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BIRTHDAY<Hisui ver.>　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　

　大学の近くの喫茶店。
　そこの一番奥のボックス席に幸鷹は腰掛けると、目の前で幸せそうに喫茶店の店主が作ったケーキを頬張っている青年を眺める。
　喫茶店の店主は今買出しに出かけて留守にしていた。目の前の青年が店番なのだがお茶を淹れられないし、客もいないので準備中の札をかけている。顔なじみ、というかマンションの隣の住人である幸鷹は特別に店の中で店主の帰りを待たせてもらうことにしてここにいた。
「幸鷹さんもいかがですか？」
　口に含んだケーキを飲み込んだ青年が、小首をかしげて幸鷹の顔を覗き込む。
　そんな可愛らしい仕草に、幸鷹も微笑み返す。
　彼とは出会ってからそう長くはないのに、どこか弟を見るような優しい気持ちになってしまう。
「いえ、今日は友雅さんに用事があって伺っただけですから。…そのケーキ、おいしいですか？」
「ええ！　それはもちろん」
　この店では一日一種だけ店主の友雅が作ったケーキを置いている。今日はどうやらショコラケーキのようだ。しっとりとした茶褐色のスポンジがおいしそうである。
　割とまめにこの店に通っている幸鷹は何度かここのケーキを食べているが、どれもとてもおいしかった。少なくとも幸鷹が食べたケーキの中では一番おいしいと思う。
　友雅目当ての女性客も多いが、この店のオリジナルブレンドと手作りケーキに定評があるのは間違いないだろう。
「友雅さんが家でもご飯を作っているのですか？」
　この店ではお昼時になれば簡単な軽食も出てくる。そのどれもが既製品ではなく店主の手作りだということはつい先日聞かされたばかりだ。コーヒーや紅茶を淹れ、さらには料理までこなす……いくら小作りな店であるとはいえ、手際が良くなければとても全部はできないだろう。
　幸鷹の質問に、目の前の青年は眉を寄せて少し表情を曇らせる。
「いえ……私が作ってます。あまり上手とは言えないのですが…」
　青年は友雅と二人で暮らしていた。兄弟にしては苗字が違うし歳の差もある。さらに顔立ちも性格もまったく似通ったところはない。だが、関係を詮索する趣味も好奇心も幸鷹にはないので、ただのよき隣人として付き合っていた。
「幸鷹さんたちはどちらがお作りになっているのですか？｣
　途端に幸鷹の顔がゆがんだ。
　何か悪いことでも訊いたかな、と青年のメガネの奥の大きな瞳が不安そうに揺らめく。その青年の様子に気づいた幸鷹は苦笑して顔の前で両手を振って見せる。
「うちは自分の分は自分でやっているので。鷹通君と友雅さんほど仲はよくないのですよ」
　その幸鷹の言葉に鷹通は再び首をかしげることになる。
　たしかに表面上はあまり笑いあったりもしなければ協調性もなさそうだが、どこか二人は通じ合っているものを鷹通にも感じさせていた。
　本人が思っているよりは、仲は悪くないように思える。
「でもそれはお互いが自立しているからじゃないですか。私は家事もろくにできないで友雅殿にご迷惑をおかけするばかりです｣
「お互い足りないものを補っているのでしょう。きっと、友雅さんに足りないものをあなたが持っていると思いますよ｣
　恥らう鷹通に、幸鷹は優しく微笑んで声をかける。
　こんな風に素直になれたら……
　そうしたら……

　カランカラン。

　店の入り口のドアが音を立てて開く。
　二人が顔を向けると入り口にはこの喫茶店の店主で、鷹通の同居人である友雅その人が荷物を左手に持って立っていた。
　その手にスーパーの袋がなければモデルか何かのように、その顔や雰囲気が見る者の眼を引くだろう。
「おや、店の中は人がいなくて閑散としているのに、そこだけ花が咲いたかのようだね｣
　軽い口調で言うその台詞も、友雅の口からこぼれるのであれば気障には感じない。
　翡翠が同じような事を言えば眉を吊り上げて怒るだろう幸鷹も、さすがに友雅の言葉には気恥ずかしさを覚える。
「何を言っていらっしゃるのですか！　幸鷹さんは友雅殿に用があってここでお待ちになっていたのですよ｣
　荷物を置いた友雅は、顔を赤くして声をやや大きくする鷹通ににっこりと極上の笑みを向けて、それから幸鷹のほうに向き直る。
「それは待たせてすまなかったね｣
「いえ。私が何の約束もなしに押しかけたのですから｣
「それで私に何の用かな？｣
「あ……」
　そこで幸鷹は言葉を詰まらせてうつむく。
　言わなければいけないのは分かっているのに、こうして友雅を目の前にすると口に出すのがためらわれる。友雅ならば幸鷹の話を聞いても笑ったりからかうような真似はしないだろうが、これから言い出すことが幸鷹らしくないと分かっているのでやはり言いづらかった。
　ガタ！
　そこで鷹通が慌てて席を立つ。
「では、私はそろそろ部屋に戻ります！　洗濯物を取り込こんで大学に行かなければならないので」
「え？　鷹通く……」
「幸鷹さんはごゆっくりどうぞっ」
　止める間もなく鷹通は店を飛び出していってしまう。
　どうも自分がいては話しにくいことなのではないかと、誤解をしてしまったみたいだ。
「……あとで鷹通君に謝っておいてください｣
　仕方なく友雅のほうに向き直ると、彼は口を手でおさえて笑いをこらえていた。
　そんなこんなで空気が軽くなったのを感じると、鷹通に感謝の気持ちを送る。
　少しは空気も軽くなって、これで口に出しやすくなった。
「ああ。それで君の用件を聞こうか」
「……実は友雅さんに頼みがあるのですが」

