EPISODE.1-A
| 「追え！ 東廊下を走っているぞ！！｣ 「西廊下に人影が！！」 大きな城の中を情報と人々が入り乱れる。 歴史を持つ城ではあるが、おそらくこんなに人間が多くいるのはこの城の栄華期以来のことではないだろうか。しかし、今日の騒動はその頃のダンスパーティのうるささの比ではない。あらゆるところに人が入り込んでいた。 「アニマール警部！ 一体どこに奴はいるんですか！？｣ 「西も東も奴ではなく、見張りの警官でした！」 情報はさらに混乱を極めていた。人が多ければ多いほど、情報というのは正確に伝わりにくくなる。 しかし、この場合それを逆手にとってダミーの情報を流した者がいた。その男は誰にも見られずに城の屋根に登ると、警官の扮装をとく。 バサッ。 はためく白いシルクマント。 背中にはリボンで一つにくくられた艶やかな長い髪がなびいている。 口元には余裕の笑みを浮かべ、中の騒ぎを楽しそうに細い瞳を細めて聞いている青年。 「どこかにいるはずだ！ 『怪盗ジェイド』め！！」 ■■■ １８××年、ハルカ・シティには一人の英雄であり、犯罪者がいた。 『怪盗ジェイド』 数年前から活動し始めた泥棒である。今ではハルカ・シティにおいて知らない者などいないほどの大怪盗。 予告状を出し、厳重な警備の中次々に宝を盗み出していくその手際のよさは、犯罪者とはいえある意味芸術と言っていい。だからこそ彼は英雄扱いされることもしばしばあった。 白いタキシードに、白いマント、腰まである長い髪を首のところでリボンで結んでいる。 背は180センチ以上、中肉中背の男……顔を見た者は口をそろえたように「美しかった」と言っている。 だが、それが本当に怪盗ジェイドの素顔なのかは本人以外は知らない。なぜなら怪盗ジェイドは変装の達人で、よく家人に紛れたり、現場を混乱させたりしているからだ。 一向に捕まえられず失態を重ねるハルカ・シティ警察はいい笑い者だった。だから、『ジェイド』と聞くだけで警察の人間はにらみをきかせるような状況になっていた。 そんなハルカ・シティ警視庁の刑事課に私は配属されることになり、こうして警察署の前に立っている。 「ここがハルカ・シティ警視庁……」 元が交番のおまわりさんだった私は今回の移動で、夢だった刑事になれて感動に打ちひしがれていた。まだ警察官になって１年。キャリアでもない私がこんなに早く移動が決まるというのはまさに栄転と言ってもいい。 「よし！」 慣れないスーツのネクタイを直すと、私は少し緊張気味に建物の中へ足を踏み入れるのだった。 署の受付で真新しい名札を受け取ると、刑事課の部屋への案内を聞いて２階へと向かう。たしかに階段を登ってすぐに刑事課と書かれたプレートが脇に飾られている。 ここから、自分の刑事としての仕事が始まるんだ。 そう思うと、私は手に握りこぶしを作って、中へと入っていった。 「あの……」 忙しく動き回る人々の中、私はとりあえず入口近くで書類を書いている男性に声をかけてみる。話しかけられて顔を上げると、私の顔を見てそれから全身を眺めるように見、そして胸の名札を見てようやく表情を変えた。 「ああ、君が新しく配属された新人か！ 課長はあのデスクにいるよ」 ？ なんだろう。 にやにやと笑う男性に私は首を少しかしげながらも、言われたとおり課長と思われる人物に話しかけることにした。 「今日から刑事課に配属された鷹通・フジワラです」 ぴしっと背筋を伸ばして敬礼。 イスに座っていた男が振り返ると、やはりさっきの男性と同じように私の全身を眺める。しかし、今度はため息をこぼすのだった。 「君がフジワラ君か……」 期待はずれといった様子で私を見ているのが分かる。たしかに、他の刑事のように屈強な体はないし、顔もなめられかねない顔をしている。刑事が夢だった私にはかなりのコンプレックスなのだが、こればかりは持って生まれたものなのでどうしようもない。 自分にできることを、自分が持っている力で最大限にやる、それしかないのだ。 「君は足は速いほうかね？」 「は、はい。力は人並みですが、足はそれなりには」 その返事を聞くと、課長は私から視線を横に移し、手を口に添えて大声を上げる。 「アニマール！ アニマール、ちょっと来い！！」 呼ばれたのは机でたくさんの書類と格闘中の中年の男性だった。体格は年齢にしては締まっているし鍛えられているのが分かる。顔も眉が太く、目つきはここにいるどの刑事よりも鋭い。 そして私はその名に聞き覚えがあるのだった。 ハルカ・シティでこれほど有名な警部はいないのではないだろうか。 「なんでしょうか、課長｣ 「新人が入ってきた。お前に任せる｣ 「新人？｣ アニマール警部は、課長の机の前に立っている私を一通り眺めると、何とも言えない渋い顔をする。私にとってはもう慣れた反応だった。第一印象はひょろっとして頼りなさそうな奴、という感じなのだろう。だが、私はこの悪印象を覆すことから始めなければならない。 今度はアニマールに敬礼をして名乗って見せる。 「鷹通・フジワラです。これからお世話になりますが、よろしくお願いします｣ 精一杯の声だった。 