−おとなのあそび。−



　「完璧だな！」となんだか自信満々にガイは胸をそらして、目の前に立つルークの姿を眺める。
　体型を隠すためのドレスは、締まるところは締まって見え、出るところは出て見える。もちろん胸には詰め物をしているが。
　髪の毛ももとの赤では目立ちすぎるので、カツラを用意してみた。
「…なあガイ、聞いてもいいか？」
「なんだよ？」
「化粧の仕方なんてどこで覚えたんだ？」
　そう問いかける唇は妙につやつやして慣れないルークは今すぐ拭い落としてしまいたくなる。ファンデーションもチークもマスカラも、名前も知らないままガイに塗られて、出来上がった自分の顔はまるで別人のようだった。
「まあいろいろとな。お前も覚えてみるか？」
「……いい。でもこれで俺だってわからないよな」
「それはもう俺が保証するぜ！　どこからどう見ても可憐な女の子に見えるって！　身長低くてよかったなぁ、俺じゃとてもこうはいかない」
　とても褒め言葉とは思えないが、とりあえず目的は達成したようだ。
　ルークはサンキュ、といって大股で部屋を飛び出そうとする。そんな彼に背後からガイが口に手を添えて声をかけてきた。
「おーい、そんな動作じゃすぐバレるぞー。城でのナタリアの振舞い方を見習えよー」
　ぴたっと足を止めてルークはナタリアの仕草を思い出す。
　邸にいたメイドとも、街中を歩く女性とも違う動き。顔をまっすぐに上げて、毅然とした態度。一つ一つの動きから育ちのよさが分かる。
　生まれてから割りと見慣れている動きだ。
　だったら剣の稽古でヴァンの動きを真似たときのように、意識しながらやればいい。飲み込みが早いほうだというのはヴァンとガイのお墨付きである。
　すっと足を再び前に出したルークの姿を見て、ガイがおおっと感嘆の声を上げた。
「じゃあ、行ってくるなー」
「言葉遣いはティアのを参考にするんだぞー」
　わかった、といってルークはガイを残してホテルの部屋を出て行く。
　こんな格好までしているのには理由があった。ガイにはちょっとしたいたずら、ということにしてあったが本当の理由は、今夜こそジェイドの秘密を知るため。
　どうしてなのかジェイドは街に寄るたび姿をくらます。
　本人に訊いたところ「大人の時間」だそうだ。
　ガイは知らなくてもいいといったけれど、初めて外に出てから自分があまりにも世間知らずだということを思い知らされるばかり。
　そして無知は罪になるということを身を持って知った。
　だから世の中のことをほとんど知っているようなジェイドに割とくっついて回っている。自分の記憶の始めから近くにいるガイの説明は分かりやすいものではあるのだが、ルークに与える知識を選んでいるようだったから。
　何でもいいから知りたいのに。
　ジェイドのいう大人の時間とはなんなのだろう。
　興味を持ったらそれを追わずにはいられない。尾行を何度もしたけれど、いつも失敗に終わる。見つけた、と思うと不意にどこかへ姿をくらます。
　どうもこそこそ追い掛け回すのが自分には不向きのようだった。
　少年時代にかくれんぼをしたことないという背景もある。
　対してジェイドは普段からかわすのがうまい。譜術で姿くらましでもしてるんじゃないかと思えるほど、尾行を撒くのがうまかった。
　そこでルークが思いついたのが変装をするということ。幼馴染に相談したところ女装が一番いいんじゃないかと言われて、こんなことになっていた。

