BIRTHDAY<Yukitaka>
| うう……。 真冬なだけあって朝は冷え込むなぁ、と幸鷹は布団の温もりを名残惜しそうにしながらもベッドからおりて着替えを手に取る。シャツにスラックス。いつもと変わらない格好。自室の机の上のファイルを手に取ると、リビングへのドアを開ける。 ガチャ。 案の定誰もいない。翡翠は昨日は泊まりの仕事だといっていた。ここ数日毎朝いそいそと出かけていたから仕事が忙しいのかもしれない。 食事用のカウンターテーブルにファイルを置くと、洗面所で顔を洗って髭をそり歯を磨き髪を梳かす。まだ水が冷たくて一気に冷め切っていない頭が冴える。 そしてコーヒーとトーストを食べて出かけるのが幸鷹の日課だった。 リビングに戻った幸鷹の背中に何か固いものが当たる。 「手を上げろ」 低くくぐもった男の声。 「え……？」 「手を上げろ」 繰り返し言われた言葉には何の感情もない。居直り強盗などではないということだ。 一体何が起こっているのか、幸鷹はつかめないがここで逆らうのはまずい。 背中に突きつけられているものが拳銃である可能性は十分にあるからだ。 幸鷹はとりあえず落ち着こうと考え呼吸をゆっくりとし、両手を上げる。 「これで目隠しをしろ」 差し出されたのはアイマスク。 ここは大人しく従うしかない。 しかしどうやってこの男は部屋に入ったのだろうか。ちらりとアイマスクを手に取るとき背後を伺ったが、男の身長は190以上あるだろう。ここアメリカではそう珍しくもないが、見たところ黄色の肌に黒髪。日系か、もしくはアジア系だ。淡々とした命令口調は流暢なアメリカンイングリッシュ。 残念ながらサングラスをしていて目元が分からない。黒のタートルネックに黒のスーツを均整の取れた体と長身で着こなしていた。 そうこう考えている間に、幸鷹はアイマスクをつけたため視野を失うことになる。この暗闇の中で、逃げ出す隙を伺うしかない。 しかし、物取りのようでもないようだし、一体何が目的なのだろうか。 そこまで考えて、ふと同居人の顔が浮かぶ。 あの男が何かしでかして、そのとばっちりだろうか…… ……それが一番可能性が高い気がする。 「このまま部屋を出るんだ」 男が何か固いもので背中を押して、幸鷹を進行方向へ通す。その方向には障害物はないという記憶と男の指図を頼りにするほかはなく、幸鷹は一歩ずつ歩き出した。途中玄関近くで、かかっていた上着を男が手に取り「着ろ」と命令された。ずいぶんと親身な誘拐犯もあったものだ。 そう考えると、この男には自分に敵意はないように思える。 部屋に他に人がいた様子もないし、自分をここから連れ出すのが目的か。 そのまま歩いていってエレベーターに乗せられた。 体感で分かる下りのエレベーターの中で、幸鷹は静かな声で男に質問をする。 「あなたの目的は何ですか？」 「………答えろと命令されていない」 だから言えない、というわけか。 つまりこの男は誰かの命を受けて私を連れ出しに来た。 その誰かも、私に危害を加えるつもりはない。危害を加えるつもりがあるのなら問答無用で気を失わせて運んだほうが早いからだ。 そして、この男が部屋に入り込んでいたという事実。 「……翡翠は何を考えているんですか」 「…………」 自分に危害を加えるつもりはなく、見知らぬ男がマンションの部屋にいたのなら、誰かが手引きしたと考えるのが一番だ。そしてこんな突拍子もないことをしそうな人間はすぐ近くにいるのだから、まずはそれを疑うのが自然だろう。 翡翠。 あの男は一体何をしようとしているのだろう。 もしくは誰かの企みにあの男も力を貸しているのか。 どちらにせよ、今日の予定は全部パアだな。 はあ……。 怒るのも馬鹿らしいので、ただ幸鷹は嘆息する。 ■■■ 駐車場に仲間がいたらしく、車に乗るように指示をされた幸鷹は手探りで車のシートにようやく腰を下ろす。ドアが閉まり、逆のドアが開くと先程まで幸鷹を誘導していた男が乗り込んで、車は静かなエンジン音を立てて発進する。 まったく。 あの男に会ったら少し怒らなくては。勝手に人の予定を狂わせて。 この身が自由になったら大学に連絡を入れなくては。 「君がユキタカね」 ？ 隣に座る男の声ではなく、幸鷹の前の助手席から声がかけられる。