−UNRIPE APPLES−



　入院というのは退屈だ。
　治療、検査、その結果が出るまで自由に出歩きもできない。Ｓ．Ｍ．Ｓの場合はさらに軍事機密情報などを有している患者となるため、一般のお見舞いすら受け付けられないから、普通の入院であれば女の子たちに囲まれるミハエルは、ベッドの上で長い足をゆったりと組みぷらぷらとさせて時間を持て余していた。
　昼間のうちに幼なじみのクランの見舞いはあったし、他の仲間たちもいっしょに来て一波乱あったものの、それがいつまでも病室で続くはずもない。それでなくても気にかかることはたくさんあるから、早くここから出たいもののそれも許されていない。
　一緒に戻ってきたシェリルは軽症、だが元の体調不良があって入院中。ミハエルの使っていた新型のフォールド機関を使って戻ったアルトと、無事に救出されたランカも外傷はないので、検査後すぐ退院予定と聞いてはいるけれど、自分の目でまだたしかめてはいなかった。
　同じ建物の中にいるというのにもどかしいといったらない。
　らしくもなく苛立っているな、と自分で感じながらも、それを弄んでいると、外からの来訪者を伝える部屋のベルが鳴る。昼間に口説いたナースの再来だろうか。手元にあるボタンを押し、ドアを開けてやる。が、そこに人影はなかった。
　けれど長い真っ直ぐな髪がふわりとドアの陰に隠れるように揺れたのを、ミハエルは見逃さない。
　女でもシャンプーのＣＭモデルでもかなわないような、あんなきれいな髪の持ち主など一人しか知らなかった。
「――アルト？」
　ビンゴ。
　何故か白い頬を桜色に染めたアルトが、ドアに張り付いたまま横からおずおずと顔を出す。その仕草から見るに元気そうで安心した。
「何してるんだ、そんなところで」
「み、見舞いに来たんだよ！　悪いか！」
　アルトが素直じゃなくて、照れ屋なのは知っている。
　が、これはちょっと行きすぎではないだろうか。やはり怪我はないというのは嘘で、どこか悪いのだろうか。
「悪いなんて言ってないだろ。入れよ」
「い、いや、ここでいい。シェリルに頼まれてきただけだからな！　あと俺もその…礼言ってなかったし…」
「礼？」
「お前のおかげで助かったからな、あの新型フォ…」
　待った、とミハエルは慌てて呼び止める。それは企業秘密なんてレベルでなく重い話だ。まだ試用段階にも満たないものを使っただけで、ルカは新統合軍の上層部から呼び出しを食らったという。とても立ち話で口にできるものではない。
　アルトも気づいたのかはっと自分の口を手でふさいで、辺りを見回す。そこに話し声が聴こえてきて、慌てた様子でミハエルのいる病室に入ってドアを閉める。
「……ヤバかった……」
　たしかにヤバい。
　もしかして幻覚ではないかと思ったくらいだ。
　検査結果に異常はないだろうと思っていたのに。
「アルト、お前その格好は何だ」
　欲求不満じゃないと信じたい。
　そこまで切羽詰っていたのか、自分は。
　けれどアルトは自分の姿を見下ろすと、今更気づいたかのように両手で頭を抱えた。その細い肢体に身につけているのはどう見てもベビーピンクのナース服。
「ぎゃあああああ！」
　叫びたいのはこちらである。
　突然やってきたと思ったらそんな格好だ。自分のように頭を打つか何かしたのかと不安になったが、反応を見る限りはアルトも不本意な様子である。
　こそこそと頭しか出さなかった原因はこれか。
「こ、これは違う！」
「似合ってるよ、お姫様」
「違うって言ってんだろ！　シェリルが見舞いに行くなら、自分の代わりにこれを着てけって！　でないと泣きだすし！　ああもうなんであんな奴に借りなんか作ったんだ！」
　怒られても困る。完全なる八つ当たりではないか。
