PRESENTver.Tomomasa×Takamichi
| 「あれ？ 藤原先生、今日はもう交代じゃなかったんですか？」 病室から出ると急に声をかけられて鷹通は立ち止まった。声の主は看護婦の一人、どうやら検温に向かうところのようである。 「ええ。カルテの整理に少し手間取りました。でももう帰ろうと思っていたところです」 そう鷹通が答えると看護婦はいたずらっぽい笑みを浮かべる。 「いいですね、今日はクリスマスイヴ。もしかしてこれからデートですか？｣ からかいと冗談が半分、あとは好奇心が半分といった顔で看護婦は鷹通に返事を求める。しかし、鷹通もそんなことで動揺するほど子供ではなかったし、そもそもそんな予定などないのだから動揺などできようはずもなかった。 「いいえ。あとは家に帰って睡眠をとるだけです。クリスマスということなどすっかり忘れていましたよ｣ 「藤原先生らしいですね｣ いい意味か悪い意味かは分からなかったが、とりあえず彼女に悪意はなさそうだったので鷹通は穏やかな笑みを返す。 ピピッ ふと鷹通の白衣のポケットから短い電子音がした。音の正体はこの病院関係者なら誰でも分かるポケベルの音。つまりはどこかから呼び出されているということだ。 「残念、このまま帰れないみたいですね。それじゃ藤原先生ご苦労様です｣ 「君も頑張って｣ 去っていく看護婦を見送ることもなく、鷹通は白衣のポケットを探りポケベルを取り出す。そしてそのポケベルの画面の数字を見て、形のよい眉をややひそめた。 『２０１２』 この病院の部屋という部屋にはすべて番号が割り当てられている。下３桁はその棟の部屋番号。百の位が「０」ならば誰かの診察室だ。病室は階数が割り当てられ「１０５」などになっている。千の位は病院の専門を表す。 鷹通のいる内科は「１」、そして「２」は……外科のはずだった。 そして鷹通にはこの数字に覚えがある。覚えがありすぎるほどある。 内科と外科は大きな棟をそれぞれに持っていて、かなり遠いのだ。ゆえに行き来するのは結構足労なのだ。仕事なら苦もなく行くのだが、仕事でないのが分かっているとなると、少し鷹通の足取りは重くなる。 しかし、仕事でないとも言い切れない。 少し逡巡した後、仕方ないとばかりに足を外科病棟のほうへと向ける。 ■ 『２０１２』 そうプレートには書いてあった。その脇のドアを鷹通はノックする。 少し待つが何の応答もない。もしかして留守なのだろうか、と考えるが人を呼び出しておいてそれはないだろう。 用を足しにでも行ったのだろうから、中で待たせてもらおうと考えてドアをゆっくりと開く。 中は意外にも暗闇が広がっていた。もう夕方なので冬至を過ぎたばかりの今はすでに暗い。 ドアを閉めると廊下からのかすかな明かりを頼りに、鷹通はドアの横にある電灯のスイッチを入れようと手を伸ばす。 「明かりは消したままでいてくれないか」 ！ 急に闇の中から声がして鷹通は驚いた。 その声は耳に優しく響く声で、本人には言わないが鷹通はその声と涼やかなしゃべり方が好きだった。しかし、こんなふうに唐突では驚く以外にはない。 「……友雅先生、驚かさないでください ドアを閉め安堵の吐息とともに鷹通は吐き出す。 しかし明るいところからきた鷹通はまだ目が暗闇になれず、友雅の声のおかげで彼がどのあたりにいるのかは大体分かったが、それ以上のことは分からずにいた。 「一体何の用ですか？」 その鷹通の問いに友雅が軽く笑みを漏らした。何だか疲れたような、乾ききった笑み。 「今日は１０時間以上オペでね、少し疲れてるんだ」 「だったら仮眠を取られてください」 通常勤務でも１０時間はきついのに、集中して１０時間オペをすれば、いくら友雅でもかなり消耗しきっているはずである。 「食事は採られたのですか？ 友雅先生は放っておくとコーヒーだけですませてしまうでしょう」 図星だったらしく、友雅が苦笑する。 「どうして明かりをつけないのですか？」 足音と衣擦れの音で友雅が近づいてくるのが分かる。何も答えない彼に鷹通は警戒して徐々にドアのほうへ後退する。 「……私に何の用ですか」 二度目の問い。 友雅は鷹通の２歩前まで詰め寄っていたがそこで足を止める。 「触れてもいいかい？」 「え？」 「君に触れたくなったんだよ」 よく分からない。 鷹通は友雅の言葉にすぐに答えられなかった。いつもの友雅なら自分に断ることもなく強引に触れるから。 こんなふうに了承を得ようとしてくることはない。 