■■■

　大学の講義が終わり、いつもどおり鷹通は席を立つと教室を出てマンションの方向へと足を向ける。学部棟を出ると、そこには友雅が立っていた。
「お疲れ様、鷹通｣
「友雅殿、いつもありがとうございます」
　笑って迎えのお礼を言うと、友雅も微笑を返してくれる。
　もう9時を回っていて、あたりは暗闇が広がっていた。そんな大学の構内を歩きながら隣の友雅に声をかける。
「幸鷹さんの御用はすみましたか？」
　さすがに用件までは訊けないだろう。自分がいては話しにくいようだったし。
　友雅は尋ねられるまで忘れていたかのように、ああと声をあげて突然に吹き出す。
「友雅殿？｣
「くく……いや、とりあえず君に気を使わせてしまった事を謝っておいてくれ、と言われたよ｣
　どういう意味だろう？
　さっぱりわけがわからない鷹通は首をかしげる。
　そんなに笑うような用件だったのだろうか。
「一応彼の用件、というか頼みは聞いてあげたんだけど、結果はまだわからないね。いや、そろそろ分かる頃かな」
　？？？
　もっと分からなくなって大きな瞳をきょとんとさせている鷹通の耳に、友雅は左手を当てると顔を寄せてこそっと吐息がかかるくらいの距離で囁く。
「実は……」

■■■

　帰ってきた途端、幸鷹に呼び止められて翡翠は何事かと思う。
　なんだか仏頂面をしていたし、言葉の端々に棘がある。
　何かしたかなぁと過去を振り返っても、特に何かをした覚えもない。朝出かけるときもそういえば表情が硬かった気もするから、昨日だろうか。
　夜に彼の部屋へ夜這いをかけたときも、今日に響くほど無茶はしなかったはずだし。
　……ふぅ。
　結局こうして考えていてもわからないということか。
「何か怒っているのかい？」
「怒ってなどいない。いいからそこに座ってください｣
　やれやれ、と翡翠は肩をすくめる。
　怒っていないという割には綺麗な顔を硬直させているし、言葉も彼本来の声の柔らかさはなく硬い。
　それで怒っていないというのだから、仕方ない。
　リビングのソファに向かい合わせになるようにして座ると、やはり真正面から幸鷹は強い視線をぶつけてくる。
　……たしかに怒っていない。
　ただ何か覚悟を決めたような瞳。
　それに鬼気迫るものを感じさせた。
「一体、なんだね」
「………翡翠」
　曲げたひざの上にのせられた拳を幸鷹はぎゅっと握る。
　そして隣のソファから白いそんなに大きくない箱を持つと、テーブルの上にのせた。
「この箱がどうかしたのかい？｣
「お前にあげます」
　は？
　一体なんなのだ。
　それだけ言うのに何をそこまで緊張しているのか。
　びっくり箱……なわけはないか。その手のいたずらをするような青年ではない。
　この箱の中身が問題のようだ。
「開けてもいいのかな？｣
「……ええ」
　気まずそうに答える幸鷹は視線を翡翠からそらす。そんな彼のことは放っておいて翡翠は目の前の箱のふたに手を伸ばした。
　そのふたを開けると、翡翠は声をあげて中身を確認する。