　けれどアルトの性格を考えるとどうせ押しに負けてしまったのだろう。歌舞伎の女形までやっていたくらいだから、その辺の抵抗は他の男よりも薄いのかもしれなかった。相手がシェリルやミハエルと、アルトの女装姿を知っている者だからかもしれないが。
「まあまあ、落ち着けって」
「元気そうだな。じゃあ、俺はもう帰る！」
　これ以上は耐え切れないといった様子のアルトをなだめるのはお手の物だ。泣き真似までしなくたっていい。
「あーあ、誕生日にランカちゃんのところに伝言届けに行くとか、損な役回りさせられた上、ガリア４まで助けにいってやったのに見舞いの一つもろくにできないのか」
　ぴたっとアルトの動きが止まる。
　痛いところばかりついてやったのだから当然だ。眉間にしわが深く刻み込まれてきれいな顔が台無しである。悔しいのだが言い返せないときに見せる表情だ。
　つつけばすぐ反応してくれて、本当に飽きない。
「ほらほら、ここに座れって」
　ミハエルはベッドの隣に置かれていた見舞い客用の椅子を手でぽんぽんと叩く。しばらくそれをにらみつけた末、アルトはもうここまで来たら同じかと、ずんずんと歩いてきて、どかっと腰を下ろした。
　その気になれば、どんな女よりも女らしくなれるのに。
　別に女であることを望んでいるわけではないが、ミハエルの知る限りこれ以上に最上の女はいない。でもそれ以上にアルトを気に入っているのだから、このままでかまわなかった。
「……ニヤニヤすんな」
「悪い。でもお前も元気そうでよかった。ランカちゃんには会えたか？」
「ああ、元気だ。でなかったら俺もお前も今頃ここにいないだろ」
　ランカに何かあればオズマは大人しくしていない。それは彼女を連れて行ったミハエルも同じことだったので、本当に無事なのだろう。一緒にアルトと笑って、そうだなと返事をした。
　顔も身体も見える部分には傷もない。
　本人はもっと男らしくなりたいと思っているようだが、せっかくのきれいな顔がそのままでよかったと思う。傷なんて勲章でもなんでもなく、なければないほうがいいのだ。
「お前は頭の怪我大丈夫なのか？」
「かすり傷だって。すぐに退院できるだろ。でないとどこかのお姫様の援護もできやしねえ」
　指で銃の形を作ると、アルトの胸にその先を当てる。無事で喜んでいるのはこちらも同じなのだ。ガリア４でＤパルスバーストを受けたときにもしやと思っていたが、それも乗り越えたと思ったら星の崩壊。
　自分もアルトもよく生き残れたものだと思う。
「早く治せよ。そうだ、俺に何かできることはないか。宿舎から着替えとか持ってくるか？」
「ああ、それなら間に合ってる」
「そうか……悪いな。見舞いの花はみんなシェリルに取られちまった」
　一応用意はしてくれていたらしい。思うにあの女王様のことだから、このアルトが花代わりとでも言いたいのだろう。たしかに十分すぎるほどの花ではあるが。
　うかうかしてたら、その香りに吸い寄せられる。
　けれどこれは荊姫に近い。棘だらけのバラで覆われた城の奥で眠っているような姫だ。うかつに手を出せば怪我だけじゃすまない。
「じゃあ、そこにあるリンゴでも食わせてくれよ」
　誤魔化すようにして、適当な用事を作る。
　やっと自分でもできるとこが見つかって喜ぶアルトは、籠盛りになった果物の中からリンゴを取り出した。近くにあったナイフを手にすると、シュルシュルと見事なまでにリンゴの皮を一気に剥いていく。
「器用なもんだ」
「一人で暮らしてれば……まあ、これは習ったおかげだけどな」
　少しばかり眉をひそめたのは、きっと芸の一環として身につけた技術だからなのだろう。本当に気難しい姫だ。けれど手つきは女のそれで、見続けていると魅了されてしまいそうな自分がいた。
