−約束の鍵−



　眠れない。
　外からは絶えることなく聞こえてくる水の音。
　水上要塞帝都グランコクマ、その城の中でルークは周りに気づかれないようにむくっと起き上がる。別に水の音が気になるわけではなく、眠れない原因は他にあると分かっていた。
　また、人を斬った。
　いくら理由があろうと、事実は変わらない。

　斬って、刺して、傷つけて、殺して―――

　もうどれだけ自分は他人を殺してきたのだろう。
　いつまで眠れぬ夜が続くのだろう。

「外出ですか？」
　部屋の外で見回りをしていた兵士が気軽に声をかけてくる。ルークは短くなった髪をかきながら、散歩してくると告げて城の廊下を歩き出す。
　いくら客人とはいえ、敵国の人間が夜中の城内をうろついては兵士も落ち着かないだろう。ルークは階段を下りると、一段と大きなドアを開けて外へ出ることにした。
　一際水の流れの音が大きくなるのとともに、冷たい風が当たる。
　ケテブルクほどではないにしても、グランコクマはバチカルよりもずっと北に位置している。その上、地形の関係上こちらのほうが風が強いのだ。
　薄着のまま出てきてしまったことを後悔するが、取りに戻って誰かを起こしても申し訳ない。みんな疲れているのだから、街にいるときくらいは安心して静かに眠って欲しかった。自分の分まで。
　城の前にある噴水には、昼間であれば兵士やら街の人が集まったりしているのだが、さすがに深夜は誰もおらず、それでも律儀に噴水は水を噴出している。ルークは吸い寄せられるようにそこに近づいて、縁に腰を下ろす。

　ちゃぷん。

　左手を水の中につけてみる。
　水温は思った以上に冷たいが、ルークは手を引っ込めることをせずに黙ってその手を見つめた。
　剣を握る手。
　人を斬る手。
　人殺しの手。
　こうしていれば少しは綺麗になるだろうか。
　いや、そんなことはない。むしろ綺麗な水を汚していくだけ。

　罪が消える日は来ない。
　罰を受ける日は遠くない。



「子供はもう寝る時間ですよ、ルーク」
　もう一人の罪人が現れる。
　罪人は夜目にも見事な紅い目を細めながら、軍本部の建物からこちらへと歩いてきた。そしてルークの目の前で立ち止まり、左手をつかんで水から手を引かせる。
「……ジェイド、仕事は終わったのか？」
「ええ」
　せっかくグランコクマに立ち寄ったのなら、山積みになっている仕事を片付けたい、と一人単独行動をジェイドはしていた。そもそもカーティス家もこのグランコクマに屋敷をかまえているそうだから、要人用の部屋を使うまでもない。グランコクマで過ごす場合、自然にジェイドは単独行動をとっている。
「こんなところにいると冷えますよ。手も冷たい」
「……うん、そうだな」
　ルークはそう返事もしながらもどこか上の空だった。
　その左手をつかんだままだったジェイドは仕方ないですね、といってその手をぐいっと自分のほうへと引き寄せる。もう片方の手を浮き上がったルークのひざ裏に回して子供のように抱き上げた。
「お、おい……！」
「背も小さいですけど、体重ももう少しつけたほうがいいですよ。好き嫌いしていると私みたいに大きくなれませんから」
　かちっと軍服に身を包んでいるジェイドのほうが華奢に見えないこともないが、一回りの体格差は確実に力の差となる。ルークを担いでも飄々としていてまだ余裕があるくらいに。
「子供扱いすんなって！　おろせ！」
「放っておけば一晩中でもここにいるでしょう。さすがにあなたでも風邪を引きますよ」
「いいって！」
「倒れられでもしたら迷惑です。ほら、おとなしくして。部屋に戻りたくないのは分かってますから」
　それを聞いてルークは抵抗をやめる。
　しかしだからといっておとなしく男の腕に抱かれる趣味もないが、無理やり部屋に戻す気はないらしいと聞いて、そっちの興味のほうが先にたった。
「じゃあどこに行くんだ？」
「私の屋敷です」
「え、ジェイドのうち？　カーティスの屋敷ってことか？」
　足取り全然変わらぬジェイドはルークを抱えたまますたすたと歩いている。
　出身はケテルブルクのはずだが、カーティス家に養子に入ったジェイドはマルクトに屋敷があるのだろう。ジェイドの私生活が垣間見れるかもしれない、と思うと興味がむくむくとわいてきた。
「いいえ。どうも義理の父にも母にも好かれてないようで、小さいですが家を建ててもらったんです。だいぶ昔の話ですけどね」
「……悪い。そんなこと聞きたかったわけじゃないんだけど…」
「養子になってすぐ実験中に屋敷を半壊してしまったんですよねぇ。はっはっは」
　それはジェイドらしいといえばジェイドらしい。
　家に来てすぐそれでは好き嫌い以前に怖いとしか思えないだろう。カーティス夫妻も一体何を考えて彼を養子に取るつもりになったのか。
　ルークの白い目線に気づいたのか、ジェイドはにっこりと微笑んでみせた。
「また家を壊されちゃ困るから、ジェイドのために家を建ててくれたのか」
「地位と金だけはある人ですから。あとは野心も」
　自分はそんなものにまったく興味がないという口ぶりだった。地位と金には興味ないというのは頷けるが、野心のほうは分からない。
　損することは好んでしないようだが、だからといって皇帝の命令以上の何かを感じさせる行動も見受けられない。個人的な野心はないのだろうか。
　それともかつてはあった、という過去のものにしているのか。