一生懸命な鷹通の様子を見て、アニマールは笑うほど嫌味な奴ではない。アニマールは精悍な顔つきから思いもよらぬほど、笑うと印象が柔らかくなる。その笑顔を鷹通に向けて敬礼を返すのだった。 「アニマール警部だ。担当は……まぁ、市民なら誰でも知っていると思うが怪盗ジェイド専門」 『怪盗ジェイド』のくだりで、苦々しげな顔になるのは仕方ないところだろう。幾度となくジェイドに煮え湯を飲まされたアニマール警部は、ジェイドに続いて有名になりつつあった。……悪い意味で。 アニマール警部の元で世話になるということは…… 「私も怪盗ジェイド担当ですか！？｣ 「当たり前だ」 怪盗ジェイド担当……いきなりそんな大物を相手にすることになるとは…… 相手にとって不足はない！！ やる気満々な鷹通を、刑事課全員哀れみの目で見ていたことを本人は知らない。 「あーあ、よりにもよってジェイド担当になるとはね、あの新人」 「しかもあの顔だぜ？ 次の事件の時どうなることやら…」 ■■■ そんなこんなで、怪盗ジェイドの事件の書類整理をして毎日を過ごして一週間。 警察官としては不謹慎だが、待ちに待った怪盗ジェイドから予告状が来た。早速アニマールと共に今回の予告状を受け取った邸へと向かうのだった。 「本当にこの『セイレーンの涙』を守ってくれるんだろうな！？」 太鼓腹をテーブルに載せるようにして、つばを飛ばしながらアニマール警部に叫んでいるいかにも成金そうな男は、今回の予告状を受け取った者だった。 「もちろんです。今回こそ怪盗ジェイドの奴を捕まえてみせます！！」 答えるアニマール警部の気迫も負けていない。 「怪盗ジェイドなんかどうだっていい！ この『セイレーンの涙』さえ守ってくれればな！！」 「その宝石も守らせてもらいますし、怪盗ジェイドも捕まえます！」 「勝算はあるんだろうな？｣ 「ええ、もちろんです」 大きな部屋には、見ただけで値打ちものだと思われる家具やら装飾物が並べられている。ただ私にはキラキラしてただ悪趣味としか思えなかったが、本人の趣味なのだから仕方ないだろう。 応接セットも手すりや足が金色をしていて、その中の一つに私は腰を下ろしていた。隣ではアニマール警部が妙に自信あるげに笑っていて、その向かいには邸の持ち主が柔らかいソファに重そうな体を沈めている。 そして3人は顔を寄せ合って、アニマール警部の立てた作戦を聞くのだった。 「それは……」 私は目を大きくしてアニマール警部の顔を見た。 「どうだ？」 「たしかに……それなら大丈夫かもしれません｣ 少なくとも、仮に怪盗ジェイドを捕まえられなくても目的の物を盗まれる可能性は限りなく低い。 すごい……すごい作戦ではないだろうか。 アニマール警部本人も、今回のこの作戦にはかなりの自信を持っているようだ。 「いいじゃないか！ それならいける！！｣ 邸の主もこの作戦には賛成のようだ。 「じゃあ、怪盗ジェイドの予告の時間までに全部用意しなくてはな！！｣ 「はいっ」 予告の時間は12時。 この時間までに用意しなければならないものがあった。 ■■■ 『セイレーンの涙』 １７００年代、幼い頃の大病のせいで声を出せぬ貴族の娘がいた。彼女はその出せぬ声とは逆に、魅惑の歌声できく人を魅了させると言われる魔物の名「サイレン」とつけられていた。 そんな娘を見初めたのがそのときの皇帝で、娘は求婚を断り続けた。口のきけぬ自分では王宮での暮らしは無理だ、と。 それでも皇帝はあきらめなかった。娘の親の貴族もこの縁談を喜び、娘に嫁ぐように執拗に勧めるが、娘は頑としてそれを聞き入れない。 娘も皇帝のことを愛していたのだが、それでも怖かったのだ。口のきけぬ自分では、皇帝のほうが周りに何かを言われるのではないかと。自分のことで迷惑をかけるのだけは嫌だったのだ。 そんな娘に、皇帝は言った。 「私があなたの口の代わりとなろう」 そして、その時送られたのが大きなブルーダイヤのついた指輪。 娘の結婚指輪となったそのダイヤは彼女の名を継ぎ、さらに形が涙に似ていることから『セイレーンの涙』と呼ばれることになる。 「と、いうわけで今回は全員この指輪をつけてもらう」 ハルカ・シティ中の宝石加工職人を集めて、『セイレーンの涙』のイミテーションを作ったのだ。警察官たちは箱の中から指輪を手に取り、各々指にはめていく。 これならどれが本物かすぐには見分けがつかない上、奪うためには警察官を倒さなければならない。怪盗ジェイドは滅法腕も立つらしいが、今回は全員３〜４人の集団で行動するように命じられている。そして、腕の立ちそうな屈強な大男ばかりをアニマール警部は集めたのだ。 「ほら、鷹通もつけるんだ」 箱の中にはもう最後の一つしか指輪は残されていなかった。一応本物が一つ混じっているはずなのだが、どれがどれだか素人の者には分からない。 集められた男たちは小指の先のほうにかろうじて指輪がはまる程度であったが、鷹通の細い薬指にはぴったりとその指輪がはまる。 そして、私は否が応でも現場に立たされている緊張感がみなぎるのだった。 怪盗ジェイド……まさか初の事件からこんな大物を相手にするとは。 でも……これが私の夢の第一歩なのだ。 |