BIRTHDAY<Tomomasa ver.>
| 午後の喫茶店。 店主である友雅はいつものごとく買い物に出かけていて、その留守を任された鷹通はテーブル席のソファに座り、今教わったばかりのヒントを元に数式を解いていた。 テーブルの向かいに座っているのは鷹通と友雅のマンションの部屋の隣人の一人で、鷹通の通っている大学の講師でもある幸鷹だった。 「これで、いかがですか？」 ヒントのおかげで今までは謎の数字と記号の羅列だったものが、見事に理解できるようになり、数式を解き終わった鷹通は大きな瞳を輝かせて嬉しそうに幸鷹の顔を見る。 そんな鷹通の様子に自然と幸鷹の頬も緩み、同居人には絶対見せないような笑顔がこぼれだす。 「正解ですよ。飲み込みが早いですね、鷹通君は」 「幸鷹さんのおかげです。でもすみません、休憩に来たのに私の勉強に付き合っていただいて…」 「私も仕事とはいえ半分以上がやる気のない学生に教えるよりも、鷹通君のように真面目に人の話を聞いてくれるような人に教えるほうがやりがいがあります」 残念ながら幸鷹とは学部が違うし、そもそも文系の鷹通と理系の幸鷹とは授業はまったく噛み合わない。 それでも幸鷹の授業に今度出てみようかとも思えてしまうほど、幸鷹の教え方は丁寧でかつ無駄がなかった。幸鷹の授業を半分寝ながら頭を素通りさせている人はもったいないことをしているものだとも思う。 「ありがとうございました。これで全部の問題が解けたので、無事にプリントを提出できます」 「またわからないことがあったら、遠慮なく訊いてください」 そして幸鷹がすでに冷めてしまった紅茶のカップを手に取ると、鷹通の目にふと留まるものがあった。彼の右手の薬指にはめられているのは銀色の指輪。 男性が装飾具を付けるのは珍しくはないが、幸鷹が必要もないのにそういうものを身に着けるのは意外であった。 だが身に着けるのは意外でも、その指輪は不思議と幸鷹になじんでいる。 だからこそ今まで気がつかなかったのだろう。 「幸鷹さん」 「はい？」 冷めてようやく猫舌の幸鷹にも飲みやすくなった紅茶の入ったティーカップを口から離すと、鷹通に視線を移す。 鷹通の大きな黒い瞳は幸鷹の顔ではなく、手をじぃっと見ていた。 「その指輪は……」 口に出した途端、幸鷹は思ってもみないほどの反応を見せた。 びくんと体を大きくすくめて、手に持ったティーカップを落としそうになる。そして頬は桜色に染まり、眉は困ったように寄せられていた。 ……もしかして、照れているのだろうか？ 「こ、これは、以前に人から頂いたものです…」 ■■■ はぁ…… ショーウィンドウに両手をついて、鷹通は大きなため息をこぼす。形のよい眉を寄せて大きな瞳を曇らせている自分の顔が綺麗に磨かれている大きなガラスに映る。 やはり高い。 ショーウィンドウの中の値札には、数多くの『０』がきれいに並んでいる。こんな大きな宝石はいらないが、シンプルな指輪でも１０万はするだろう。安物でもきっと友雅は喜んでくれるだろうが、彼に似合わない物を贈っても意味がない。 彼の誕生を祝う、大切な贈り物なのだから。 先日の幸鷹のようにケーキを焼くということも考えたのだが、どう考えても友雅よりおいしいケーキを作ることなどできるはずもないし。そもそも料理自体、お世辞にもうまいとは言えない。友雅は「鷹通が一生懸命作っている姿が可愛いから」と、恥ずかしいことを言って家では一切料理をしなかった。 大学の費用も払ってもらっているし、せめて家事くらいはしなくてはと思っているのでそれについて文句はないのだが、こういうときに困る。 さっき幸鷹の手にはめられていた指輪を見て「これだ」と思ったのだが…… とても自分のおこづかいでは買えそうにない。 「鷹通じゃないか」 ドキッ！ その声に、鷹通は身をすくませる。 「どうしたの、こんなところで？」 「あ……翡翠さんでしたか……」 声が似ていたのでてっきり同居人かと思ってしまったのだが、声をかけてきた青年は隣の部屋の住人で幸鷹の同居人である翡翠だった。 