　妹にして悪魔と言わしめた少年時代。
　人間にしてくれた恩師を殺し、その復活を望んだ結果、生まれたのが自分。
　さらにその自分が罪を重ねたことで、彼はどんなに悔いているのか想像もできない。
　普段の様子からは何も分からないけれど。
「どうしました、急におとなしくなって」
「うん……俺、ジェイドのことあんまり知らないなって思ってさ」
「私だってあなたのことよく知りませんよ。お相子じゃないですか」
　嘘つけ。
　自分の生い立ちから、素性から全部知っているくせに。
「……ジェイドの家、行く」
「家人はこの時間誰もいませんから、あまり構えませんよ」
　もう寝るだけだったから特に何をしてもらう必要もない。それにここまで強引につれてきたくせに何を言っているのだと思う。
　あまり自分のことを知られるのは好きじゃない彼が、珍しく誘っているのだからここはおとなしくしていよう。抱っこされているのはあまり気分よくないが、冷えきった身体にはあたたかかった。


■　　■　　■


　ジェイドの言葉はお世辞などではなく、たしかに家は小さかった。
　ただし公爵家で育ったルークの価値観で、だが。実のところ一般市民の家の３倍はある。一人で暮すにしては大きすぎるくらいだ。
「―――で、なんで服を脱がせるんだよ！」
「ここが脱衣所だからです」
　理由になっていない。
　家に来てすぐこんなところへ案内するものなのか。友達の家に遊びに行くことのなかったルークだが、少なくとも師匠は訪ねてきていきなり浴室へ行ったりしない。
「脱ぐんだったら自分でやる！」
「あ、そうですか」
　服からぱっと手を離され、落ちそうになったズボンを慌ててつかんだ。
「風呂にはもう俺入ったぞ」
「身体が冷えてるでしょう。暖炉の準備はこの季節できていませんから、あたたまるにはこれが一番早い。私は譜術でお湯沸かしてきますから、ちゃんと準備しておいてくださいね」
「大丈夫だって」
　しかし先ほどまで触れられていたため、まったく説得力がない。当然ジェイドはそれを聞き入れるはずもなく、低い声で物騒なことをつぶやく。
「……私に脱がされたいなら、そのまま待っていていただいてもかまいませんよ」
　遠慮します、と叫んでルークは慌てて服を脱ぎ始めた。それを確認したジェイドが浴室へ消えていくのだけはしっかりと見送って。