「ジェイドジェイド……ここにはいないな……」
　最初に覗いたのは泊まっているホテルの中のバー。
　ここに彼の姿はない。身長も高いし、一人どこか異彩を放っているから探そうと思って見つからないことはないはずだ。
　街に出ているのだろうと、ルークはドレスのすそをつかむと、いつ見つかってもいいように意識しながら歩き出す。足にヒラヒラと布がまとわりついて歩きづらいことこの上ない。世の中の女というのは、よくこんなものを履けるなと素直に感心する。ティアのように深くスリットが入ったスカートなら動きやすいだろうか。
　そんなことを考えながら街中を歩いてジェイドの姿を探す。
　一般市民の服装に溶け込むことはないから、すぐに見つかると思ったのだがこれがなかなか難しい。姿を見えなくする譜術でもあるのか。
「んー、ここでもない」
　これで表通りの酒場は３軒とも全滅だ。
　ルークはきょろきょろと看板を見ながら細い裏路地へと入っていく。
　街灯もなく、漏れてくる店の明かりだけが頼りの道。
　なんだかやたらと胸元を露出した女やら、鼻の下を伸ばした男や、客引きの男が狭い路地に満ちている。どこか異臭がしてルークは眉間に皺を寄せた。
　空気がこもっている感じがしてあまりなじめない。
　手のひらで鼻を覆うと、うしろから気安そうに肩を叩かれた。
「具合でも悪いのかい？」
「あ？　っと……いえ、別に……」
　知らない奴に触れられてつい片眉を上げ、いつもどおり不愉快そうな顔をしそうになる。慌ててガイの助言を思い出してティアの口調を真似てみた。
「でも顔色悪そうだよ。ちょっとそこの店で休んでいくといい」
　声をかけてきた男が肩に手を回してきた。
　なんでこんなに馴れ馴れしいんだ。
　しかし見ず知らずの自分のことを心配してくれているのなら悪い人間ではないのだろう。
「だ、大丈夫、です。人を探してるんだ…ですけど…」
　仕草はまだしも、口調まではどうも難しい。
　噛みそうになりながらなんとか目的を告げると、男はにやにやと笑いながら詳しい話を聞こうかと肩を抱いたまま裏路地に面する店へと誘う。
　自分は旅の人間。
　街の地理にも詳しくない上、知り合いがいるわけでもない。だったら現地の人からの情報を得たほうがいいかもしれない、そう判断したルークはわずかに身を離したものの誘われるまま酒場と思われる店に入った。

　裏路地と変わらず明るいとはいいがたい店内。
　テーブルにはグラスを傾ける男に、それにしなだれかかる女。
　酒臭い、それに煙い。
「ほら、ここここ。お酒は何にする？」
　強引な男に一番奥まで連れて行かれ、ソファに座らされる。隣に座った男が身を寄せてくるのをソファの端まで尻の位置をずらしてみるがあまり効果はなかった。
「お酒は…呑めない、の」
「果実酒くらいなら女の子でも呑みやすいよ」
　オーダーを勝手に給仕相手に済ませているが、ルークはとりあえず黙っていることにした。せっかく協力してくれそうな相手を見つけたのに、ここで逃す手はない。
「それで人探しって誰？　男？」
「えー…と、マルクト軍の服を着てて…歳は３０代後半…眼鏡をかけてて、茶色の髪の人なんです、けど」
「…………………」
　急に男が黙り込んだので、どうしたんだろうとルークは顔を覗き込む。
　視線はこちらではなくカウンターのほうへと向いていたから、自分もそれを追ってみた。
「あ……いた…！」
　こちらに背を向けてはいるものの、あれはマルクト軍の中でも将校が着ている服。くせのない色素の薄い髪は背中まで、時折眼鏡をかけた横顔が見えた。
「お父さん？　３０代後半にしては若く見えるけど、立派そうな服を着てるね」
　父親としてありえない年齢ではないし、ある意味父親とも言える人物ではある。
　ルークは席を立ちそうになるが、慌てて腰を下ろした。今日の目的はジェイドの大人の遊びの観察だ。ここで見つかってはそれも未達成で終わってしまう。その上正体が露見するのは避けたかった。
「無事に見つかってよかったね」
「……大人の遊びって、こういう店でお酒を呑むこと？」
　運ばれてきた杯を受け取ってから、しばらくは動きそうにないジェイドを横目で見ながら隣の男に訊いてみることにした。
「まぁ、それが始まりの合図かなぁ」
「ふぅん……知らない女と一緒に……ね」
　他の客と同じようにジェイドの隣の女は彼の腕にもたれかかるようにしている。ジェイドもそれを気にしている様子はなく、穏やかに微笑んで酒を呑み続けていた。
　いつもは自分と一緒なのに。
「お互いをよく知るのはこれからだよ。俺たちもね」
　いつもからかわれるのは自分。
　そばにいるのは自分たち。
　でも彼にとっては他の人間と一緒にいるのも変わらないのか。
　見ているうちになんだか頭がもやもやしてきた。これが大人の遊びといわれてもはっきりいって面白くもなんともない。
「………知りたくない………」
　他の人間のことなんて。
　ルークは見ていたくなくてジェイドから視線をはずすと、テーブルの上に置いてあった果実酒の入ったグラスを手に取り、その中身を口の中に流し込む。
　アルコール特有の焼けるような感覚が突き抜け、苛立ちがさらに増していく。
「結構いけるんじゃないか。おかわりいる？」
「………………くそ……！」
　男の持っていたグラスも奪って酒をあおる。
　面白くない。
　自分以外の誰かと楽しそうにしていることが、つまらない。
「向こうは向こうで楽しんでるようだし、場所でも変えようか？　お父さんがいるんじゃ楽しくないだろ？」
　場所を変えたって楽しめるとは思えない。
　ホテルに戻ってもささくれ立った気持ちが静まるとは思えない。
　大体誰のせいでこんな嫌な気分になってるというのか。人からこそこそ逃げ回って、自分の知らない誰かと楽しそうにしている彼のせいではないか。
「ね、もっとよく知り合おうよ」
　視線を戻してみれば、ジェイドの隣にいる女性が彼の髪に指をからめているところだった。
　ルークの隣にいた男もテーブルの下から手を伸ばそうとしたそのとき―――