腰ほどまでもある長い髪をさらりとかきあげて、鷹通に微笑んでいる。 「何を見ていたんだい？」 と、鷹通の隣に立ってショーウィンドウの中を覗くと、首をかしげる。 「うーん。どれも鷹通には似合いそうもないなぁ。それとも何か気に入ったものがあったの？」 「いえ、別に……そういうわけでは。翡翠さんこそどうしてここに？」 「ああ、ここは私の店だからね」 この宝石店は翡翠が経営しているということか。 合っているようにも見えて、少し意外な気がした。 「そうだ。せっかくだから中も見ていくといい。これから一休みするところだったし、お茶でもご馳走しよう。いつも君たちのところでご馳走になってばかりだからね」 翡翠の急な申し出に、鷹通はどうしたものか考え込む。大学の用事はもうすんでいたし、今日は授業もない。このあとは友雅の店へ戻って手伝いをするだけだったのだが…… 「どうぞ」 鷹通が答えるよりも先に翡翠は腰に手を回し、店のドアを開けて鷹通を中へと誘う。こうなっては無理に断ることもできず、鷹通は店の中へと入らざるをえなかった。 「おかえりなさい」 二人は中へ入ると、すぐに淡々とした低い男性の声がする。黒髪に黒い目、黒のタートルネックのシャツに黒いスーツ、見事に全身を黒で包んでいる青年が挨拶をしてきた。 「透夜、可愛らしいお客様がいらしたから、お茶を淹れてくれ」 「え、あのお構いなく…」 「すぐに淹れますので、少しお待ちください」 やはり何の起伏もない声でそれだけ言うと、透夜と呼ばれた青年はお茶を淹れるために店の奥の扉へと消えていった。どうしたものかと身の置き場に困る鷹通に、翡翠は部屋の真ん中にあるソファに座るよう勧める。 「ここは宝石店ではないのですか？」 客用の二人がけのソファに腰を下ろした鷹通が見る限り、部屋の中に特に宝石やアクセサリーが並べられている様子はない。ショーウィンドウにあるものだけのようで、中にあるのは応接セットと観葉植物くらいのものだった。 「宝石を扱うこともあるけれど、基本的にはここは私の事務所として機能しているよ」 「事務所？」 「たとえばあのショーウィンドウのアクセサリは全部私がデザインしたものだ。ここではお客に合わせて宝石の加工をしているんだよ」 その話を聞いて、ようやく鷹通は納得する。宝石商というのも合っているが、それよりも翡翠はジュエリーデザイナーとして活躍しているらしい。 ……もしかして…… 「幸鷹さんの手の指輪は……」 「私が作ったものだけど」 それであんなに恥ずかしそうにしていたのか。 年上でありながら、幸鷹の可愛らしい一面を知って鷹通は笑みをこぼす。 ドアが開いて透夜がお盆にコーヒーカップを乗せて部屋へと入ってくる。そして翡翠と鷹通の前にコーヒーカップを置くと、鷹通のカップの脇にスプーンとスティックシュガー、それにミルクの小さい容器を置いた。 「ありがとうございます」 顔を上げて鷹通が大きな目をくりくりとさせてお礼を言うと、透夜は一瞬言葉を詰まらせた後に「ごゆっくりどうぞ」とぼそりと言ってすぐに立ち去ってしまう。 何か失礼なことでもしただろうかと首を傾げるが、鷹通の前に座っている翡翠はくっくっくと口元を押さえて笑っていた。 「あの……」 「ああ、大丈夫。彼が無愛想なのはいつものことだからね」 それなら特に気に触るような事をしたわけではないらしいと知って、ようやく鷹通はほっとする。 スティックシュガーをさらさらとコーヒーカップの中に１本すべて入れ、さらにミルクもたっぷりと入れたら、もうほとんどコーヒー牛乳くらいの色合いになっていた。 その液体を口につけると、ほのかな苦味と甘さが口に広がる。 「今度は私から質問していいかな？」 「はい、どうぞ」 「さっき私の店の前で大きなため息をついていた理由を聞かせて欲しいな」 ■■■ 「うん？ ほら鷹通、ぼうっとしてるから、その愛らしい頬におべんとつけているよ」 同居人である友雅が誰もが見惚れる笑みを浮かべた顔を近づけて、鷹通の頬についた一粒のご飯を唇でついばむようにしてとる。 