「ケーキ？｣

　箱の中身はケーキだった。
　白い生クリームで覆われているケーキ。その上にはイチゴが等間隔でのせられている。
　しかしケーキごときで一体何をそんなに緊張しているのだろうか。
　まさか毒を仕掛けたわけでもないだろうに。
「あ……」
　そこまで考えて気づく。このケーキに何の意味があるのか。
　そうか……
「ニヤニヤするんじゃない！」
　幸鷹は心底嫌そうな顔をして愉快そうに口元をほころばせる翡翠に怒鳴る。だが、そんな幸鷹の怒りも翡翠にはどうでも良かった。
　それほどに嬉しかったのだとも言える。
「私の誕生日ケーキかな」
「……それ以外にないだろう」
　今度は幸鷹が頬を染めて顔をぷいっと横に向けた。
　この態度だと、おそらくこのケーキは市販品ではない。
　翡翠はソファから立ち上がってキッチンへ行き、フォークを一本手に持って戻ってくる。当然幸鷹は顔を横に向けたまま翡翠の動向をうかがっているようだった。
　ソファに再び座るとフォークをケーキにさす。しっとりとした柔らかなスポンジ生地を一口サイズに切って口へと運ぶ。
　甘い……
　その一口を飲み込むと、横目で幸鷹が心配そうに翡翠の顔を見ていた。
「……おいしいよ」
　翡翠の一言に、幸鷹はほっとした顔をする。
　だがすぐに顔の緩みに気づき、慌てて眉をまた吊り上げた。
「そ、それならいい」
　ぷっと吹き出しそうになるが、そんなことをすれば幸鷹の態度が悪化するのは目に見えているので、それをこらえてフォークでまた一口分切って刺すと、今度は幸鷹の口元にフォークを持った手を伸ばす。
「はい」
「はいって……」
「食べてみないと味が分からないだろう。それとも自分が食べられないようなものを人に食べさせたのかい？｣
　戸惑う幸鷹にさらに言葉を重ねる。
　うう、と口元にあてがわれたケーキを見て狼狽している彼に、翡翠はさらに念を押すようににっこりと微笑んでみせる。
　ぱくっ
　意を決した幸鷹は目の前のケーキを口に含んだ。
「どうだい？」
「……どうだい、って私が作ったんですよ。それに友雅さんに教わったんですから……あ」
　慌てて両手で口をおさえるがもう遅い。
　翡翠の耳のその人物の名前は届いてしまった。
「ほぅ。あの男に……」
「ケーキの作り方を教わっただけだ。大体どうしてそうあの人を毛嫌いするんだ｣
「何を言ってるんだい。私はあの男を嫌ってなどいないよ」
　ただなんとなく闘争心がわくだけだ。
　なんとなく彼とはつい張り合ってしまう。
「そう……ならいいんだが」
　翡翠の顔を見上げてまだ納得してない様子の幸鷹に、証明するかのようにケーキを口に運ぶ。
　このケーキを幸鷹一人で作るのは確かに無理だろう。
　……あの男に貸しができたな。この御礼は近いうちにすることにしよう。
　と、また無駄に張り合ってしまうのだった。

　そんな翡翠の思惑など知る由もない幸鷹は、ぱくぱくとケーキを口に運ぶ翡翠を見てほんの少しだけ眼をほころばせる。
　……良かった。ケーキは口に合ったようだ。
　本当は何かプレゼントをあげればよかったのだろうが、彼が何を欲しがっているかなど見当もつかなかったし、それに彼は金に不自由はしてないようだったので欲しいものなどすぐに買えてしまうだろう。
　それで彼のためにできること、と言えばこれくらいしかなかったのだ。
　思えば翡翠のために何かをしてあげるのは初めてではなかろうか。
　でも自分の誕生日にはとんでもないもらい物をしてしまったし、彼には幾度となく助けてもらっている。それこそ出会った頃から……何度も。
「ごちそうさま。残りは明日食べるよ｣
　さすがに１ホールすべてをたいらげることはできないので、箱のふたを閉めると冷蔵庫にケーキを片付けて翡翠は戻ってくる。
「別に全部食べなくても……」
「せっかく君が作ってくれたんだしね」
　っ！！
　その言葉に幸鷹の心臓が跳ね上がる。
　今のは……どういう意味だろうか……？
　翡翠の瞳に吸い込まれるように、幸鷹はその大きな黒い瞳で見つめ返す。答えるように翡翠の顔が近づいてきてくる。
　どくん、どくん……
　心臓の音だけがやけにうるさい気がした。
「……翡翠……」
　少し掠れた声でその名を呼ぶと、翡翠はさらに瞳を細めて幸鷹の頬に手を添える。
　そして……瞳を閉じたときだった。