　やっぱり欲求不満かも。
「できたぞ」
　皿にリンゴの切り身を盛り付け、フォークを刺すとぬっとそれをこちらの目の前に近づけてくる。すっかり見惚れていたミハエルは少しだけ慌てた。
「あ、ああ。食べさせてくれたらもっとうれしいな」
「……怪我人だから仕方ねえか……」
　怪我人、病人、女性、老人には優しくしろと言いつけられているのか、アルトはしぶしぶフォークを持って、その先にあるリンゴをミハエルの口へと運ぶ。
　まさか本当にしてくれるとは思わなかったので、きょとーんとそれを見つめていると、顔を赤くしたアルトがどんどん怒り出した。
「早く食え！　変色すんだろ！」
　よりにもよって言い訳がそれ。
　可愛らしくて困る。気の変わらないうちにミハエルは口を開けてリンゴを頬張った。昼間も散々クランに食わされて飽きたはずだったのだが、これはまた別の味がして美味しい。
　馬鹿だと思う。
「もっと剥くか？」
　いや、とミハエルはアルトの手首をつかんで、その手からフォークを取り上げた。空になった細い指先を口の中に含む。
　甘い蜜の味。
　花に吸い寄せられた虫のように夢中で指先に吸い付き、舌を絡め、ゆっくりと味わうようにして舐めあげる。
　まるで愛撫するかのように。
「ミ、ミシェ……っ？」
　お姫様が毒リンゴを持ってきたのだ。
　罠を仕掛けに来たのだ。
　悪い魔法にかかってしまった。

「アルト、誕生日プレゼント遅くなったけどやるよ」

　動揺のあまり浮かび上がったナース服に包まれた細い腰を、ミハエルはしっかりと抱き寄せた。驚きに見開かれている黒い目を見つめながら、腕の中にいるアルトに顔を寄せた。
「――っ」
　リンゴよりも甘い唇。
　指先も甘かったが、もっと甘い。
　砂糖の塊でも口にしているかのようだ。触れたところが熱く、今にも溶けてしまいそうだ。そう、溶けたい。
　この身体の一番深いところで。
　けれど男のそんな下心に気づいたのか、我に返ったアルトは真っ赤な顔をしてこちらをにらみつけてきた。
「……は……放せ……っ！」
「お気に召しませんでしたか、お姫様」
　ぱっと手を放してやると、アルトはすぐにベッドから離れた。
　そう、手の届かない場所に行くといい。
「お、お前はまたそうやって、ふざけた真似しやがって…！」
「満足できてないなら、もっとしてやろうか？」
「馬鹿か！　もう帰る！」
　ぷんぷんと湯気が立ちそうなほど顔を赤くしたアルトは、怒りに肩を上げて病室から出て行った。すっかり自分の格好を忘れているようであるから、気づいたときにはまた慌てることだろう。
「……」
　残されたミハエルは舌で自分の唇をなぞる。
　余韻を余さず感じ取るように。
　わかっていたのに荊で覆われた城に突っ込んでしまった自分に笑う。あの話の王子様は知りもしないお姫様のために、どうして危険を冒す気になったのか今でもわからない。
　けれど、もしもお姫様を知っていたのなら、助けずにはいられなかった。
　ランカの覚悟、シェリルの覚悟。
　ミハエルも危険とわかっていて、あのお姫様のところへ行ってしまったのだ。そう自覚させられて、こんなはずじゃなかったのにと苦笑を零す。
　キスくらいじゃ、お姫様の魔法は解けない。
　さて、次はどうしようか。
　厄介なお姫様のことを考えながら、ミハエルはゆっくりと目蓋を伏せた。

初のマクロスＦ参加イベントということで作ってみた無料配布本から。
ナース服の意味はあるのかと言われるとないですね（ないの…）
あまり乙女じゃないからなぁ、うちの姫。ちょっとその辺はあきらめていただけたらと思います。
同時発行した本がアルト視点だったのでミハエルで書いてみただけですよ。
どっちも楽しいですね、これ。