EPISODE.2
「怪盗ジェイドは私が捕まえます」
　はっきりと言い切った。
　そう…私はそのためにここにこうして立っているのだ。
　目の前の新米刑事は眼鏡の奥の大きな目をくりくりとさせて私を見ている。鷹通・フジワラと名乗った青年は真面目で温和そうな雰囲気そのままに、私の強い意思表示に驚いているようだ。
「鷹通君、といったかな。話を聞かせてもらえるかな？」
「は、はい…」
　私の言葉に気圧されたように、鷹通はこくりと頷いた。


「………あの男は…」
　誰の邪魔も入らないところということで刑事課の取調室の一室を借り、話を一通り全部聞き終えたところで私はつい低く声を漏らしてしまう。彼が怪盗ジェイドに逆に捕まったくだりから、私の眉間には皺が寄ったままだった。
「あの…幸鷹さん…？」
　ずいぶんと険しい顔をしているだろう私に、鷹通はおずおずと声をかける。たしかに彼が思っているように私の機嫌は良くない。
「いえ、あなたは悪くありません。ただあの男の行動が気に入らなかっただけです。今のお話ですが、少し質問してもよろしいですか？」
「ええ」
「アニマール警部の計画のレプリカ作りのときですが、そのとき「セイレーンの涙」はどこにありましたか？」
　私の質問に鷹通は軽く首をかしげて口に手を添えて思い出す仕草をする。確実に思い出してもらわなければならないので、彼に答えを急かすような真似はしないで黙って待った。
「職人たちの見本として工場においておきました。でも、アニマール警部が始終見張っていましたので取り替える隙はありませんでしたよ。それに職人たちは全員帰る際に身体検査を受けています」
　なるほど。
「では、あなたの手にはまっていた指輪について、怪盗ジェイドに会う前と後で変化はありませんでしたか？」
　その質問に鷹通はびくっと体を揺らした。
　やはり……何かあるんだ。
　自分の推理に自信を持った私は優しく微笑むようにして話しかける。
「別にあなたを責めているわけではありません。ただ私は真実が知りたいだけなのです」
　責めるわけでも咎めるわけでもない口調に、鷹通はそっと目を伏せて話し始めた。
「……私は指輪を薬指にはめていたはずなのに、怪盗ジェイドにあった後は小指にはまっていました」
　やはり、鷹通が最初にはめていた指輪はレプリカだった。怪盗ジェイドはわざわざ本物と取り替えて彼の指にはめたのだ。
　私は目を閉じて頷く。
「ありがとう。これですべてわかりました」
「え…？」
　目の前の青年は大きな瞳をきょとんとさせて私の顔を見返す。まるで今の私の言葉が通じていないように。

　……謎はない。あるのは真実だけだ。

「盗まれたのはレプリカを作っているときです。本物を良く見なければならないと職人に言われれば見せないわけにはいきませんからね。アニマール警部がいくら見張っていたといっても、トイレの１回も行かずに見張っていられるわけではないでしょう。見張りの代理……それが怪盗ジェイドだったのですよ」
「代理が……？」
　職人ではなく、見張りの警官になりすましていたわけだ。
　万が一の場合の職人たちの身体検査も、警官たちは受けることはない。

　バタン！
　いきなり取調室の扉が開き、私と鷹通が振り向くとそこにはアニマール警部の姿があった。その顔はどうも好意的とは言いがたい渋面。鷹通は戸惑っているようだが、私にとっては見慣れた表情だった。
「久しぶりですね、アニマール警部」
　それを意に介した様子もなくにっこりと微笑んで挨拶をする。
「……幸鷹警視正、いや、元警視正か」
　私にとっては懐かしい響きを持った呼び方であったが、鷹通にはさっぱり意味が分からずアニマール警部と私の顔を見比べるばかりだった。
「警視正……？　警察の関係者だったんですか？」
「鷹通は入ったばかりだから知らないか。彼は副総監の弟で、ほんの1年前まではバリバリのキャリア組で警視正だったんだ。怪盗ジェイドの事件の総指揮を取っていたのだが、昇進によって怪盗ジェイドの担当からはずされるのと共に辞職した」
「どうして辞めたのですか？」
「そいつは本人に訊け」
　投げやりに言ったアニマール警部は部屋の隅にある椅子にどっかりと腰を下ろして腕を組む。まだ不服そうな顔はそのままに顎で私を指し示す。鷹通の顔は自然と私のほうに向くことになった。
　まだ入ったばかりなら知らなくて当然か。
　昔の恥でもあるのであまり語りたくないところだが、鷹通の真摯な瞳には茶化すようなところはまったくない。
　私は静かに口を開き始める。
「…私が警視庁で怪盗ジェイドの担当だった1年の間に届いた予告は十五件。そのうち無事解決できたのは……1件もなかったんだ」
　そう……ただの1件さえもなかった。
　報道などではアニマール警部の名で載せられている失態も、本来であれば最高責任者である私の名が載るべきだった。そして責任も私が取るべきだった。
「1件も…？」
　鷹通は何と言っていいか分からない様子でぽつりとこぼした。
「ええ。なのに私は昇進。副総監の弟で、キャリアであったためです。私の力が認められたわけじゃない。鷹通君、あなただったら我慢ができますか？」
　まさかそう返されるとは思わなかった鷹通は私の問いに少し考え込む振りをして、ゆっくりと首を横に振る。
「……いいえ」
　はっきりとした意思。
　私はにっこりと笑うと、鷹通も私に対する緊張も解けたようで瞳を細めて肩を落としてリラックスする。
「だから、警視庁を辞めて探偵になったんです。一応民間人なので、協力者という形で捜査の方に関わらせていただくことになります」
「よろしくお願いします、幸鷹さん」
　ぺこりとたばねられた長い髪を揺らして鷹通が頭を下げる。
「かしこまる必要はありません。君にもアニマール警部にもこれから世話になります」
　殊勝な鷹通に対して、アニマール警部はふんと鼻を鳴らしてニヤリと笑って私を見据える。
「協力、ね。体裁だけは整えているが実際は俺たちはあんたの指揮に従うことになる。上からの圧力がかかっているからな。警視正だった頃も気に入らなかったが、民間人の命令に従えだと？　それで俺が納得できると思うのか？」
　アニマール警部の怒りももっともだ。
　民間人の私は協力者ということで表立って名前が出ることもなければ、失敗した際の責任もまったく振りかからない。すべてはアニマール警部にいってしまうのだ。
　本当は私もこんな権力やコネを使う真似はしたくない。
　だが、こうでもしなければ現場に入り込むことすら許されないのだ。
「では今までどおり現場はあなたにお任せします。ですが、私が現場に立ち入ることだけは許可していただけますか？」
　真っ直ぐにアニマール警部の目を見据える。
　アニマール警部も黙って私の顔を見返した。
　間にいる鷹通はおろおろと二人の顔を見比べることになる。

「……怪盗ジェイドを捕まえたいのは、お前も俺もかわらない、か」
　あきらめたようにアニマール警部がため息をこぼす。
　鷹通に先程説明した警察官を辞めた理由は、嘘ではないがすべてではない。
　アニマール警部にはその長年の刑事としての勘でおそらくは気づかれている。

　……怪盗ジェイドを捕まえるために、私はこうして探偵になってまでここにきたのだ。あのまま昇進していればおそらく彼と関わることはもうできないから。
「ええ、怪盗ジェイドは私が捕まえます」

プロローグはＧＷ発行予定の新刊に続きます。
この部屋の次の話、友雅までそろった状態で
再開予定です。