「―――触るなっ！！！！」


　ソファはひっくり返らないものの、テーブルは音を立てて揺れている。グラスは倒れたものの中身は全部ルークの胃の中だ。
　大きな物音と声で、店内中の人間がルークに注目している。密着していた男女も店員もすべて。
　例外は一人。
　軍服を着た人間だけが、我関せずとばかり振り返ることもせずにグラスを傾けている。
　いい加減こっちに気づいてもよさそうなものなのに、まだ女の隣でにやついてるなんて。たしかに面倒ごとに関わるのは御免だという奴だけれど。
　それでも声で分かりそうなものなのに。
「触んな……そいつは、俺の………あれ……」
　立ちくらみか貧血か、目の前が真っ暗になる。
　足に力が入らなくなってルークはぺたんとその場にしりもちをついた。
　頭がくらくらする。これはしばらく動けそうにないと、両手で顔をおさえてこみ上げてきそうな吐き気をなんとかこらえようとした。
　うずくまるルークに、さっき驚いてひっくり返りそうになった男が猫なで声で声をかけてくるが、それがさらにルークの気分を悪化させる。。
「だ、大丈夫？　奥に部屋があるんだけど、そこで休もうか？」
「……ぅ…………」
　答えられないルークの背中に男が手を回そうとする。



「汚れた手で触らないでいただけますか？」



　響く声は確かに彼のもの。
　他者を圧倒する何かを秘めた声。
「お、お父さん……」
「誰がお父さんですか。それより、未成年者に酒を勧めることはわが国では認められていないはずですが？」
　男を見下ろしてジェイドがずれた眼鏡を人差し指で直す。
　こんなところにいるとはいえ、相手は軍人。逆らっていいことなど一つもないことを悟っている男は慌てて逃げ出そうとして転んでいる。
　それを長い足で蹴り飛ばしてからジェイドはうずくまっているルークに声をかけた。
「またすごい格好ですね」
「……ぅ……るせ……」
「とてもよく似合っていますよ」
「…………」
　ガイとは違って完全に馬鹿にしている。しかし現在の状況を考えると、それも仕方のないことなのかもしれない。
　尾行は完全に失敗。
　さらに一人で立ち上がることもできないのだから、馬鹿以外の何者でもないと自分でも思えるくらいだ。
「……ジェイドのせいだからな……」
「何がです？」
　抱き上げるジェイドの腕に素直に身を任せる。
　細身に見えてもさすがに軍人、自分より一回り小さい男を持ち上げることなど雑作もない感じだ。悔しいけれどこれが逆であれば見た目的にも苦しいだろう。
「全部」
「はいはい、そういうことにしておきましょうか」
　店主に酒代は逃げた男に払うように命じて、ルークを抱えたままジェイドは店を出て行く。隣にいた女のことなど振り返りもせずに。


