−灯台下暗し−


「うわっ！！！！！」

　夜の雑踏の中、突然声をあげたのは隣にいた親友だった。
　慌てて何が起こったのかを確認すると、フレンはその細い腰に伸ばされている腕をつかんでねじりあげる。
「いたたた！　何しやがる！」
「それはこっちの台詞だ！　いきなり人のケツ撫でまわしやがって！」
　被害者である親友が声を張り上げれば、それが変声期をむかえたものであると誰でも気づく。腕をつかまれた男はぎょっと目を剥いた。
「お、男ぉ！？」
「男以外の何に見えるってんだ！」
　憤った親友は右ストレートを一発、フレンも手を離してみぞおちに一撃。それで地面に男は白目になって屈する。弱いものいじめをする趣味は両方持ち合わせていないので、それ以上は何もせずにただ不機嫌そうに歩き出す親友の隣に並んだ。
　自分が他人にどう見られているかなんて、指摘されるまで気づかないものだ。
　けれど、自分の親友の場合は鈍いというにも程があると思う。
　女性が嫉妬しそうなほど艶やかで真っ直ぐな漆黒の髪。凛とした眉に、アメジストの瞳。薄い唇はいつも花のように色づいてほころんでいる。
「……ちっ！　酔っ払いオヤジが」
　黙っていれば誰もが見惚れるというのに、口から出るのは下品な舌打ちと、下町育ちらしく汚い言葉であった。彼の場合は先ほどのように女と間違われることが多く、それにいちいち突っかかるものだから、さらに汚くなっていったのだ。
　その原因の一つである長い黒髪を指でつまむ。
「なー、そろそろ切ってもいいだろ？」
　せめて短く刈っていれば男らしく見られるかもしれない、と本人は思っているようだが、その手の趣味の男も少なくはない。むしろそっちのほうが危険だと思っている。
　だから彼のためを思って、髪の毛を伸ばすように言ったのだが。
「僕に剣で勝てたらね」
「けっ！　今に見てろよ」
　軽やかに微笑んで却下してやると、これまた口をへの字にして不満そうな顔をする。一度たりとも勝てたことがないので、彼の髪はもう肩を通り越そうとしていた。
　たしかに一見すれば美少女に見えないこともない。
　いつも一緒だからフレンが性別を見誤ることがないだけで、知らない人間が見たら中世的な雰囲気をかもし出している。本人は自分の外見にまったく無頓着なのだが、そこがまた一層他人を惑わせる。
「……そもそもユーリは無防備すぎるんだよ」
　下町なんて騎士団の目もほとんど行き届いていないような場所だ。税金だけはしっかり取り立てるくせに、犯罪行為の温床となってしまっている現状。生まれも育ちもここであることを疎んじたことはないが、ユーリの学習能力のなさといったらない。
　他人に対して警戒心を持たないのだ。逆にそれだけ人を惹きつけてしまうことにもつながるというのに。
「んだとぉ？　だからこの髪のせいだって言ってんだろうが！」
「それだけじゃないだろ。もっと周りのことにも目を向けたほうがいい。君が気づいていないだけで、その辺に危険は潜んでいるんだから」
　あちらにもこちらにも。
　ビシバシとユーリと一緒にいることへの嫉妬と羨望のまなざしが向けられている。その分だけ危険も潜んでいるのだ。なのにユーリはといえば、つまらなさそうな顔で辺りを見回して、にやにやと笑う。
「あーそうだな。下町一のモテモテ男のフレンさん。たーっくさんの女がお前のこと見てるぜ」
　やっぱり鈍い。
　そんなものはどうだっていいことなのに。
「本当に鈍いな、君は――」
　店と店の間の狭い隙間にフレンはユーリの華奢な身体を突き飛ばす。そして人目に触れないところに自分も入り込むと、何をするんだと息巻く親友の身体を抑え込む。
　ほら、見えていないじゃないか。
　目の前にあるものさえ、危険だと認識できていない。
「油断しすぎだよ」
「フレ……っ」
　自分の名前を呼ぼうとした唇を自分のそれでふさいでしまう。
　一番の危険に、彼は気づかなかった。
　だから、君が悪い。
「っ……な、にすんだ……！」
　唇が離れると、信じられないものを見るような目つきでこちらを見てくる。
　けれどそこには驚きと怒りの色しか見えないことに、フレンは安堵した。これが他人と自分の差だと確信できるから。どんなことをしても、本気で嫌われることはない。フレンがフレンであるかぎり。
　だからまだ、心の準備が出来るまでは我慢しよう。
「こういうこともあるんだって覚えておいたほうがいい」
「だからって……ホントにするかよ、普通……」
「そこが油断しすぎなんだよ」
　まだまだ、危険はたくさんある。
　この胸の中に。
　気づくだろうか、彼は。
　ずっと隠しているこの感情に気づいたとき、彼はどうするだろうか。

　知りたい。
　でもまだ怖い。
　そばにいたいんだ。
　あと少しだけでも――

フレユリの練習！