−バレンタインぎらい−



　こんなことをしている場合ではないのに。
　机の上に山と積まれた箱・包み、床にもそれらは置かれていて、以前にピオニーが仕事の邪魔をしたときのような部屋の散乱具合だった。
　執務室としての機能を麻痺させている。
　ジェイドは誰もいないからと眉間にしわを寄せた。
　せっかく旅の貴重な時間を割いたというのに、この片付けだけで半日が終わってしまうだろう。フレイムバーストですべて焼き払ってやりたい気分になるが、そういうわけにもいかない。
　毎年この調子ではバレンタインという日も嫌な記憶しかなかった。
「ふぅ……」
　仕方ないとため息をついて最初の箱に手を伸ばしかけたとき、ノックもなしにドアが勢いよく開いて、中にあった箱の山が崩れた。
　軍の人間ならノックもなしにドアを開けることはないし、勝手に入ってくるピオニーならそもそもドアを開ける必要もない。わざわざ国家予算まで使って隠し通路まで用意されている。
「わっ、何だよコレ！！」
　ノックを忘れたことを謝るでもなく、来訪者は部屋の惨状に驚いて声を上げた。
　踏み掛けかけたところで慌てて足を浮かせた青年にジェイドは微笑みかける。
「ルーク、ちょうどいいところに」
「どうしたんだよ、コレ」
「今日が何の日か失念してまして。片付けるのを手伝っていただけませんか？」
「今日？　てことはこれ全部チョコ？」
　女性陣が大事な用事があるとか言って厨房にこもったときに、ルークはガイから今日が何の日か教わっていた。その意味まで明確に理解したかは分からないが、なんかじとりとした目でこちらを見ているところから、まるきり分かっていないということはないらしい。
「チョコレートかどうかは分かりませんが、バレンタインの贈り物ですね」
「……みんな女から？」
「さあ。それを確認するのも仕事です。片っ端から開けて贈り主の名前だけを読み上げていただけますか？　どうせその辺でごろごろするおつもりだったのでしょう」
「ち、ちげ……わーったよ」
　だりぃ、と顔に書いたルークはそれでも無造作に箱に手をかけ始めた。
　ジェイドも綺麗に結ばれたリボンを一つずつほどき、中にあるメッセージカードの名前にだけ目を通す。ルークがやる気のない声で読み上げる名前も聞きながら。
　知っている名前に知らない名前、様々であってもジェイドの頭にはきちんと納まっている。軍のデータベースとも言われているらしいが、実際のところはピオニーのアドレス帳に近い。一度聞けば忘れないジェイドの能力をそんなふうに利用しているのは彼くらいのものだ。
　信頼して能力を買ってくれているのがわかるので、あまり文句も言わないが。
　中には能力を妬む者もいれば、畏怖する者もいる。
　そういう人間は臆病者であるから、堂々と何かを仕掛けてきたりはしない。匿名でも使ってこそこそと自分の贈り物を混ぜるのが精一杯だろう。
　軍本部に届くものであるから差出人不明ということはないはずだが。
「これ全部一人で食うのか？」
「食べませんよ。すべて処分します」
「え、だってこれ心こめてくれたもんだろ？」
　ガイは本当にいい教育をしていると思う。
　素直すぎて心配にもなるが、それが彼の美徳でもあるから一概に批難もできない。
「まあ、心はこもっていますね。愛情だったり、悪意だったり。どちらにせよ一方通行では何の意味もないと私は思いますが」
「愛情はともかく悪意でチョコやんのか？」
「そういうものには心のほかのものも詰め込まれてますよ。これなんかは下剤入りです。馬鹿らしい」