少し明るめの英語。これも男の声だ。とすると、この車には4人乗っているのか。 「ふーん……日本人形みたいだ」 「……あなたは？」 「ボク？ 君のライバル希望」 「は？」 興味津々、明朗快活なしゃべり方、なのに下品な感じはない。人好きのしそうな若者の声、といった様子だ。おそらくは歳も幸鷹とそう変わらない。 しかし、ライバルとは穏やかではない。 「あっはっは。わけがわからないって顔だね。そのうち正式に挨拶させてもらうよ。今日ボクはヒスイの手伝いを買って出ただけだから」 やはり、翡翠がからんでいるのか。 しかしシャロンといい、この人といい、あの男の周りは変人だらけか。 ……と、自分だけはまともな感覚を保っていると幸鷹は信じていた。 そんなこんなで20分くらい車に乗っていただろうか。ようやく目的地に着いたらしく、幸鷹の横のドアが開けられる。入ってきたのは冷たい風。 「……潮風？」 刺すような冷たさの風にはかすかにだが潮の香り。海が近いのか。 「まだアイマスクははずさないでね」 思わず目に手を当てた幸鷹に、ライバル希望の青年の声がかかり手を止める。 もういい加減はずしたいとは思っていたのだが、ここまで来たのだ。最後まで付き合ってやろうか。 「足元お気をつけて」 これは低くて淡々とした声から最初に部屋に来た男だろう。 もう脅す必要はないので、男は幸鷹の手をエスコートするように取る。 「それじゃあねユキタカ、また近いうちに。トーヤ、ヒスイによろしく伝えてくれ」 男の名はトーヤというらしい。すると日本人、もしくは日系人だろうか。 幸鷹には見えないが、トーヤと呼ばれた男はそっと苦笑して会釈をする。車から幸鷹が無事に降り、ドアを閉めると青年を再び助手席に乗せて、車は発進する。 トーヤとあの青年は仲間ではないのか。 この企みで一時的に協力していただけ。さらに翡翠とのつながりはトーヤの方が近いことになる。そう考えると、幸鷹は少し男に引っ掛かりを覚えた。 一体、翡翠とはどういう関係なんだろう？ 仕事仲間……だろうか？ 「行きましょう」 手を引かれるままに、幸鷹は歩き出す。 あとで翡翠に答えてもらえばいい。……大人しく答えるかどうかはわからないが。 ■■■ 「ご苦労だったね、透夜」 「いえ。では私はこれで」 車から降りて歩くとすぐに建物の中に入ったのが分かる。 ここが目的地だろうか、と思っていると中から聞き覚えのある声がした。 「翡翠。これは一体何の真似だ」 透夜、と呼ばれた男は挨拶だけするとすぐにその場を去った。彼の役目は幸鷹をここまで連れて来ることだけだったようだ。翡翠に対する返事を聞くと男はどうやら誰に対しても淡々としたしゃべり方をするらしい。 そんな彼を見送ると、少し険のある声を出した幸鷹に翡翠は笑って、いつものように飄々とした態度で返す。 「君もご苦労様。でもまだ目隠しはしたままで」 「いい加減にしなさい」 「とは言っても、私も頼まれて引き受けた身だからね」 「え……？」 この男が仕掛け人ではないのか？ てっきりそうだとばかり思い込んでいたために、幸鷹はアイマスクをつかんだまま虚を突かれる格好となった。 「さ、来たまえ」 肩を抱かれて止める暇もなく、幸鷹は室内に導かれる。 パーン！！ 「わっ」 突然の爆発音に幸鷹は驚く。 同時に肩を抱いていた翡翠が幸鷹のアイマスクを取ったので、視界が一気に広がる。まぶしくて一瞬目を瞑るが、大きな目を開けてみるとそこには穏やかに笑う翡翠、それに…… 「花梨殿！？」 「えっへへー。驚きました？」 「どうしてアメリカに……それに勝真も…」 ここにいるはずのない人物がいて、幸鷹は二度驚く羽目になる。 今日の騒動の仕掛け人の花梨の手にはクラッカー。そして愛くるしい目をくるくるとさせて、驚く幸鷹を見て満足げに微笑んでいた。 隣にいる勝真も仕方ないな、と喜ぶ花梨を見て笑っている。 「日本では連休なんで、冬休み最後に遊びに来ようと翡翠さんに連絡したんです」 彼女は今は日本の大学に通っているはずだ。勝真も彼女の家に世話になりながらこちらの世界での勉強をしながら通信制の高校に通っている。 「そしたら、15日が幸鷹さんの誕生日だって聞いて二日早いですけどパーティしたいなと思ったんです。