　同じ水でも温度が違えば心地よくなる。
　家自体は公爵邸よりも小さかったが、主の趣味なのだろう浴室は広く出来ていた。獅子の口からお湯がどばどばと零れ落ちている。
　冷えていた体がお湯に包まれてわずかにしびれた感覚。
　屋敷の中では他にすることもなかったので入浴が割りと好きだったルークは懐かしさを覚えて、広い浴槽に足を伸ばす。
「湯加減はどうですかー？」
　ドアが開いてジェイドが主らしく裸で堂々と入ってくる。
　入って……
「なんで入ってくるんだよ！？」
「お風呂は入るものじゃないですか」
「なんで裸なんだよ」
「キムラスカには服を着て風呂に入る習慣でもありましたっけ」
　ジェイドは驚いているルークを適当に流しながら、勝手知ったる我が家とばかりにシャワーを頭から浴び始めた。
　今まで仕事をしていたのなら入浴だってしていなかったのだろうが、まさか突然来るとは思いもしなかったので驚いただけだ。大きくなってからは屋敷ではいつも一人で入っていたから、誰かと一緒などという習慣はない。
「……入るならちゃんといえよ……」
　広い浴室だから二人入っても十分な広さはある。浴槽だって大の男二人で足を伸ばしても大丈夫なくらいだ。
　慣れないルークは居心地悪そうに浴槽に座り込んでいると、シャワーを浴び終わったジェイドがわざと波を立てるようにお湯の中に入る。肩まで浸かっていたルークの顔にバシャッとお湯がはね上がった。
「うぷ」
　ちょうど息を吸い込んだところだったので鼻にお湯が入って涙目になる。
「あにすんだ！！」
「身体はあたたまりましたか？」
　両手で鼻の辺りをおさえているルークをジェイドはひょいと抱えあげる。
　また子供みたいな扱いをされてさらに眉を吊り上げた。しかしそこでふと気づく。
　今日のジェイドはおかしくないだろうか。
　旅と仕事で疲れているだろうに、わざわざ自分にからんでくるなんて。面倒なことはしたくないといつも口にしている彼らしくない行動だった。
「……ジェイド、熱でもあんのか？」
「突然ですね。体調は悪くありませんよ」
「ならいいけどさ……お前具合悪くても平気な顔してそうだし、ちゃんと言ってくれないと俺にはわからないからな」
　顔色変えずに嘘をつくことは彼には苦もない。
　だからいつも頼るばかりで心配をしたことなどなかった。
　文句は言うけれどなんだかんだ自分を見守ってくれていて、あまり他人という感じがしない。自分を作った技術の考案者だからなのか。
「もしかして心配してくれているのですか？」
「…まあ、な」
　こんなに至近距離で訊かれるのも答えづらい。
　照れたせいかお湯のせいか赤くなった顔をルークはジェイドから背ける。
「あなたもちゃんと他人には伝えないと分からないことがあると覚えていてくださいね。……一人でいたくないときはちゃんと言う」
　ジェイドは濡れた手でルークの髪を撫でる。
　心配していたのはジェイドのほうで、夜中に抜け出したルークのことなどとっくに見通していた。下手をしたら悩んでいる内容までばれているのかもしれないが、今更隠すことも出来ないだろう。なんせ相手はジェイドなのだから。
「子供じゃねーんだぞ……」
「あなたは見かけによらずまだ７歳ですからね。ま、外見年齢どおり１７歳だったとしても私から見ればまだまだお子様ですけど」
　倍以上も生きているのだからそれは仕方のないことかもしれない。
　でもだからといって無条件に甘えていいはずもないことを、今のルークはちゃんと分かっている。責任を負うというのはそういうことだと。
「ジェイドは……さびしくないのか、家に一人でさ」
「一人が気楽でいいんですよ。軍では単独任務はそうありませんからね」
「そういうことじゃなくて、結婚する予定とかないのかよ」
　自分と父親はともかく、父と母はとても仲がいい。
　しかしあの二人も最初は他人だったはずで、結婚をすればあんなふうに穏やかな家庭を作れるのだろう。少なくともルークはそう思っていた。
「ありませんね。いろいろと理由はありますが、一番は自分の空間を壊されるのが嫌だからでしょうか｣
「それってここか？」
「ええ」
　長い間主が留守にしている割にこの屋敷の手入れは行き届いている。それは庭を見ても玄関を見ても、こうした水周りを見てもよく分かった。ただし、普段もジェイドが屋敷に戻るのは夜だろうに、ここには住み込みの家人は一切いない。
　家には一人、ジェイドだけ。
