−未来生活−



　フェローの作った幻。
　永遠の平和を約束された場所。
　現実世界ではなく、過去の幻影。
　ここにあるものに、命はない。友の望んだ生あるものがいない。それは何もないのと同じだ。希望も絶望もここにはない。
　変わらない世界、変わらない自分。
　帰ってきてもいつも変わらない風景が出迎えてくれる。
　長い時をこうしてすごしてきた。
　いつまでも変わらないものだと思っていた。
　変わることの出来ない自分は、ここにいるのがふさわしいとさえ。
　なのに――

「よう、遅かったな！」

　どこまでも続く海を背に、漆黒の髪をなびかせて不敵そうな笑顔を見せる青年がそこにいた。ここにあるはずのない命がそこにあった。
　その隣にいた大型の犬がワウワウと鳴いてから、長いしっぽを振りながら自分の横をすり抜けていく。言語は異なるはずなのに、青年と犬はまるで会話をしているかのように通じ合っていた。
　人間だの、始祖の隷長だの、この二人を見ていると小さなことのように感じてしまう。こだわっているのは自分だけのように。
「……待っていたのか。しかしお前はマンタイクにいたはずだろう」
　魔物たちが群れとなって街へ襲いかかっているのを、青年とその仲間たちが撃退しているのをこの目で見た。だからこそ何もせずに引き下がって、ここへ戻ってきたのだ。
　なのに先にここへ着いている。
　彼らの仲間には始祖の隷長もついているから、空を飛んで先回りをすることも不可能ではないが。
「ああ、やっぱりあれデュークだったんだな。見てたんなら手伝ってくれてもよかったのに」
「お前たちがいるのなら、私の出る幕などないだろう」
　なんせ一度は刃を交えて敗れているのだから。
　しかし青年は不服そうに頬を膨らませると、木で出来た手すりにひじをかけて、背をもたれかからせた。
「あんときは一人じゃなかったからな。一対一なら、勝てるかどうか怪しいもんだ。……それに、仲間は多いほうが頼もしいだろ」
「仲間、か」
　かつての友のことを思い出さずにはいられない。そして仲間として戦った者達からの仕打ちも。
「――勘違いするな。お前たちの仲間になった覚えはない」
　いまだ過去に囚われたままなのだ。
　友を殺した人間たちを、許すつもりは毛頭ない。
　彼の望みは『生けとし生けるもの、心ある者すべてに安寧を』。その安寧を奪った者を許すことはできない。
　たとえエルシフルが許そうとも、友を失った苦しみと怒りはあの日から消えたことなどなかった。仲間などいない。いらない。
　タルカロンでこの者達に目的を阻まれたときに協力したのは、次善の手段をとったまで。
　それ以上は何も告げず、青年が連れていた犬とは逆方向の、街の離れにある大きな屋敷へと向かう。賢人の邸宅であったそこをデュークは仮住まいにしていた。フェローの生み出した幻影は都合のいいように出来ていて、自分がここにいる間は賢人はここにはいない。かつて始祖の隷長と理想をともにした証。だからここに居場所をくれた。
　そのフェローは青年たちの手によって精霊へと転生した。
　けれど所詮人間の自分は、他の何者にもなれない。変われない自分はここでこのまま朽ちるのもいいか。
　最初に訪れたときと何一つ変わらないのは屋敷も一緒だ。デュークは中へ入ると扉を閉ざす。そして心も閉じてしまおうとする。
　どうしてもあの青年を見ていると、決意が揺らいでしまうから。
　目が離せなくなって、友との思い出を忘れてしまいそうになるから。
　約束を忘れてしまいそうになるから。
　それでは、自分がここに存在している意味がなくなる。もう、そんな意味などないのかもしれないけれど。
　人魔戦争のことも帝国は闇に葬った。
　無論、タルカロンでデュークがしようとしていたことも伏せられた。
　何が悪で、何が正義だったかも知らぬまま、人々は生きている。都合の悪い部分はひたすらに隠し、人間の敵となったデュークの存在を混乱を招くだけ、とさらけだすこともなかった。たとえ憎まれようとも、人々が何をしてきたのか、どんな罪を犯したのか、知らしめることもできなかった。
　要するに自分は何も出来なかったのだ。
　これで自分のことを覚えている人間がいなくなったら、それでこの存在は消える。始祖の隷長のように聖核を残すこともなく、ただ遺体を野にさらし、それすらも風化し、誰にも知られずに朽ちるだけ。
　あの青年もさっきの会話でわかっただろう。自分が変わることができていないと。マンタイクで騎士団とギルドの共闘を見た後ならなおのこと、呆れてこの郷を出て行っただろう。

「――デューク」
　閉ざされた扉が開かれる。
　何の障害もなく、迷いもなく。
「まだ何か用事があるのか。ここはお前のような者が来る場所ではない。早く出ていけ」
　背を向けたままデュークは振り返ろうとしなかった。青年を見ればきっとその強い意志を秘めたまなざしに目が行く。否が応でも引きずられてしまうことは、わかっていた。
　あまりにも強い生命力。
　喜怒哀楽の激しい感情。
　人間の業。
　この心に憎しみがある限り、また自分も同じ矮小な人間なのだと思い知らされる。
「じゃあ、ここはデュークの居場所なのか？」
「……そうだ」
　世界は変わった。
　見守るのはフェローを始めとする精霊たち、それにこの青年たちもいる。この身が始祖の隷長と同じように長い時を生きられるのならばともかく、他の人間と同じく寿命は遠くないうちに訪れる。この時代にこの青年たちがいるのであれば、もう自分の役割はないのだと、マンタイクでの光景を見て感じた。
　ある女性はこの世界は成長の途中なのだといった。
　そうなのかもしれない。
　ならその成長についていけない自分は、ずっと変わらぬこの場所にいるのがふさわしいだろう。
「フェローが私のために作ってくれた場所だ。人間と交わらなくても生きていけるようにと。だからお前はこんなところにいないで、お前を必要としている者の所へ帰るがいい」
　成長していく世界から切り離された場所に、彼はとてもふさわしいとは思えない。残された世界はまだ彼を求めているというのに。
「――気に入らねぇな」

08’冬コミ発行「未来生活」サンプル