それなら一度サプライズパーティを本場でしてみたいなって思って、翡翠さんにいろいろ頼んだんです」 今日は13日。たしかに2日早い。 ここ数日、翡翠が朝から出かけていたのは彼女たちの観光に付き合っていたのか。そして昨日の外泊は今日の準備のため。 「明日の朝には帰らなきゃならないんですけど」 「そうですか。私のためにわざわざありがとうございます」 にっこりと心から嬉しそうに笑う幸鷹に、花梨もまた嬉しそうに笑う。 翡翠のいたずらにつき合わされているとずっと思っていたので、あまり機嫌が良くなかったのだがこういういたずらなら悪くない。 「腕によりをかけて3人でごちそうも作ったんです。たくさん食べてくださいね！」 部屋を見てみると、真ん中の大きなテーブルにはタンドリーチキンからサラダ、フルーツまでいろいろなものが並んでいる。これを3人で準備したのかと思うと考えただけで微笑ましい。 「って、ほとんど翡翠が作ったんだけどな」 照れくさそうに言った勝真の言葉に、幸鷹は目を大きくして翡翠の顔を見る。 「姫君の頼みを断れるはずがないだろう？」 「翡翠……」 「ほら、幸鷹さん座って！」 花梨は幸鷹のために椅子を引いて待ち構えている。 「今日は君が主役だからね」 翡翠の笑みに、幸鷹は照れくさくなって苦笑する。そして花梨のところへと歩き出す。 楽しそうな花梨を見ているのが、本当のところ一番嬉しいのかもしれない。 ……私も心から楽しむとしよう。 ■■■ 「はあ……。さすがに花梨殿は若くて元気でしたね」 その話題の主、花梨は勝真と共に１階の客室で休んでいる。 パーティがお開きとなってからも、近況報告やら、大学のテスト勉強につき合わされたりと、休む間もなく幸鷹は花梨に付き合うことになった。 それで解放された今の時間は１０時。 翡翠に自分たちの寝室はこちらだよ、と２階の一室に連れてこられた。そこにはセミダブルのベッドが二つ並べられている。 そのうちの一つに幸鷹は腰を下ろして、眼鏡をはずす。 「君もそんな発言をするような歳になったかな」 「あなたに比べればまだまだですけど」 幸鷹は誕生日を迎えて２６になる。翡翠は今年の誕生日で３４歳。 そんな軽い皮肉は翡翠には応えない。 「おやおや。大学への連絡を忘れていた君に言われるとは」 「あ……」 「心配いらないよ。今日、明日は休むと私が連絡しておいたからね」 楽しげな翡翠の笑顔を見ると、確信犯だったくせに、と言いたくなるのだが、今日は思いのほか楽しかったので、これ以上の皮肉は避けておこうと胸にしまいこむ。 「それにしてもここはどこなんですか？ 海が近いですよね」 夜は冷え込んでて開けられないが、窓を開ければ潮の香りがすることだろう。 海……。 人は海に回帰のイメージを持つというが、幸鷹の中にある海の印象は翡翠そのものであった。 伊予の海辺で彼に出会ったから。 海賊だった頃の印象はまだ消えていない。思えば海賊にしては元々風変わりな者だった。 自分の興味のあるもの以外には目もくれない。 そんな彼が、敵だった自分に興味を持ったのはほんの気まぐれに過ぎないのだろう。 今でもこうして傍らで穏やかに笑っているのも気まぐれかもしれない。 「花梨殿たちを見送ったら、海に行こうか？」 「そうですね……」 きっとここの海は伊予の海とは色が違うだろう。風景も違うだろう。 それでも、彼がいるなら…… それだけが変わらないのなら…… ■■■ 「やはり、伊予の海とは違いますね」 空港まで二人を送った後翡翠の運転で海まで行くと、車を海岸線に停めて窓を開ける。 寒いから車の中で潮の香りと風を感じることにした。 太陽の光に反射する海の色はどこまでも青く澄んでいる。 伊予の海はもっと深い緑。 どこまでも飲み込まれてしまいそうな気がするくらいの深い色。 「穏やかな海もいいじゃないか」 伊予の海はこの男の色だ。 見ているとどこまでも飲み込まれてしまいそうで。 「……ええ」 波にさらわれたのは、私…… 「ここから君の大学まで車で４０分、てところかな」 「はい？」 突然なんだ。 まぁ、たしかにそれくらいの距離だろう。 「じゃあ、今日もあの家に泊まらないか？ 明日は私が送るから」 ここから少し陸に入ったところの一軒家。 