「Happy　Birthdaｙ！！」

　バターンとドアが大きな音を立てて開き、飛び込んできたのは金髪の男女。
　青年のほうが手に自分の体ほどもある大きな包みを持っているが、中の二人の様子を見るとそれを取り落としてしまう。
　鈍い音を立てて床に落ちた物体が硬いものではないことくらいはわかった。
「あら」
　女性のほうが口元に手を当てて声を漏らす。
　その声に幸鷹は今の自分たちのおかれている状況を思い返すと、どんと思いきり翡翠の厚い胸板を力のかぎり突き飛ばした。
「わぁ！」
「おっとっと」
　それでもよろけたりせずに巧みな体重移動ですぐに立ち上がる翡翠。
　だが幸鷹はそれどころではなかった。
「いいい、今のはただ……そう口の端についたケーキのクリームを取っていてですね……！」
　あたふたと言いわけをする幸鷹にはお構いなしに、翡翠は来訪者のほうへ向きなおり大きくため息をついて、その長い髪をかきあげる。
「いいところで現れてくれたね｣
「いっいいところってなんだ！　翡翠っ！！」
　ソファから立ち顔を赤くして眉を吊り上げわめく幸鷹にかまう者などいなかった。
　現れたアメリカ人の夫婦は晴れやかな笑顔を見せる。
「すまないね。まさか取り込み中だとは思わなかったから」
「ごめんなさいね、ユキタカ」
「だから今のは……！！」
　幸鷹の言葉など誰も聞いてはいない。
「もう少しで幸鷹を篭絡できそうだったというのに」
　わざとらしく残念そうな声をあげる翡翠に、幸鷹の堪忍袋の緒が切れる。
　握った手はぶるぶるとし、こめかみもぴくぴくと引きつっていた。

「篭絡ってなんだ！　もうお前のことなんか知らない！！」
　と、まるで子供のように叫んで、幸鷹は自室の部屋に入って勢いよくドアを閉める。近所迷惑など考えていられる状態ではなかった。
　……あの男は！！！！

■■■

「相変わらずねぇ、あなたたち」
　シャロンは幸鷹の消えたドアを見ながら苦笑する。
「お姫様の機嫌を損ねちゃったな」
　ジョンは嬉しそうに翡翠に笑いかけていた。
　まったく、この二人のせいでしばらく家の中は幸鷹の嵐を覚悟しなければならないではないか。
　二人に油を注いだのは自分であるというのに、そんなことは考えないあたりが翡翠だった。
「で、何の用だい？　まさかそれだけ言うために日本まで来たわけじゃないんだろう？｣
「半分は仕事だけど、半分は君の誕生祝いだよ。これプレゼント」
　ジョンは床に落ちた大きな包みを翡翠の手に渡す。
　手触りは柔らかく、少し重みはあるがそこまで重量はない。
　一体何の包みだ。
　不信そうな翡翠の視線に、目の前のアメリカ人の夫婦はにっこりと笑うだけだった。
「せっかくだし、ユキタカにあげるといいわ。怒らせちゃったお詫び」
「きっと気に入ってくれると思うな｣
　そうだろうか……？
　この二人が思いつくことといったらろくでもないことのような気がしてならない。
「それじゃ、僕たちは仕事に戻るよ」
「元気そうで安心したわ、あなたもユキタカも」
　別れのキスを翡翠の頬に残して、台風のような夫婦は去ってしまう。本当にそれだけのためにここへ寄ったようだ。
　忙しいならわざわざ邪魔をしに来なくてもいいだろうに。
　それに怒らせた幸鷹を放置して帰るとは……
　幸鷹の部屋のドアを見て翡翠はため息をこぼす。そしてどうやってなだめようかと思った矢先、手の中の大きな包みを思い出した。
　一体あの二人は何をくれたのだろう。
　幸鷹にあげたら機嫌も直すのに役立つのだろうか。
　儚い期待を込めて、がさがさとリボンと包装紙を破っていくと現れたのは……

「これを幸鷹にあげたら……」
　考えるだけでも恐ろしい。
　中から出てきたピンク色の巨大な物体……。
　それをどうしたものかと途方にくれて見下ろす。
　これを今幸鷹にあげたら、それこそ目も当てられない事態になるだろう。
　……せっかくの誕生日、今日は幸鷹と部屋にこもるはずだったのに……

　まさか自分の体ほどもあるピンク色のテディ・ベアを抱えて寝ることになろうとは、さすがの翡翠も思いもしなかった。

　次の日、翡翠を起こしに来た幸鷹は隣で眠る熊のぬいぐるみに大爆笑をして機嫌を直すことになるのだから、案外役立ったとも言えなくはないだろう。

１５０００HITの如月梨花様のリクエストで現代版W白虎です。
ついでに翡翠さん誕生日SSでもあったりします。
その割にW白虎のからみが少ないのはなんででしょう？？？
とほほ～……。今回のお題は「幸鷹ケーキを作る」の巻です。
ああ…ケーキ食べたいなぁ(誰も聞いてない)

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