　ぼとっ。

　贈り物の山が崩れたのかと思えば、どうやらルークの手の中のものが落ちたらしい。
　そして彼は硬直したまま動こうとしなかった。
「げ……下剤……？」
「ええ」
「下剤…なら死なないよ、な？」
「まあ余程でなければ。わざわざ服用される方もいますから」
　ほっとルークが胸を撫で下ろしたのをジェイドは見逃さない。まさか、と持っていた箱を放り投げて安心して脱力している彼の腕をつかむ。
「食べたのですか？」
「えっ…あ、や……」
「食べたのですね」
　図星を突かれたのと、隠し事がバレたのとで動揺するルークの身体をかまわず抱き上げて、ジェイドはドアを蹴り破って外へ出た。驚いている衛兵をおいてそのままトイレへと運ぶ。
「な、……あが……！！！」
「全部吐きなさい！」
　身体をようやくおろしてもらえたかと思えば、指を喉まで突っ込まれてルークは目を白黒させている。だがジェイドは朝食の中身まですべて吐き出させるまで、ルークの顔を洗面台に突っ込ませる形で首根っこをおさえ続けた。
　チョコも含めて胃の中のものを全部吐き出すことを強要されたルークは、最初のうちの抵抗から力も弱ってくる一方だ。水を飲ませてさらに吐かせ、胃液の匂いが鼻を掠めてようやくジェイドは指を抜く。
　青ざめた顔のルークはぐったりとしていた。
　その身体を抱き寄せながら汚れた手を洗い、ポケットの中のハンカチでルークの汚れた口を拭ってやる。
「つまみ食いなんかするからですよ」
「……ぅ……ごめ、ん……」
　恥ずかしさと申し訳なさと、具合の悪さで気も弱っているのか、腕の中のルークは大人しいものだった。少しばかりは反抗してくれないと、ジェイドしてもからかいがいはないのだが。
　そんな元気も残っていない。
「医務室へ連れて行きます。あれは下剤でしたが、致死性の毒物が入っていることもありますから、きちんと診察しましょう」
「…だいじょうぶ、だって…」
「即効性のものとは限りません。これ以上手間をかけさせないでください」
　苛立つ感情を隠すために淡々とした口調で言ったため、どうも怒られたか呆れられたと感じたらしいルークはうつむいたまま顔を上げない。
　しかし軽々しく見知らぬ人からもらったものを口にした行為は反省するべきところなので、ジェイドは慰めたりもしなかった。またルークの身体を抱き上げて医務室へと連れて行くことにする。


■　　■　　■


　バレンタインなんてろくなもんじゃねぇ。
　医務室のベッドに転がったルークはうんざりした顔でため息をついた。
　朝からアニスたちに邪魔者扱いされて、ジェイドのところではあんなチョコレートの山を見ることになるし、それをつまみ食いしたら酷い目に遭ったし。
　検査の結果が出るまで少しかかるとかで、帰ることもできなかった。
　みんな心配そうに見舞いに来てくれたけれど、原因をジェイドから聞いた途端に馬鹿者扱いだ。一応チョコレートはもらったものの、ようやく吐き気がおさまってきたところなのでまだ口にする気にはなれない。
　それにこれはどうしよう、とポケットの中の硬いものに触れてみる。
　ガイから教わったバレンタインというものは、好きな人にチョコレートを上げることで告白をするというものだった。日ごろの感謝とか、募った想いなどを伝える日だと。

「ルーク、検査結果が出ましたよ」
　医務局の人間よりも自分がやったほうが早いと、白衣を着たジェイドが部屋に戻ってくる。
　やっと薬品くさい部屋から出られるのかと期待してルークはがばっと起き上がったが、体調が回復しておらず、うっと口元をおさえた。
「とりあえず毒物は発見されませんでした。しかしまあ、一応念のため今晩はここに泊まってください。みなさんにはそう伝えてありますから」
「もう大丈夫だって……」
「誰のおかげでこんな騒ぎになったんでしょうねぇ」
　そういわれると強く出れない。
　手伝いをするつもりが、とんだ迷惑しかかけていないのだ。
　落ち込んだルークの頭にジェイドの大きな手のひらがのせられる。いつもなら子ども扱いに腹を立てるところだが、今日は立場が悪すぎる。
　そうしながらジェイドはベッドに乗っている箱を発見した。
「ティアたちがくれたんですね」
「ああ、お前ももらったんだろ」
「先程いただきましたよ」
　白衣のポケットからルークのものと同じ包みを取り出して見せてくれた。となればおそらくガイも同じものをもらっているのだろう。
　しかしジェイドに関してはさっきのこともある。
「これは捨てたりしないよな」
「女性に恨まれると恐ろしいですからねえ。あの部屋にあった毒物の半数近くが女性からでしたよ」
「……お前、一体何やったんだ」
　はっはっは、と笑うジェイドを疑惑のまなざしで見つめる。
　まあ、あれだけあったチョコレートだ、中には本当に彼のことが好きで贈ってきた人も結構いるのだろう。読み上げる中に男の名前も半分くらいあったのは気になるが。
　それでも彼は眉一つ動かさずにあの山を全て処分するのだろう。
　ティアたちからのものだけは食べてくれそうだが、やはり基本的にプレゼントは好きじゃないのかもしれない。いや、人の好意をなんとも思っていないのか。
　ポケットの中のものだって……
「何でジェイドなんか好きになるのかな」
「さらりと酷いこといってくれますね」
「ぜんっぜん自覚ねーし」
　おやおやと肩をすくめてジェイドがベッドのそばを離れようとする。
　無意識に白衣のすそを手がつかんでいた。
　置いていかれるのは嫌だった。
　あの贈り物のように彼が簡単に捨てることを知っている。
　人でなし。
　そう分かっていて嫌いになれない自分もいた。

