………寒い。
　ブルッと体を震わせ、クリスは目を開けることなく適当に手探りで暖のとれるものを探す。
　……寒い………寒い……

　ブラス城を抜け出し父の消息を探してグラスランドに身一つで飛び出してきたはいいが、昼間と夜間の気温の差には旅慣れぬクリスは驚いた。
　戦場としても騎士団の一人として鎧を着て訪れているが、天幕と毛布が用意されていたためそんなに気にすることはなかったのだが。
　夕立にあたってしまい、少し濡れて肌に張り付いた衣服。焚き火で乾かしてはいるもののそれでも体を芯から冷やすには十分であった。だからといって連れがいる以上これ以上脱ぐわけにもいかず、替えの服も濡らしてしまったのでこのままでいるしかない。
　焚き火にあたっているうちにうつらうつらとしてしまい、連れの男も止めなかったためこうしてクリスは無防備に寝てしまったのだった。

　……寒い……
　……寒い……
「！」
　あった……あったかいもの……
　柔らかくて温かい何かをクリスは両腕を伸ばして抱きしめる。
　そして今度はクリスの銀色の髪を大きな手がそっと撫でて、ようやくクリスはうっすらと目を開けた。
　……金色の髪に……優しい瞳……
　自分の顔を見るその優しい瞳は、かつてクリスが見知っていたものにそっくりだった。かつてクリスが失ってしまったもの、
　そしてそれを探すために旅に出たのだ。

「……お父……さま……？」

　　　　　　　　■■■

　ブラス城を出てから三日。
　ようやくクリスは警戒心をゆるめ始めたようで、休みを取ったらこうしてすぐそばでもうたた寝してしまうほどであった。
　立場上、自分の目的や正体については話すことができないので、信用しろというほうが難しいのだが。それにクリスは人一倍警戒心も強ければ、自分の隙を見せようとはしない。
　イクセの村で初めて言葉を交わしたときも、どこか無理をしているように思えた。
『英雄』……それを背負うには彼女はまだ綺麗過ぎるのかもしれない。
　でも、彼女にはそのままでいて欲しかった。

　その凛とした真っ直ぐな菫色の瞳。
　気性に違わず銀糸のようなその長い髪。
　背筋を伸ばして立つその姿。

　ブラス城やゼクセンの人々が彼女に偶像を押し付ける気持ちも十分に理解できた。ただその期待に応えつづけるには、この細い肩ではまだ何かが足りないのだろう。
　そしてそれを探すために旅に出た。
　ゼクセン側の調査が終わり、今度はグラスランドに潜入しようという頃合だったので、サロメの誘いには特に断る理由もなく、クリスの身の上を引き受けた。
　ついで、といえばついでなのだが、彼女に興味があったのも事実。
　好奇心で身を滅ぼすタイプ。さらにお節介も３７になってもまだ直らない。
　これは持って生まれたものだとあきらめるしかないか。

「？」
　そんなこんなで彼女のことや自分の事を考えながら火の番をしていると、突然横から腰をつかまれて驚いた。
　隣を見下ろすと雨に濡れて上着を脱いだクリスが両手で自分の腰をつかんでいる。

　……これはちょっと警戒を解きすぎのような気もするな……

　慣れない旅の疲れも出たのだろう。昼間は歩き通しで、昼も夜も自分への警戒を解かずに気を張っていれば疲れるに決まっている。
　カミさんの話などをして気を紛らわせようとしても、どこか自分の言葉に真実味が足りないのかクリスの表情は和まない。
　それでも少しずつ態度がやわらいできているのがわかったので、何も言おうとはしなかった。

　……しかし、男の前でここまで無防備な姿というのもどうかな……

　自分の腰に手を回したまま、安心したように眠るクリスの顔はどこか幼さを感じさせる。
　その顔を縁取る銀色の髪は、一度は触れてみたいと思っていたものだ。
　そして今なら怒られることもなく触れられるだろう。

　サラ……
　髪を軽く撫でてやると、思ったとおりに指にからむこともなく髪が滑り落ちる。
「！」
　そして次の瞬間、自分の目を疑う。
　クリスの銀色の毛が混じった長い睫に縁取られた瞳がうっすらと目を開いたと思ったら、柔らかく今まで見たこともないような優しい表情になったのだ。

　……これは……
　まずい。
　かなりまずい。
　こうならないようにカミさんの話を振ったりして、自分自身にも牽制をしてきたのに。

　そしてあどけない表情で眠る彼女の顔に、自分の顔を寄せていくのをどうにも止めることができなかった男にクリスが紅い唇からぽつりとこぼした言葉。

「……お父……さま……？」

　　　　　　　　　　　　　■■■

　……チチチ……
　どこからか鳥のさえずりが聞こえてくる。
　城の中なら窓越しなのでこんなに鮮明には聴こえないだろう。
　そして閉じた瞼にも明るい光が差していたので、ようやくクリスは朝なのだということを思い立って覚醒する。
　少し目を開けば燃え尽きた薪の残骸が細く煙を上げていた。
　……火？
「起きたのか？」
　間近から声が掛かりクリスが顔を上げると、連れの男がいつもの笑顔で自分を見下ろしていた。

「……ナッシュ……？」
　その距離は自分が思っていたものよりもずっと至近距離で、さらに自分がつかんでいるものは彼の腰だということに気づき、クリスは慌ててナッシュの体を力あらん限りに突き飛ばす。
　ドンッ！！！
「うおっ！？」
　まさかそうくるとは思っておらず、思い切り横に突き飛ばされたナッシュは上半身を起こすと頭をかく。
「な、ななな何もしなかっただろうな？！」
　動揺を隠し切れないクリスに、ナッシュは白い目を向けた。
「いてて……クリス、一晩中人を抱き枕にしておいてそれはないだろう」
「そっそれは、夕べは冷え込んだから……！　か、顔を洗ってくる」
　何か気恥ずかしさもあって、クリスは男の顔を見ないようにして立ち上がり、岩に干してあった布を手に取り川のほうへと向かおうとする。その焦る背中に軽い笑みを含む声が掛かった。
「まったく、昨夜はあんなに激しかったくせに」
「っ！！！？？？？　わ、私は何も知らないっ！」
　火照る頬はおそらくかなり赤くなっていることだろう。そしてそんな顔を見られるわけには断じて行かなかった。
　そうして逃げるように川のほうへ向けて姿を消すクリスの姿をみて、ナッシュは口に手を当ててククク、と声を漏らさないようにして笑う。

「……保護者になるつもりはないからな」
　たとえ危険人物と思われても。
　そう腹を決めると、ようやくナッシュは目を閉じて朝の光にさらされながら眠りにつくのだった。