「誰があなたのジェイドですか」
　初恋の人を男にした顔で珍しく不満を述べる幼馴染に、ピオニーは椅子にふんぞり返って大笑いする。顔は無表情ではあるものの、少しだけ怒っているのが分かるのは自分くらいだろう。
　その幼馴染の執務室でありながら、本人を放っておいて堂々と椅子に座っていられるのはピオニーがこのマルクト帝国の皇帝であるおかげだ。
「からかい甲斐のある奴だな。お前が気に入るのも分かる」
「何の話ですか」
「赤毛のボウヤのことだよ。顔真っ赤にしてたな」
　無事に戻ったというのに素っ気無い親友が引き連れていた中で、一番目立っていたのがあの青年だった。外見がどうこうではなく、不思議と人を惹きつけるものがある。王家の血筋などというつもりはない。あの青年の秘める何かがそうさせているのだ。
　この男まで動かすとあっては、その力侮れない。
「あなたの言動が悪い」
「俺の（国の）ジェイドで何が悪い」
「子供で遊ぶのはおやめなさい」
　まあ、本人は自分の研究の副産物とでも思っているのだろうが、ピオニーの目から見れば半分は楽しんでいるようにしか見えない。
　個人の資質が高すぎてどうも軍でも浮いているから、こういった単独任務のほうが彼には合っている。いままでのやる気のなさに比べたら、精力的に動き周っている現在のほうが彼らしくていい。だからこのまま彼をルークのそばにいさせてやろうと思っている。
「自分は散々弄んだくせに」
「誤解を招く言い方はやめていただきましょう」
「じゃあ何もしてねーってのか？」
「……さあ、どうでしょうね」
　したらしい。
　彼の性格は昔から嫌というほど知っている。それもお互い様だが、どっちも相手のほうが自分より嫌な性格だと思っているあたり似たもの同士というか、類は友を呼ぶというのか。
　わざわざ一人で自分の執務室まで資料を取りに来ているジェイドは整理された引き出しの中から次々と必要なものを出していく。その棚に「誰かさんは開けないこと」と張り紙がされているが、誰かさんとは誰のことだろうか。
「俺もああいうの一匹欲しいなぁ」
「ブウサギと同列に並べない。一応アレでも人間ですよ」
「おっ、あいつの名前はルークにしよう！　いい名前だろ」
　最低、と低い声が聞こえてくるがピオニーは気にしない。
　自分のネーミングセンスに酔って鼻歌まで歌いだす始末だ。
　戻ってきた途端に出かけようとする親友は放っておいて、可愛いブウサギのところへでも行こうかなーと立ち上がったとき、遠慮がちにドアがノックされる。
「入っていいぞー」
　またしてもジェイドそっちのけで返事をするが、彼も別に気にはしないだろう。
　ドアがゆっくりと開かれ、そこからひょこっと赤い頭が飛び出てくる。
「っうわ！」
　こちらを見た瞬間驚いて飛びのいた赤毛が揺れた。その仕草も愛らしくてピオニーは自然と笑って手を上げてみせる。
「よ」
　引っ込んだ顔がそろそろとまた覗きだす。
　これはジェイドでなくてもはまるかもしれない。
　妙にかまいたくなって、ピオニーはこっちに来ようとしない青年のほうへずかずかと歩いていく。戸に張り付いた青年はなんでこんなところに自分がいるのか疑問を顔に出したままこちらを窺っている。
「ジェイドのお迎えか？」
「あ、えっと……まだかなって……」
「すみません、ルーク。もう少しかかります」
　相変わらずこちらを見ないで作業に夢中になっているジェイドだが、実のところこちらを意識しているのはピオニーには丸分かりだった。
　笑顔のままルークの前に立って、ドアをつかんでいる手を握る。
「そんなとこにいないで入れって。他のやつらはどうした？」
「わ、引っ張るなよっ！　ぶ！！」
　強引に手を引いて中へ導くと、バランスを崩したルークの身体がピオニーの胸にぶつかる。　後ろでジェイドが睨み付けているのを感じてにたりと口元に笑みが浮かんだ。
「他のやつらは買い物してる」
　ぶつけた鼻を空いた手でさすりながらルークは律儀にも答える。
　その仕草が可愛いブウサギの仕草に似ていて、思わず抱きしめてみた。突然抱きしめられたルークは硬直するだけだったが、背後から殺気を感じる。

「―――終わりましたよ、ルーク」

　笑顔全開。
　しかしその下にあるものは絶対零度。
　硬直していたルークはそれを合図にピオニーの腕から逃れて、ジェイドのほうへ駆けていく。どうも苦手意識をもたれているようだと気づいて、舌打ちしたい気分になる。
　何かまずいことをした覚えはないのだけれど。
「そんじゃ出発か。ルーク、がんばれよ」
「……あ、ありがとうございます」
　もう少し親交を深めたいところだが、これ以上は彼の後ろの怖いおじさんが黙ってはいないだろう。こんなときにケンカ別れをしている場合でもないから、おとなしく見送ることにする。
「ルーク、先に出てください」
　出口に近づいてくるとジェイドが背中を押してルークを部屋から先に出して扉を閉めた。それからこちらを振り返って真っ直ぐ自分を見つめてくる。
　紅の瞳。
　出逢ったころとは違う色だが、これはこれで綺麗だと思う。



「淋しくないように、そのうち彼を捕まえてあげますよ」
　誰のことだ、とは言わなかった。
　もう一人の幼馴染といずれ出会うだろうとジェイドは言っている。道を違えたものの、過去までは変えられるわけではない。
「ルークを守るために必死だな」
「そんなことはありません。あなたを思ってのことですよ」
　自分の興味を他へ向ける目的と、ピオニーの心情を慮っている。
　あるいは問題が一気に解決して一石二鳥とでも考えているのだろう。そもそもジェイドを敵に回すつもりはないから、下手に手出しをするつもりなどもともとなかったが。
　さっきのあれを見て、ルークがピオニーを苦手と思っていることに気づかないほど、こいつの目が曇ったということでもある。
　それもいいだろう。
　自分のことを賢いと思っている奴ほど、案外愚かなものだ。
　初めて持つ感情に振り回されるのもいい経験になる。
　それがあんな子供だとは意外であったけれども。
「……ま、気をつけてな」
「陛下も。では、いってまいります」
　親友の初恋は応援したい。
　しかし、ルークにはもう少し自分のことを知ってもらっても悪くないだろう。あんなに可愛いものに嫌われているのはつらいものがある。
　残されたピオニーはまずは新しく飼い始めたブウサギの名前をつけることから始めることにした。