指摘どおり考え事をしていた鷹通は、その頬のくすぐったい感触にようやく我に返ると、眼鏡の奥の大きな黒い瞳を見開いた。 「と、友雅殿……！ それくらい自分で取れますっ」 まったく、相変わらず恥ずかしい事を平気でするのだから…… 顔を赤くして、困ったような顔をする鷹通に、友雅はさらに目を細めて微笑む。 そんな顔をされたら、これ以上何も言えないではないか…… と、毎回このようにして鷹通は友雅の行動を許してしまうのだった。 「で、何を考えていたんだい？ 論文がうまくいってないの？」 「違います………ただ、その……」 話を振られて鷹通は顔を紅潮させたままうつむいて否定すると、さらに歯切れの悪く言葉をこぼして黙り込んでしまう。 ただ最後にちらりと友雅の顔を覗き込むようにして。 聡い友雅のことだ、鷹通がちょっとでも口を開いたならすぐにぼろが出てしまうだろう。 まだ知られるわけにはいかない。 「……友雅殿、そろそろお店のほうへ行って今日の準備をしなければならないでしょう？ 私は今日は手伝えないのですから、さぼらないでやってくださいね」 「わかってるよ」 苦笑した友雅に鷹通はほっとする。どうやら変に思われていないようだ。このまま彼を送り出して、自分も出かける準備をしなくては。 今日は論文の調べ物をするので喫茶店の手伝いができないと、友雅には言ってあった。 嘘をつくのは心苦しいが、やはりこういうことは黙っておいたほうがいいだろう。 せっかくの友雅の誕生日の日に、いらぬ心配をかけることもあるまい。 ……きっと友雅は喜んでくれるだろう。 想像するだけで、口元がゆるみそうになるが、友雅に悟られてはいけないという一心で、顔を引き締めた。 ここのところ鷹通の様子がおかしいと、当然友雅は気づいていた。 友雅でなくとも、本人以外ならすぐに気づいてしまうだろう。元々根が正直な鷹通は嘘を上手につくことができないのだ。 鷹通のことだから、人を傷つけるための嘘はない。 そうはわかっていながらも、気になって仕方がないのは鷹通だからこそだろう。 他の誰が友雅に嘘をついたとしても、詮索するような真似はしないし、そこまで興味はない。だが鷹通の事になると気になって、目が離せなくて…… ……重症だ。 自覚はある。 それでもどうにもならない。 これが恋とか愛とかいう感情なのだろう。自分でどうにもならない感情など厄介で仕方ないのだが、不思議と嫌な気はしない。 「いってらっしゃい」 玄関まで見送ってくれた鷹通のその柔らかな笑顔を見るだけで、このまま今日は出かけるのをやめて彼を部屋から出さずに独り占めしてしまおうか、と思う。 だがそんなことをすれば鷹通は怒るだろうし、本気で嫌がるだろう。 鷹通を困らせるのは可愛らしい表情が見られていいのだが、傷つけるような無粋な真似だけはしたくない。 普段であればこのまま友雅が店に向かっても、後片付けを終えた鷹通がすぐに追いかけてやってきてくれるのだが、今日は論文を書かなければいけなくなったと言って、店の方には出られないという。 それがどれほど友雅が朝マンションから出るのを面倒にさせているのか本人は知る由もない。それでも自分の勤めだけは果たさなければならず、後ろ髪を引かれる思いをしながら友雅はこうして出かけていくのだった。 「行ってくるよ。鷹通も頑張ってね」 いつもどおり鷹通の頬に軽く口付けを落としてマンションの部屋の入り口をくぐる。 ………大丈夫だな。 背後の閉められたドアの向こうで鷹通がリビングへと引き返していく音がする。特に不信な様子はない事を確認して、友雅はエレベーターに乗り込んだ。 「……どうして……」 そして友雅は信じられない思いで低く声を漏らす。 今見た光景が目に焼きついて離れない。 マンションから出てきた鷹通を、すぐ前に停車していた車に乗っていた男が連れて行ってしまったのだ。それだけならばただの迎えですんだ……車に乗っていたのがあの男でなければ。 それに鷹通も微笑んで挨拶をしてから車に乗り込むのを友雅は隠れて見ていた。 ……よりにもよってあの男だなんて。 友雅と鷹通のマンションの部屋の隣人、そして幸鷹の同居人でもある男。 ……あの男だけは駄目だ。 他の誰が鷹通のことを好きでもたいした障害にはならないが、あの男だけは危険だった。鷹通と幸鷹に言わせれば、友雅とあの男は似通っているとのことだったが、当事者にしてみればとんでもない話である。 根本からして違っているのだ、あの男とは。 あの男は欲しいものを手に入れるためなら、手段を選ばないだろう。 その持てる能力すべてを使い、さらにはどんな犠牲をも厭わない。それが相手を傷つけることになっても、手を緩める真似はしないですべてを奪っていく。 ……危険すぎる。 鷹通が他の誰を愛してもそれを許せるだろうが、あの男だけは駄目だ。 「友雅さんじゃないですか。おはようございます」 「あ、ああ……幸鷹君か」 ちょうど大学へ行こうとした幸鷹が、マンションの近くの歩道に立ち尽くしている友雅に声をかけてきた。しかし何だか友雅の様子がおかしいと気づく。 「どうしたんです？ そんなところに突っ立って」 「今日、君の同居人はどこへ行ったのか聞いてるかい？」 「翡翠のことですか？ 仕事だと思いますけど」 「そう……」 どうやら幸鷹はいちいち翡翠の行動に関与したりはしないようだった。ここで鷹通が翡翠とともに姿を消したと言えば、きっと心配して一緒に探してくれるだろうが、彼にはこれから授業がある。下手なことを言って、仕事に支障をきたすのはプライドの高そうな幸鷹のことだから自分で自分を責めるようなことになるだろう。 「彼に何か用事でも？」 「いや……連絡先を教えてくれないかな。尋ねたいことがあってね」 幸鷹はジャケットのポケットから携帯電話を取り出すとボタンを何回か押す。そして何かメモするものはないかとキャリングケースを開けようとした時、待ちきれず友雅は声をかけた。 「番号を見せてくれないか」 「え、ええ……」 静かだが、妙に気迫のある友雅の声に気圧されるように、幸鷹は携帯電話を手渡す。友雅はそのモニターの表示を一目見て番号を記憶した。 「ありがとう。それじゃ」 ■■■ マンションからかけたほうが早い、そう判断した友雅はマンションの自室へと引き返した。すぐに受話器を手に取ると、先程覚えたばかりの番号を正確に押す。 『…もしもし』 数回のコールの後に聞こえたこの声は翡翠のものに間違いない。周りから漏れるのは静かなエンジン音、まだ車の中にいるらしかった。 「……橘だが、うちの鷹通がお邪魔してないかい？」 『！ ……ああ、今は運転中なんで失礼するよ。心配しなくても何も起こりやしないさ、多分ね』 翡翠が少し的外れな回答をしたのは電話が友雅からのものだと助手席にいる鷹通に知られないようにだろう。 心配するなと言われても、その軽い口調で笑いをこらえながら言われても何の説得力もないではないか。 「……鷹通……」 店のほうへ行く気になれず、リビングのソファに座り込んでテーブルに両肘をついて頭を抱え込む。 鳴らない電話が目の前にあった。 なるようにしかならないことはわかっているのに、気持ちだけが焦って。 時間を見てまた電話を掛けてみたのだが、今度は携帯の電源が切られていてつながらなくなっていた。どうせあの男のことだ、友雅に対する挑戦に違いないのだが、それでも鷹通のことが掛かっているとなると、その挑発に乗らざるをえない。 トゥルルル…… 目の前のコードレスフォンから突然コール音が鳴り響いて、友雅は驚く。気づけばもう部屋の中は真っ暗だった。ただ焦燥としながら連絡を待ち続けて今日一日は終わってしまったようだ。 その暗闇の中で光る通話ボタンを押して、受話器を耳に当てる。 『友雅殿？ 私です』 「…鷹通…？」 てっきりあの男からだと思っていたのだが、まさか鷹通の声とあの男の声など聞き間違えるはずもない。 「今どこにいるんだ？」 『え、ええと…大学の図書館です。それで、今日の帰りは遅くなりますから』 まだ嘘をつくのか。 声は元気そうだし、彼に何をされたということもないだろうがそれでも…… 「鷹通……」 止めようとした矢先だった、電話の向こうで『鷹通、ほらおいで』というあの男の声がして、友雅はぎゅっと受話器を握り締めた。