じゃあ一体誰なんだ？ 森本か？」 「ち、違……だ、誰とかねーけど……！」 「嘘だな。へー慎が森本をねえ。応援するぜ」 にこにこ愛想よく笑って拓朗がぽんぽんと慎の肩を叩く。それを乱暴に振り払って抗議をするが、何故か届かない。 「違うっていってるだろ」 「まぁまぁ照れるなよ。で、この部屋にもあるんだろ？」 「……何が？」 手を差し出されるが、まったく見当もつかない。 首をかしげる慎に、拓朗は椅子に座ったままローラーで移動して近づいてきて、こそこそと耳打ちしてくる。 「アダルトなアレとかソレだよ」 「――は？」 またしても拓朗はわかっている風である。 鼻の下を伸ばしたまま、ベッドの上にある枕を手にとって、その下を見たり、布団の下を覗き込んでいる。 なるほど。寮住まいだとこういうところが不自由らしい。 「そんなもんないって」 「またまたーお約束はこの辺だよな」 椅子から降りてベッドの下まで潜り始めた。何もそこまで、と慎はベッドの上に座ると、前のめりになって拓朗の背中をつつく。 「おーい。ねーってば〜」 そんなところ埃まみれになるだけなのに。 諦めた拓朗が急にひょいっと身体を起こすものだから、ベッドの上にいた慎は驚いて身体のバランスを崩してしまう。 倒れる。 そう思ったときには、もう身体が宙に浮いていた。 「どあっ――！」 どたーん。 顔面と手のひらに強い衝撃。 床についた手が体重の大半を支えてくれたものの、口の辺りはちょっとの衝撃でもかなり痛む。反射的に目を瞑ってしまったものの、顔をしかめながらもゆっくりとまぶたを上げれば、視界には拓朗の顔のアップ。 近い。 ほとんど触れるか触れないかの距離。 いや、さっきまでは触れていたのだ。 口の先、唇が。 「――――！！！！！」 唇と、唇がぶつかったということは。 キスしたということだ。 拓朗と。 他人と。 あの人以外と。 ショックはショックだが、こんなのは笑って済ませばすむ話。 ただの事故。 それで終わるはずだったのに。 「慎、騒がしいぞ」 ドアが開け放たれた。そこから顔を覗かせたのは、いつの間にか仕事から帰ってきていた兄、諒だった。 この世で一番見られたくなかった人。 慎がこれまで唯一キスをしたことのある相手。 キスをしたい。 もっと触れたい。 誰も触れないで。 好きだということ。 「諒、兄ちゃん……」 拓朗の上で顔をあげた慎を見る目は、一瞬驚いたようだが、すぐにいつもの色に戻る。 出て行けと言ったのと同じ口調。 冷たく、拒んでいると感じるそれ。 「誰とどう付き合おうがとやかく言うつもりはないが、家ではもっと静かにしろ」 何だよ、それ。 それだけ、なのか。 他にもっと、ないのか。 どうして、怒らないんだ。 どうでもよさそうな、興味なさそうな態度。 拓朗とキスしたときよりも、ずっと胸が痛かった。苦しすぎて、何も言えなくなるくらい。 |
というわけで続きますー
ヨシズミさんのサイトの１２万ＨＩＴ記念に〜私が踏んだんですけど。
拓朗さんごめんなさい。結構好きですよ、彼。
天然な慎に振り回されてるところとか。
女子に噂されてるところとか（そこはいい）