「にげえ〜〜〜〜〜」
　ルークは口の中のあまりの苦さに舌を出す。
　差し出された水をぐびぐびと飲み干したが、まだ目に涙がたまっている。
「それで、気が済みましたか？」
　自分たちの泊まっているホテルまでは距離があったので、ジェイドはホテルの半分程度の距離のマルクト軍駐屯基地に部屋を用意させた。職権乱用であるが、ルークにはそれを責める権利もない。
　おとなしく簡素なベッドに座ってジェイド特製の薬を飲んでいた。
「……あれが大人の遊びかよ」
　薬の効果というよりも、あまりの苦さに吐き気がおさまった気がする。ジェイド特製の薬だから他に変な副作用がないことを祈るばかりだ。
「―――ま、そうですね。あなたもやってみてどうでしたか？」
「気持ち悪ぃ……知らねえ奴にあんなベタベタ触らせてさ……」
　するとジェイドが身体に手のひらをぺたぺたと押し付けてくる。
「そのネタはガイだけで十分だろ」
「大人の遊び、そんなにしてみたかったんですか」
「……もういいけどな……」
　二度とあんな真似は御免だった。
　大人といってもガイはしていないみたいだし、みんながみんなしなくてもいいのだろう。そもそもジェイドを手本にしてはいけない気がする。
「ジェイドはあんなことが楽しいのか？」
「ええ、まあ」
「…俺たちといるよりも、か？」
　比べることでないことは分かっているのに、つい口に出してしまった。
　ジェイドは一瞬眼鏡の奥で目を丸くして、それから吹きだす。
「ルークが私と遊んでくれるんですか？　それならもう私はあんな大人の遊びはやめますよ」
「俺と？　別にいいけど……」
　少なくともあんなことをされるよりはいい。
　ジェイドにベタベタ触る女は不快そのものだった。どうしてかは分からないけれど胸がムカムカして仕方ない。
「そうですか、私と遊んでくれるんですか」
「え？　ああ、邸に７年も軟禁されてたから、家でやるようなゲームなら自信あるぜ」
「じゃあ私がベッドの上でやるゲームをお教えしましょう」
　そんなものがあるのか、とルークが納得しているうちにジェイドが両手で肩をつかんできて、ベッドに背中から倒された。
　上から覗き込んでくる綺麗な顔。
　その頬にそって揺れる長い髪にルークはふと触れてみる。
「私の髪がどうかしましたか？」
　思ったよりもずっとやわらかい。
　これに見知らぬ女が触れようとしていたのだ。
「俺が遊び相手になるから、もうあんなのやめろよ」
「……………はっははははは！」
　珍しくジェイドが驚いた顔をしたかと思ったら、今度は身体をルークの上からどけて爆笑し始める。何がそんなに面白いのか、やはり自分はおいてけぼりだ。
　どことなく嬉しそうにしているから悪い意味ではないのだろう。
「おい、もう寝るぞ」
「ははは……ルーク、あなたは大人よりも駆け引き上手かもしれませんよ」
　意味が分からないから、からかわれてるのか褒められているのかルークには判断がつかない。そんな戸惑っているルークにやっと爆笑から復帰したジェイドは手を伸ばす。
　そういえばあのときずっとジェイドから触れたりはしなかった。
　どうしてだろうか。


「―――遊びよりも、本気のほうがいいですね」


　遊びの意味も、本気の意味も彼が教えてくれるだろう。

今度こそ決めたテーマどおり「女装」ネタにできた。
ついでに前回書けなかったお酒も書けた。
でもシリアスにはならなかった（最初から無理)