「何ですか？｣
　だから彼に賭けてみよう。
　彼なら気づくかもしれない。
　気づかないかもしれない。
「これ捨てろ。お前の部屋から持ってきたやつ」
　ポケットから出した小さな箱。
　ジェイドにとってのゴミの山の中の一つに過ぎないというそれ。
　紛れ込ませてしまおうかとも考えたのだけれど、その機会は自らのミスによって失われてしまった。少しだけ気づく可能性は高い。
　でも、きっと気づいて欲しいからそんなことはできなかった。
　矛盾した行動。
「そうですか」
　何の疑いも見せずにジェイドはルークの手から小箱を受け取る。それから同じように店の人が結んでくれたリボンをほどき、性格なのか丁寧に包装紙を破らないように剥いだ。
「……………」
　ジェイドが箱を開けたところでルークはぎゅっと目を瞑る。
　自分からと伝えてなくて捨てられても仕方のないことなのに、それでも見たくはなくて。耳も塞いでしまいたいけれど、そんなことをしてはばれてしまうから。

「ルーク」

　―――？
　何の音もしないと思ったら、突然名前を呼ばれてルークはこわごわと目を開けた。
　視界に飛び込んできたのはジェイドの笑顔とその指先にある茶色の塊。顎をつかまれ口にそれを押し込まれてルークは目を回す。
「んっ」
　口の中に溶けて広がるチョコの味。
　ミルクが多めで空っぽの胃には優しい。
　もぐもぐもぐ、ごくん。
　嚥下してからジェイドの指が唇から抜かれ、ちゅぱっと音が立つ。白い指先がチョコレートで汚れているが、それをジェイドはこれ見よがしに赤い舌を出して舐めた。
「ジェ……っ！」
「ご馳走様でした｣
　気づかれていた。
　その事実にルークは口をおさえて顔を赤くする。
「名前書いてないだろ、それ……！」
　今の態度が事実だと認めているようなものなのだが、それでも認めたくなかったからそんな風に言ってみる。しかしジェイドはにこにこと笑ってリボンと包装紙と箱をこちらへ向けた。
「ええ、そうですね」
「じゃあなんで……！」
「だからですよ。あの部屋には送り主不明のものは届かない。―――誰かが直接届けない限りは」
　にこにこというにはあまりにも不穏すぎる笑み。
　何もかもお見通しで、人をからかって。
　それでも嫌いになれない自分がここにいる。
「ほら、まだ回復してないのですから、ちゃんと横になって休みなさい」
　言うことを聞かない子供のような扱いであるが、話を変えてくれたのだからわざわざ戻すこともない。なんだか恥ずかしいことしかしていない気がして、ルークは頭まで布団をがばっとかぶる。
　忙しいから出て行くだろうと思っていたのに、ジェイドはそのままベッドの横の椅子に座りだした。早く出て行け、でも置いていかないで、とまた矛盾したことを考えながら悶々としていると、布団越しに小さいがしっかりとした彼の声が響く。



「―――受け取ったチョコを食べたのはネフリーに続いてあなたが２番目ですよ」



　どうせまた彼得意の嘘なのだろう。
　３５歳にもなって部屋を埋め尽くすような量をもらう男が、妹からしかチョコを受け取っていなかったなど誰が信じるものか。
　信じられないけど。
　……信じたい。

「ここにいますから、ちゃんと眠ってください」

　ほら、やっぱり全部分かってる。
　すべてお見通しで、それでもここにいてくれてる。
　嫌いになれないのはそのせいだ。


　バレンタインも、嫌いになれないかもしれない。

全然ラブラブしてない気が…します。
そもそもゲロ吐かすなよ、自分…
そして大遅刻、です！（がくり）