みしっという音がしたが、手の力を緩めることはない。 『すみません。今日中には必ず帰りますから！』 それだけ言うと、友雅の返事を待つことなく鷹通は電話を切ってしまう。 今日中には必ず帰るって…… もう８時……。 大学の図書館なんてもうとうに閉まっているだろう。 そんなに隠して、私に嘘をついてまで、あの男のそばにいるなんて…… 「鷹通……早く……」 そして友雅は受話器を置いて空いた手を、何かを掴もうとするかのようにぎゅっと握った。 ■■■ 思ったより時間が掛かってしまった。友雅はきっと心配していることだろう。 腕時計の表示を見ると１０時をとうに回っている。まだ日付は６月１１日。今日一日、翡翠に付き合う条件で友雅へのプレゼントを確保したのである。 エレベーターが最上階へつくのも待ち遠しいくらいに、鷹通は気が急いていた。 「……早く……」 手の中の長い包みをぎゅっと両手で包む。 ポン、と目的の階に着いたことを知らせる音がして、エレベータの扉が開ききる前に鷹通は扉の合間にその身を滑り込ませて外へと飛び出した。 この最上階の部屋は４部屋。そのうちの西側の２部屋のうち片方が鷹通と友雅の住む部屋だった。その部屋の扉に飛びつくようにして鍵をはずしてドアを開く。 「鷹通……？」 「友雅殿、遅くなってすみませんでした」 友雅の声はするが、部屋の中は真っ暗で姿は見えなかった。 だが、次の瞬間すごい力で体を包み込まれて、鷹通は驚く。 「と、友雅殿……？」 「……………」 どうしたのだろう？ そんなに心配をさせてしまったのだろうか。 嘘もついてしまったし、友雅に悪いことをしてしまったかなと鷹通は反省する。 「……あの…友雅殿、そろそろ放して下さい……」 「嫌だ」 え？ え？ 戸惑う鷹通の唇を、友雅はそのまま口付けで封じてしまう。もう逃がさないというように、腕の力をゆるめることもなければ、口付けをやめようとしない。 「…………っ……ん……」 カタン！ 鷹通の手の中から細長い包みが落ちてしまう。だが友雅の抱擁と口付けの苦しさにそのことにはまったく気づかなかった。 「……っく、くるし……」 「鷹通……」 やっと酸素を吸い込むことができ、鷹通はゆるめられた友雅の腕の中でぐったりとその胸にもたれかかる。 ……一体どうしたというのだろうか。 友雅らしくもなく、自分の衝動が抑えられないというようであった。 「友雅殿……何かあったのですか……？」 「………いや、何もないよ。何も……」 本当に？ だが、それ以上は訊けない雰囲気だったので鷹通は大人しく友雅の腕の中にいることにした。 力強い腕。 あたたかい胸。 友雅の匂いだ…… 「鷹通、さっき何か落としたんじゃないかい？」 「あ！」 いつの間にか手に持っていた包みがなくなっている。 慌てて手を伸ばして玄関の明かりをつけると、包みは友雅の足元に転がっていて鷹通が拾うよりも早く友雅が手に取ってしまった。 「はい」 それを手渡そうとする友雅に、鷹通は微笑んで両手を振る。 「それは友雅殿に」 「私に？」 「ええ。今日は誕生日でしょう？ それでお祝いにと……」 ■■■ 包みを開けてみると、藍色の細長い箱が出てきた。そしてその中に入っていたのは…… 「……指輪？」 金色の指輪だった。それにネックレス用のお揃いの金の鎖もついている。 「この世界では特別な人に指輪を贈る習慣があるときいたので」 照れたように笑う鷹通に、友雅は微笑む。 ……嬉しかった。 無事で帰ってきたことも、自分の事を特別に思ってくれていることも。 何もかも嬉しかった。 「ありがとう、鷹通」 「どういたしまして。そうだ友雅殿、指輪を是非つけてみてください」 友雅よりも嬉しそうに笑う鷹通にお願いされてしまっては、断ることは鬼でもできないだろう。 箱の中の指輪をはずしてみると、友雅はおや、と眉を上げる。 「鷹通、これはペアリングのようだよ」 一見太めの金のリングに見えたのだが、はずしてみると片方は二重ラインの、もう片方はその間に挟まる形の二つの指輪だった。 