「やっぱりさびしいと思うけどな……」
「ならルークが遊びに来てください」
「え？」
　目の前にジェイドの右手。
　上に向けた手のひらがパァッと一瞬だけ光った。眩しさに眼を瞑ったルークだが、次に目を開けたときにはジェイドの長い指が何かを目の前にぶら下げている。
　銀色に光る硬質の物体。
「鍵？｣
　そんなものまで槍と同じようにしまってあるのか。
　ガイから借りた漫画に出てくるお助け機械みたいだな、とルークはまじまじと鍵と手を見つめる。
「手を貸して下さい、ルーク」
　言いながらジェイドは空いてるほうの手で、ルークの手をとる。そして鍵を握った手の人差し指でルークの手のひらに触れた。
「っ！」
　また光。
　そして一瞬の熱。熱いというほどではないが、何かエネルギーが働いたのが分かる。
　目を開くと今度は鍵が消えてしまった。まるで手品のように。
「あれ、鍵は？」
「ありますよ、あなたの身体の中に」
「身体の中……って、ジェイド！？」
「私の槍の応用です」
　とすると、この身体の中の音素の中に鍵が溶け込んでいるというわけか。
　なんだかいまいちぴんとこないというか、異物感を感じるというか。
「勝手に何するんだよ！｣
「便利なんですよ。うっかり鍵を忘れたりもしませんし、盗まれる心配もしなくていい」
「そーゆー問題じゃねえって！｣
「気にすることはありませんよ。普段は音素と同化していますから、人体に影響はありません。あなたが望んだときにだけ発現するように譜陣を書きました」
　だからそういう問題じゃないというのに。
　しかしジェイドがそういうのだから、本当に身体に影響はないのだろう。そうしている間にも身体は通常の状態に戻ってきている。
　こんな体にした本人はといえばなんだか嬉しそうに笑っていた。
　なんだかこれ以上文句を言うのも差し支えるくらいに。
「…望んだときって、やり方わかんねーんだけど」
「譜術を使うのと同じなんですけど、あなた譜術は苦手ですからね。条件付けをしておきました。一人のときに鍵の姿を頭に描きながら「ジェイドだ〜いすきっ」と言うと…」
「絶対言わねー」
「冗談です」
　本気だったら困る。
　一人でそんなことを言ったらただのアホみたいじゃないか。
　いや、むしろ一人のときしかそんなことはいえないか。他の誰かになど絶対に聞かれたくない。ていうか、そもそもそれだったらジェイドの家になど遊びに行かない。
「後半は要りませんよ。私の名前を呼ぶだけでいい。そうすれば鍵が手の中に現れます」
「ジェイド、って言えばいいんだな。それならまぁ…」
「これはあなたと私だけの秘密ですよ」
　隠し事は苦手だけど、秘密といわれたことをペラペラしゃべるような性格でもない。
　ルークはおとなしく頷いて自分の手のひらを見つめる。見たところ先ほどまで熱かった部分には何もない。ここから鍵が出るのだろうか。
「眠れないときはここへ来なさい。ここには私がいる」
　眠れぬ理由を知っている彼がいる。
　だからいらぬ気遣いは不要だということ。
　ジェイドなら逃げ場になったりはしない。必要だと思うことを与えてくれる人だ。その彼がルークにこの鍵が必要だと判断したのなら、そういうことなのだろう。

　―――でも。

「お前やっぱり人のことばっかりだ。ジェイドだって淋しいときくらいあるだろ。そういうときはどうすんだよ、呑気にここで俺を待つのか？」
　素直に答えるとも思っていなかったけれど、ルークは気づいてしまった。
　彼がこんな方法でしか他人を求められないこと。自分からはきっかけを与えることしか出来ず、明確な行動に表せないこと。
　大人だから？
　いや、違う。
　ジェイドは同じなんだ。
「そのときは私があなたの名前を呼びます」
　自分のしてきたことの結果を悔いて、悔やみきれず、償いのために生きている。
　しかもそれを全部一人で抱え込んで。
「……ジェイドって嘘つきだよな」
　いくらだって泣き言を聞くのに。
　助けてやるのに。
　そばにいてやるのに。
「ちゃんと呼べよ。聞くから｣


「―――ルーク」


　言葉は他にない。
　でも名前を呼ぶことそのものが、彼の望み。


「…………ジェイド｣


　許されぬ罪の名前だとしても。
　罪である自分の存在を作り出した名前だとしても。
　眠れぬ夜に二人なら、怖くない。

シリアスになりきれてないよ、自分…
そしてなんで風呂場大好きなんだ、自分…
えーと、続く。(続くのかよ)