「あの……意味が分かりません」 しどろもどろになりつつも鷹通が答えると、友雅はやれやれというように苦笑する。 「いつものツケかな。ただ君に触りたいんだ」 罠、なのだろうか？ こういうことに鷹通は経験不足で判断ができない。 でも……今日の友雅はなにか鷹通に放っておけないように感じさせるものがあった。 目を凝らすとようやく目が慣れてきたのか、友雅の顔がうっすらと見えた。友雅の瞳は間違いなくこちらを捉えている。 「……手、だけなら」 鷹通が右手を差し出すと友雅は左手でまず取り、そのあとそれを両手で包みこんだ。 冷たい手。 友雅はもともと手が温かいほうではなかった。鷹通の体をなぞる時もひんやりとしていて、いつも鷹通は翻弄されていた。 そこまで考えて、自分がよからぬ想像をしていることに気づき鷹通は唇を軽く噛む。 彼はしばらくそうやって鷹通の両手を包んでいた。 やがて上半身をかがませてその手に友雅が額を押し当てる。もともと暗闇で表情は分からなかったが、こうなるともう彼の行動は鷹通にも推測不能であった。 だが、二人を囲うこの闇に包まれた空間は、静かで、物理的なものは感じられず、世界のどこからも隔離されていた。 頭を下げている姿は祈りのようで、殉教者のようで。 唐突に鷹通は苦しくなった。 何かこの空間が苦しかった。もしくは彼の痛みを感応してしまったのかもしれない。 彼は今日の手術で…… おそらく患者を…… 「…あの……もうよろしいですか」 長い間そうしていたつもりであったが、暗闇の中では人間の体内時計は狂う。十分以上に感じたが、おそらくは５分も経っていないはずだ。 「………やはり駄目だね｣ 手を放さぬまま上半身を起こして友雅がいつもどおりの軽やかな口調で言う。鷹通には言葉の意味が分からず首をひねるしかない。 とりあえず彼から離れようと差し出していた手を引こうとするが、友雅は右手をつかんだまま放そうとはしなかった。 「放してください｣ 「駄目だよ｣ さっき感じた痛みは何だったのだろうか、友雅はすでに元通りになっている。 ……ということは、鷹通は今のままでは危ういということになる。 「もう用はすんだでしょう」 なるべく意識しすぎないように鷹通はやんわりと拒絶を示す。これ以上付き合う気はないのだと。 友雅はつかんだままの鷹通の右手を引き寄せ甲に口付けをする。 な……っ！ 鷹通の顔は紅潮するが、暗闇では友雅にはわからないだろう。 「鷹通、手を切った？｣ 「あ……カルテの整理の際に…」 「駄目だよ。手は大事にしなくてはね｣ 外科でオペもこなす友雅は手を大事にする必要もあるだろうが、ただの診察内科医の鷹通では手は普通の人のそれと変わりはない。 しかし友雅は鷹通の手の傷を舌で嘗める。 舌のざらりとした感覚に、鷹通は思わずビクンと身をすくませる。 「鷹通｣ この自分の名前を呼ぶ声に惑わされてばかりだ。 からかうようでありながら妖しく誘うような声に、つい引き寄せられて離せなくなる。 「鷹通、キスして欲しいな｣ 「そ…っ！ そんなことは……」 できるわけがない。 自分からなんてできるはずがない。 相変わらず友雅は手を放してくれなかった。まさかキスするまで帰してくれる気はないのだろうか。 「……できません…」 恥ずかしくてとてもじゃないができない。今でさえこんなに苦しいのに。 「こんな暗闇じゃ、君の顔もよく分からないよ。それに今夜はクリスマスイヴ。私にプレゼントして欲しいな｣ そういう問題とは思えなかったが、鷹通は友雅がいつもよりおとなしい気がした。いつもなら問答無用で鷹通に自分からキスをしているだろう。 「…友雅先生がクリスチャンだとは知りませんでした｣ 問題を故意にずらす。 「私は無宗教な人間だよ。ただそれが誰の誕生日であれ祝うことはいいと思うし、口実にもなるかな、と思って｣ と、不謹慎なことを悪びれもなく友雅が軽やかに言った。 「他にいくらでも友雅先生なら、プレゼントしてくれる方がいらっしゃるでしょう」 何とかこの場から無事に逃げようと鷹通は話をそらし続けようとした。が、そんなことを友雅が簡単にさせてくれるはずがなかった。 「私は他の誰かではなく、鷹通から欲しいんだよ｣ 暗闇の中で射抜くような瞳。 思いの他、彼の視線が強くて、鷹通の体が硬直する。 ……どうしようもない。 もう逃げることもできない。 「したくないのなら、仕方ないけどね｣ 卑怯だ。 したくないのではなく、できないのだと知っているくせに。 でも、きっと一番卑怯なのは自分の気持ちを行動に出せない自分。 