「え？ ああ、本当ですね」 二つの指輪を鷹通の手に乗せてあげると、驚いた様子を見せる。どうやら鷹通も指輪のデザインに関してまったく知らなかったらしい。となれば、もしかしたらあの男が用意したものなのかもしれない。 その証拠に…… 「この普通の指輪はきっと鷹通のものだよ」 「どうしてですか？」 「サイズがこの二重のラインの指輪より小さくできているだろう。それにネックレス用の鎖も２本分あるしね」 こういう気の利かせ方をするあたりが、あの男がからんでいるを言わんばかりではないか。 ネックレス用の鎖はおそらく飲食店の関係者が指輪を手につけているのはまずいだろう、ということでわざわざ特別に用意したとみえる。 「ほら、鷹通。左手を出してごらん」 鷹通の手から指輪を一つ取ると、差し出された左手の薬指にそれをゆっくりとはめる。 ……どうしてあの男は鷹通の指のサイズを知っているんだ。 妙なところが引っかからなくもなかったが、嬉しそうな鷹通の様子にそんな些細な問題はかき消された。 「友雅殿も左手を出してください」 顔を赤くして鷹通が友雅の左手を取ると、持っていた指輪を薬指にはめていく。 ……私の指のサイズまでどうして知っているんだ。 また引っかかるものもあったが、この幸せとしか言えない状況にすべては流されていった。 「……鷹通」 囁くようにその名を呼んでやれば、鷹通はくすぐったいように大きな瞳を閉じた。 そして再び口付けを交わそうとしたそのときだった…… バターン！！ 「翡翠、それはなんだ！？」 「お隣さんへのお祝いだよ。わざわざジョンに頼んで取り寄せてもらったんだ」 「……お前が任せて置けと言うから、頼んだのに……」 「君が言ったんじゃないか。自分でもらって嬉しいものを贈るのがいいって」 「だからって……！」 「ほら、お隣へ行くよ」 「おい、翡翠…！」 ピンポーン。 この会話が玄関にいた友雅と鷹通に駄々漏れだったとは知らない、翡翠と幸鷹がチャイムを押したようだ。 「………はぁ……」 せっかくいい雰囲気だったというのに。 「ほら、友雅殿。お二人が来たようですよ」 「このまま知らん振りしたい気分だがね」 ぐったりとした友雅に鷹通は苦笑して、すぐに玄関のドアを開く。 「翡翠さん、幸鷹さん、こんばんは」 「どうもお邪魔するよ」 邪魔だとわかっていながら大きな包みを抱えて入ってくる翡翠に、本当に邪魔だよ、と心の中で毒づきながらも、友雅は愛想よく笑って見せる。 幸鷹だけだったら歓迎するところだが…… 「お誕生日おめでとうございます、友雅さん」 「ありがとう」 にこやかに挨拶を交わす友雅と幸鷹の間を割るようにして、翡翠が大きな包みを友雅に差し出す。 「はい。誕生祝いだよ」 「……つまらないものですが……」 妙に嬉しそうな翡翠に対して、申し訳ないというような幸鷹の態度。 この巨大な包みは一体なんだ。 おそらくさっきの外での言い争いの元なんだろうが…… 背丈ほどもある包みを受け取ると、一応お礼を幸鷹に向けて言う。 「どうもありがとう。開けてみていいかな？」 「え、ええ……」 「気に入ってくれるといいのだけれどね」 絶対にろくでもないものだろう。 幸鷹にばれない程度に、べりべりと乱暴にその包みを破っていく。 「こ、これは……」 中から出てきたピンクの物体に、さすがの友雅も笑みが引きつる。 この非常識な大きさの…… 「うわぁ、可愛いじゃないですか！」 大喜びする鷹通はピンクの手を持ってはしゃぎ出す。 三十台の半ばにさしかかろうという男に、まさか等身ほどもあるピンクのテディベアを贈るというのもすごかったが。 嬉しそうな鷹通と、意気投合した幸鷹の二人の笑みを見たら、今日１日の心労もなんてことはなく癒されていく。 ……まぁ、いいか。 こんなににぎやかな誕生日は初めてだったが、それも悪くないと思った。 |
友雅さん誕生日ＳＳになります。
本当は鷹通さんアルバイト編だったんですが、
長くなりそうだったので飛ばしてしまいました。
翡翠と１日何をしていたのかはまた後日……(笑)