昨日は慌しくて疑問に思いもしなかったのだが、あそこの家はパーティのために借りたのだろうか。 新築のようだったし、ウィークリーで借りる家なのだろうか。 そんなことを考えていると、翡翠の言葉に一気に現実に引き戻される。 「後片付けもあるし」 たしかに……。 パーティの片づけをする暇もなかった。 それにシーツやカバーも洗濯に出さなくてはいけないだろう。 「はい。きちんと片付けてお返ししなくては」 「…………」 今日これからの片付けの算段を考えている幸鷹は、意味ありげに笑う翡翠の沈黙を疑問に思いもしなかった。 「はぁ……あとは明日私たちが使ったカバーとシーツを明日の朝クリーニングに出せば片付けは終わりですね」 パーティの片付けは思いのほか手間取った。 クリーニング屋を呼んでみたり、食器類の後片付け、部屋の掃除とやることはたくさんあったからだ。 その間に翡翠はマンションまで着替えを取りに行ったり、仕事を少ししてきたので実質片付けは幸鷹一人でしたようなものだった。 気がついてみればもう夜も更けており、ここにもう一泊しようと言う翡翠の意見は正しかったようだ。 夕食をとってシャワーを浴びると、１２時近い。 「幸鷹、寝るのを少し待ってくれないか？」 「え？」 いそいそと自分のベッドに潜り込もうとしていた幸鷹は動きを止める。 「明日は大学に行かなくてはいけないし、疲れたから早く休みたいのですが」 「私が頼んでも駄目かな？」 「理由を言いなさい」 「もう少し……ね？」 互いのベッドに向かい合って座っているため、正面に翡翠の顔がある。 しかし、歯切れの悪い返事だ。 眠気があるわけではないのでかまわないのだが、一体何なのだろう。 「大学のほうは明日も休みだと言っておいたし」 な…… さらりと何を言っているのだ。 「何を勝手に連絡してるんだ！」 幸鷹は眉を吊り上げる。 この男はどういうつもりだ。 「幸鷹、誕生日おめでとう」 ………………は？ 「翡翠……」 的外れな答えだ。 怒っている幸鷹に対して、お構いなしに翡翠は微笑む。 見れば時計は１２時を回ったところだ。 すると、このために彼は寝るのを少し待て、と言ったのか。 「プレゼントを用意したんだ」 とりあえずは彼の言うことを聞こうという気になって、幸鷹は口調の丁寧さこそ欠けはしたが話の続きを促す。 「……何だ？」 「この家」 ……………… …………………… 「………え？」 「マンションが手狭になってきたから、この家を買ったんだ」 「それで？」 「それでおしまい」 「………」 ……この男は……。 もう怒りを越えて呆れるしかない。 はあ…と大きなため息をついて、幸鷹はがっくりと肩を落とす。 「プレゼントって……お前は……」 「気に入らないかい？」 気に入るも入らないも……。 「……あなたは昔から私を驚かせてばかりだ」 「私も君を見ていると飽きないし、いいじゃないか」 こんなとんでもないことをする男を飽きさせないほど、自分が何かしているとも思えないが。 それで明日は引越しをするつもりで休みにしたわけか。 本当にとんでもない…… 彼は私のほうがとんでもないと言うのだろう。 ならば、少し期待に応えたくなる。 「今日は私の誕生日です。家もいいのですが、もう一つプレゼントを希望してもいいですか？」 「そうだね。考えてみれば、君の希望は聞いてなかった」 翡翠は結構間抜けなんじゃないかと初めて思った。 プレゼントは相手の欲しがっているものをあげるのが普通だろう。 「私はあなたが欲しい」 その言葉に、翡翠はやや目を見開く。 それで幸鷹は少し満足した。 やっと彼の表情を崩すことが出来たのだ。 いつも驚かしてくれる仕返しに成功した幸鷹は大きな瞳を細める。 「……いいよ」 すぐにいつもの余裕の表情を取り戻した翡翠は、そんな幸鷹を見て白い歯を見せて笑う。翡翠の腕が伸ばされ、幸鷹はその胸に顔をうずめた。 |
というわけで、幸鷹の誕生日ＳＳです。ラブラブ…？
一応今後からんでくるキャラも総出演。(笑)
今回は頭のいい幸鷹、を書いてみました。
鷹通よりしっかりしてて、頭の回転速そうだな、
という印象が幸鷹にはあるもので……。
でもいくら頭が良くても機転のきく人間には普段は
勝てなかったりするものです。そんなSSでした。