彼はきっとそんなこととうにお見通しで、それでもいつも私を許し逃げ場まで用意してくれていた。 だったら、自分は彼の誠意に答えるべきだろう。 「……分かりました｣ どうにか聞こえるか聞こえないかというくらいの声で返事をすると、ようやく友雅は鷹通の手を解放した。 自由になった右手をぎゅうっと握り締めると、一歩前に出て友雅の前に立つ。 きっとこの上なく自分の頬は赤いのだろう。でも友雅には見えていないのだから、と少しだけ暗闇に安心感を持つことができた。 友雅は軽く目を細めてこちらを見ている。いつもどおりの余裕のある表情、なのだろう。 ゆっくりと、鷹通は顔を寄せていく。 友雅の頬に向かって。 「！」 鷹通の唇が友雅の頬に触れようとした瞬間、友雅の両手で顔を包まれてそのまま唇が塞がれる。 「ん……！」 逃れようとしても友雅の力にかなうはずもなく、幾度と角度を変えて寄せられる唇になすすべもなかった。 その舌が唇を割って入ってきて、さらに鷹通は抵抗ができなくなっていく。 「……は……ぁっ！」 ようやく解放された時には、鷹通は荒くなった呼吸と自分の体を支えるのに精一杯であった。それでもキッと大きな黒い瞳で間近にある友雅の顔をにらむ。 「はあ…っ友雅先生！｣ 「お手本を見せてあげたんだよ。実践するのが一番分かりやすい、違うかい？｣ いけしゃあしゃあと話す友雅に鷹通は頭に血が上る。そんな鷹通の様子に友雅は満足そうににっこりと笑うと、さらに頬に口付ける。 もう完全に友雅のペースだ。 「怒った顔も可愛いけどね、もっと色っぽい顔をしてみたらどうかな｣ 「知りません！！｣ 付き合ってはいられない、心配した自分がバカみたいだと、鷹通はこの部屋から立ち去ろうと踵を返してドアへと向き直る。 「待って｣ 後ろから腕を回され、抱きとめられてしまう。 「まだ用事は済んでいないよ｣ 怒ろうにも息がかかるくらいの耳もとで囁かれ、嫌でも体は反応してしまう。 「……知りません！!｣ なんとかそれを振りきって拒絶を示す。この強い拒絶にいつもの友雅ならここであきらめるところだが、今日は苦笑している。 「君に渡したいものがあるんだ｣ そこでようやく鷹通は腕の中で抵抗することをやめた。首をひねって後ろを見ると友雅が自分の白衣のポケットを探っていた。 それを手に取ると鷹通の頭を抱え、耳の後ろでシュッという霧吹きの音をさせた。湿った感覚の次に、感じた覚えのある香りに今のが何であるのかすぐに分かる。 「これは……」 「私がこの間つけていた時に、いい香りだと言っていただろう？｣ 鷹通の鼻をくすぐった香りはたしかにこの間友雅がつけていた香水。 甘すぎもせず、あまり強すぎない上品な香りの……友雅のイメージに最も近くて。 「はい」 声とともに手渡されたのは手のひらにおさまるくらいの香水の瓶。 「ありがとう……ございます」 とまどいながら鷹通が礼を言うと、友雅は目を細めて微笑む。 「どういたしまして。暗いほうが香りがよく分かるだろう？｣ とすると、鷹通にあんなことをさせるために暗くしておいたわけではないのだ。 それにしてもこの間の友雅の香りがして、妙に気恥ずかしい。 「そうですね…」 「本当は私がつけていた方が、君は好きなのかな？｣ ！ どうしてこの人には自分の考えていることがすぐに分かるのだろう。そんなに自分は分かりやすい性格をしているだろうか。 それでも素直にそれを肯定できるほど、鷹通は大人ではなかった。 「友雅先生に似合っていると思うだけです。でもこの香りがすきなのは……本当です｣ 語尾が細くなってしまったのは、まるでこれでは告白しているみたいだと途中で気づいてしまったせいだ。 友雅はそれも分かってしまったようで、左手で口元に手を添えくっくっくと笑いをこらえている。 それに鷹通がむう〜となっていると、友雅が明るい声を出す。 「ああ、いい方法があるよ｣ 「何の方法ですか？」 どうせろくなことではないだろう。 笑っている友雅を軽くにらみながら聞き返す。 「私と君の好みを調和する方法があるんだよ」 「え？」 いきなり耳を嘗められて、鷹通は体をビクンと痙攣させる。 「！！」 嘗められた耳を押さえて声を出すこともできず顔を赤くしてにらみつけると、友雅は楽しそうに笑みを浮かべた。 「移り香をつければ一石二鳥だろう？｣ 「……知りません！！」 |
１年前に書いた友×鷹無料配布本の小説。
これもタイトルが同じでした……。私はどうもこれが
好きらしい(笑) あ、病院設定ですので(笑)