PRESENT
| ドアを開けたら、目に飛び込んできた光景にただ幸鷹は立ち尽くす。 手に持っていたファイルがどさどさっと音を立てて床に落ちた。 「……あ……」 部屋のソファのところにいた二人が幸鷹の方を向いた。 「あ……あの…すみません！」 ファイルを投げ出したまま、開けたドアをまたくぐって閉める。 そのままエレベーターを待つ余裕もなく階段を駆け下り、外へと飛び出す。 今のは…… 今のは………翡翠とシャロンだった。 シャロンはソファに座っており、翡翠はその前煮にかがみこむようにしてキスをしていた。 そして、翡翠の左手はシャロンの右手を上に乗せていて、さらにその薬指には銀色の指輪が光っていた。 右手の薬指の指輪…… おそらくは翡翠がはめたもの…… 「なんだ……」 マンションから離れたところで足を止めると、幸鷹はそのまま家の塀にもたれかかり両手で顔を覆う。 ……なんだ…… 急に足元から力が抜けたような感覚。 これが気が抜けるということか。 「…………」 そして胸の空虚。 そういうことなのか。 彼はシャロンに指輪を贈ったのか。 それが何を意味することなのか…… いつかこういう日が来ると分かっていたのに。 それでも、まだだとどこかで思っていたから。 あの男の隣にまだいられると思っていたから、この胸が痛む。 泣きたいのに、泣けない。 あの男のことでは泣けない。 泣いたら、駄目なのに…… 心が痛むから…… 「幸鷹」 この低く涼しい声で名前を呼ばれるのが、心地よかったから…… 名前を一番優しく呼んでくれたから…… だから…… 「何をぼんやりしてるんだい？」 ！！！！！！ 「わあ！」 幸鷹はいきなり目の前に現れた男に驚いた声を上げる。 び、びっくりした…… 上がった心拍数を下げるために、効果があるのかどうかは分からないが幸鷹は心臓のある辺りを手で押さえる。 そして紅潮させて焦る幸鷹を見て、翡翠は眉を下げる。 「ふふ、何をそんなに驚いているの？」 「だって……さっきまで部屋にいたじゃないですか」 シャロンと…と言いたかったが、それは言えなかった。 しゅんとしたように上目で翡翠を見上げると、自分のほうを見て瞳をいつものように細めている。 だから、幸鷹もこれ以上翡翠の顔を見ていたくなかった。 きっとこの男は自分の浅はかな心などすぐに見抜いてしまうだろう。 「ああ。シャロンが君によろしくと言っていたよ」 翡翠の口から彼女の名前が出ただけで、幸鷹は今すぐ自分の耳を塞いでしまいたくなる。 それは、できないけれど。 だからなるべく気を散らそうと思っているのに、どうしても彼の姿に、声に惹かれてしまうのだ。 「そう…ですか」 シャロンのことは好きだ。 友人としてとても好意を持っている。 翡翠のことを愛していると、堂々とした彼女は幸鷹の目から見ても綺麗だった。凛として、真っ直ぐに愛していると言い放つ強さが好きだった。 でも、この男の口からはその名前は聞きたくなかった。 なんだか、幸鷹の胸にもやもやしたものが現れるから… 「邪魔をしてすみませんでした……」 「別に用事は終わっていたからかまわないさ。それより外は冷えるし帰らないか？」 「……はい」 まだ帰りたくなかったが、そういうわけにもいかないだろう。 翡翠の後について、まださっきの光景を思い出してしまうあの部屋に戻るしかなかった。 落としてあったファイルは綺麗にそろえられてテーブルの上に置かれていた。それを幸鷹は手に取り、さっさと自室に入ろうと、ドアのノブに手を伸ばす。 「待ちなさい」 ノブをつかみかけた手を止め、振り返ることなく幸鷹は翡翠に返事をする。 「何か用があるのですか？」 「……用があるのは君のほうだろう？」 一体、この男はどういうつもりなのか。 私から一体何を聞きたいのか。 「……別に用なんてない」 「シャロンの手にはめた指輪を見たんだろう？」 ！ やはり…… この男が彼女の手にはめたのか。 それならばなおのこと、幸鷹には何も言うことはない。 「……お幸せに」 「それはシャロンに言ってくれないか」 そんな人事のように、この男はさらりと何を言っているんだ。 いつもと変わらず飄々として、自分には関係ないと言わんばかりの態度。 「お前がシャロンにあの指輪を贈ったのだろう！？」 「そうだよ」 幸鷹はシャロンの分まで怒るかのように、振り返ると翡翠をにらみつける。 そんないい加減な気持ちで、シャロンに指輪を贈ったというのか。 それじゃ彼女はどうなるんだ…… 私の気持ちはどこへいけばいいんだ…… 憤りをそのまま翡翠にぶつけることもできず、幸鷹はぎゅっと拳を握ってうつむき黙り込む。 「婚約祝いに贈ったんだ」 は？ ………え？ 今のは…どういう意味だ？ 「婚約……祝い？」 「そう。本当は婚約指輪を仕事として依頼されたのだが、シャロンにはいろいろ世話になったからお祝いに贈ったんだよ」 それじゃ…… それじゃ部屋に入ったときに二人がキスをしていたのは…… 「別れにキスして欲しいと言われてね。それで未練が残らないならいいだろうと思ったんだ」 ………。 ……………。 …………………。 ………………………！！！ 「……どうして最初からそれを言わなかった？」 眉間にしわを寄せて、震えそうになる声を振り絞って幸鷹は静かに問いかける。 「言わないうちに君が出て行ったんじゃないか」 そのとおりなのだが、翡翠のいつもより楽しげな笑みを見れば、魂胆は見え見えだった。 この男は私をからかったのだ。 「………そう言えば私だって誤解しなくてすんだんだ」 「いや、あんな顔をされるとは思わなかったな」 この男は！！！！ と、恥ずかしさと怒りで顔を赤くする幸鷹に、翡翠はさも楽しげに微笑んで顔を寄せる。 「……ん……っ」 唇を塞がれ、割るようにして翡翠の舌が入り込んでくる。 逃げるようによける舌はすぐに翡翠にとらわれ、くすぐるような感覚に身を震わせる。 ファイルは床へと再び落ち、両手で翡翠の体を押しのけようとするのだが、翡翠に手首をつかまれそれもかなわない。 「…あ……」 言葉にならぬ声を上げ、唇が離れたかと思えばすぐに角度を変えて深く口付けられる。 頭に血が上ったまま行為に及んだため、すぐに幸鷹は頬を染めぼんやりと翡翠の与える快楽に身をゆだねるようになる。 理性はこの男の勝手にさせるものかと思ってるのに、体は思い通りに動かないのだ。 いつもこの調子でこの男に流される。 悔しかったが、翡翠との口付けを本気で嫌がっていない自分もたしかに存在するのだから仕方ない。 「……は…ぁ…っ……」 ようやく解放され、幸鷹は頬を染めたまま長い睫を伏せて深いため息を漏らす。 力の入らない腰は翡翠の右手に支えられ、体全体を翡翠にもたれかかるようにして幸鷹は回復を待つ。 そのまま腰に腕を回したまま、今度は幸鷹を抱え込むようにして翡翠は幸鷹の右手を取り、甲を上に向けて胸の高さまで上げる。 「？」 翡翠の空いた左手が、幸鷹の右手に触れた。 目を開けて見てみると、右手の薬指には金色の指輪がはめられていた。 「これは……」 見た目はシンプルなのだが、意外なところで凝った細工が施されている。指輪の太さも、幸鷹の手にしっくりとくる太さで、そんなには主張せず目立たない。 サイズも幸鷹の指にぴったりだった。 「………翡翠…？」 わけがわからず、大きな目をきょとんとさせて腕の中から見上げる幸鷹に、翡翠は優しく微笑む。 「きつくないかい？」 「はい……」 「じゃあ、君にあげよう」 え？ 幸鷹は自分の手と翡翠とを見比べる。 これを私に？ 翡翠は満足そうに微笑んでいる。 「君のために作ったんだが、気に入らないかな？」 「作った……って、お前が？」 まだ戸惑っている幸鷹は口調が戻らない。 「そうだよ。シャロンの婚約指輪も私が作って贈ったんだ」 そういえば、さっき仕事と言っていたような…… では、これも彼の作品だということか。 「あなたは、何の仕事をしてるのですか？」 「今はジュエリーデザイナーかな」 今は、というのが引っかかるがそれは追求したところで答えないだろう。 海賊だった男がジュエリーデザイナー…… この男に合っていると言えば合っているのだが…… 「ふふっ…」 思わず顔がゆるみ笑みがこぼれる。 京にいた頃とのギャップがおかしかった。 「でもこんな高い物をもらっていいのですか？」 笑いがおさまると、翡翠を見上げて幸鷹は指輪を左手で抑える。 「宝石を使ってあるわけじゃないから安物だけどね。気に入ったのなら君が持っているといい」 それでも金を使ってある以上、そこそこの価格にはなるだろう。 考えてみたら、翡翠が初めてくれたプレゼントではないか。 ……私のために作ったという指輪。 「幸鷹？」 自分の手を見つめて、嬉しそうに微笑む幸鷹。 「……大事にします」 その言葉に、翡翠も満面の笑みを返す。 言葉なく幸鷹の笑顔に、翡翠はそっと唇を頬に押し当てる。 今度は抵抗することなく、幸鷹はその目を閉じた。 |
2000HITのシノ様のリクエストで
現代版翡翠×幸鷹です。そしてラブラブ仕様……。
翡翠の職業がようやく書けました……。ちなみに翡翠は
経済・情勢勉強がてら、株で大儲けし、それを資金源に
宝石を転がしていたが、どうもアクセサリの加工が気に入らなくて
自分でやり始めて今に至る……という裏設定があります。(笑)