−虚言−



「……その…兄貴、おかえり……」
　ドアを開けた途端に出迎えてくれたのは上の弟の慎だった。
　視線をそわそわとこちらからずらして、挙動不審なのはどうしてだろう。料理でもしていたのか、映子からもらったフリルの付いたエプロンのすそを握ってもじもじしている。
　その姿が妙に可愛いと思うのは、家族の欲目だけではない。
　誤魔化すように諒は眼鏡のフレームの位置を直す振りで顔を隠す。
「――ただいま」
　いつものペースを崩さないように、と何事もなかったかのように靴を脱いで廊下へと上がり、慎の横を通り過ぎてリビングへと向かう。
　もう時間も遅いせいか、洵の姿はそこにはない。
　コートと制服の上着を無造作にソファの背もたれにかけて、台所へ向かおうとしたときだった。
「あ、兄貴！」
　意を決したような声で呼ばれて、諒は振り向く。
　なるべく慎の姿に焦点を合わせないように。
　視界に、その姿がはっきりと映らないように。
「あの、あ、えっと……その……」
「なんだ、はっきり言え」
　厳しい口調は感情の裏返し。
　しかしそんなことを知らない慎は、びくっと怯えたように肩をすくめて、それから自信なさげに顔をわずかにうつむける。
　わけもなくいじめてしまった感じがして引け目を覚えるが、ここで謝っては再会してから取り繕ってきた威厳も台無しだ。せっかく甘やかしたいのを我慢しているというのに。
　早く離れなくてはならないのに――


「お、俺のこと嫌いなのか！？」


　――は？
　思ってもみなかった言葉に、つい諒は慎の姿を見つめてしまう。
　愛しく思うよりも、今の発言の不可解さに驚くほうが先だった。
「俺、のこと嫌い……？」
　どうしてそうなったのかわからない。
　いやわからなくはないのだ。
　十年間も放置していた上、帰ってきてからも出て行けの一点張り。笑顔一つ見せないで冷たい態度を取り続けているのだ。これでは嫌われていると思うほうが自然だ。
　慎もよほど思いつめたのか、顔を背けて頬を興奮のせいか赤く染めている。
「嫌いって言ったら……出てく……」
「――――」
　本来、諒は生真面目であるのとともに正直者なのだ。
　ここで嫌いだと答えれば、希望通りに慎はこの家から出て行くという。だからそうするのが正しいと、理性ではわかっている。
　けれどそれは、嘘だ。
　聖人君子ではあるまいし、これまでに嘘を吐いたことがないわけではないが、　それでも言っていいものだろうか。
　というか言えるのか。
　慎に。
　なんかすねたような振りで、フリルのエプロンをぎゅっと両手で握り締めている慎に。

「……り、諒にいちゃん……？」

　こんな風に呼ばれて。
　それでも、言えるのか。





「慎、俺は――――っ」







　ぼぶふっ！
　突然、台所の入り口のほうから噴き出すような音が聞こえて、諒は驚いてそちらを見る。なんと、戸の影に両手で口をふさいだ洵が立っていた。
「ご、ごめん……もうダメ……っ」
　ぶはっと今度こそ盛大に噴き出すと、小柄な身体を折り曲げて爆笑している。慎はといえば、エプロンを外してこそこそとリビング側のドアから出ようとしていた。
　この状況は一体。
「――慎」
　名前を呼んでやれば、飛び上がるようにして慎が立ち止まる。
「は、はいっ！」
「説明しろ」
「今日、何月何日だか覚えてる？」
　休日ならともかく、仕事のあとだ。確認するまでもない。
　新年度の始まりで、式典やら何やらで一日忙殺されたのだ。
　４月１日。
「だから兄貴が嫌いって言ったら、それは嘘で……出てくって言うのも嘘で……」

　馬鹿だ。
　本当に馬鹿だ。

「そのエプロンは何だ」
「これは、洵が着けろっていうから……そのほうが兄ちゃんだまされるからって。よくわからねーけど」
「わ！　それ言っちゃダメ…！」

　つまりは、二人して嘘を吐いたわけだ。
　４月１日だから。
　エイプリルフール。
　四月馬鹿。

「午前中までだということを知らないらしいな」
「……え？」
「嘘を吐いて許されるのは午前中までだ。というわけで、二人ともここに座れ」
　本当に馬鹿らしいといったらない。
　こんな子どもじみたことするなんて。
　手がかかって仕方ない。
　でもいたずらには、お仕置きが必要だ。


「――まったく」


　まだまだ目が離せないではないか。
　困ったものだ。

4/1神郷家。
もうアニメの時系列まるで無視。
そしてヨシズミさんの連載に続く……（？）